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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.23)

       エクレシアのパイプライン




どうか、平和の神ご自身が、あなた方を全く聖なる者として下さいますように。また、あなた方の霊も魂も体も何一つ欠けた所の無い者として守り、私たちの主イエス・キリストの来られる時、非の内どころの無い者として下さいますように。あなた方をお招きになった方は、真実で、必ずその通りにして下さいます。・・・・私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなた方と共にあるように。
                                      【Ⅰテサロニケ書5章23~28節】


キリストの「御体」に必要なもの
 エクレシアを、キリストの「御体」として捉えた場合、聖霊様がその「御体」に供給して下さる、天上の素晴らしい霊的な恵みを、私たちが得る(注がれる)為に、霊的な三つの「パイプライン」が必要となります。また同時に私たちは、その得られた(注がれた)「恵み」を、三つの「パイプライン」を通して、外側に流す役目もあります。


 そうです!私たちは「終末の時代」において、この三つの「パイプライン」を戴く為にも、この「パイプライン」が如何なるものなのかを、聖霊様を通して教え示される必要があります。そうすれば、私たちが「今の時」に生かされている、その真意(正しい理由)が見えて来るからです。即ち「終末の時代」にあって、①私たちがどのように整えられ、また②「命の水」を豊かに流すべく、この「パイプライン」が重要な役割を果たすこと、この二点が示されるのです。


 しかし、同時に覚えて戴きたいことは、「パイプライン」という配管設備は、定期的にメンテナンスしなければ、朽ちてボロボロに腐食したり、菅の内部が目詰まりし、最終的に膨張するなどして、使用できなくなる状態に陥る、つまり役に立たなく(ものが流れなく)なることです。アメリカの石油パイプライン(キーストーン)や、ロシアの天然ガス・パイプライン(ノルドストリーム)など、世界的なエネルギー資源の供給ラインが、様々な理由によりストップする中、霊的にキリストの「御体」である、私たちキリスト者に対して、常に「命の水」を供給して下さる方は、聖霊様です。


三つの重要なパイプライン
 しかし供給される側が、豊かに受け留める為には、ある重要なパイプラインが必要となります。23節のパウロの言葉を直訳しますと、次のようになります。「①主なる神が先ずあなた方に、平安を与えて下さいますように。そして、②あらゆる状況の中においても、あなた方を聖い者として下さいますように。③あなた方の霊・肉・魂が、イエス・キリストの再臨される時に、私たちの中にある、罪が故の不完全(不自由)さから、完全に自由として下さいますように。」


 そうです!パウロは三つのパイプラインを、テサロニケ教会の信者に対して、具体的に提示しています。第一のパイプラインは、神が与える「平安(安息)」です。第二のパイプラインは、神の「聖さ」です。そして第三のパイプラインは、神にある「真の自由」です。ところで、私たちの霊的姿勢の中には、神の「安息」に休息しない、肉なる自分が存在します。このような霊的状態(姿勢)でいますと、私たちは必ず霊的に眠りこけた、「愚かな乙女」になります。そして一度限りしか無い、大事な時(再臨の時)に、そのビッグチヤンスを逃すことになります。待ち望んでいた主人(花婿なるイエス・キリスト)の、麗しい「御顔」を、遂に仰ぎ見る「その時」です。


 第一のパイプラインを通して、聖霊様は「命の水」を、私たちの内側及び外側から、豊かに流して下さいます。しかし私たちの側が、全面的に受け取るのこと無く、部分的に受け取るのであれば、それこそ「愚かな乙女」として、主人からも振り向いてもらえない、即ち神の「安息」の次元に入ることはありません。


 第二のパイプラインである神の「聖さ」とは、イエス・キリストの貴い「血潮」が、豊かに塗り(注がれ)聖められた状態です。私たちの霊的「汚れ」を、完全に一掃する程の御力、それがイエス・キリストの「血潮」です。そうです!イエス・キリストの「血潮」のみが、私たちの全てを常に聖め、病める所を癒して下さり、無垢な状態(麗しい花嫁)へと、造り変えて下さいます。


 第三のパイプラインである、神にある「真の自由」とは、人間的な判断(思い)によって、例えば「~でなければならない!」などと、罪からの解放を律法的に捉えることではなく、あくまで真実の神が、御子イエス・キリストの「贖い」によって、一方的に神の「救い」を与え、かつ私たちが受け取ることで得られる、「罪意識」からの完全なる独立心(信仰)です。賢い乙女は、「~でなければならない!」などと、あれこれ人間的に動き回るのではなく、只一つのこと、つまり「いつも通りに、花婿が帰宅することだけを、心待ちにして備える!」ことに専念しました。


 帰宅する「その時」が、今日であろうが、明日であろうが、仮に十年後であろうが、重要なことは「いつも通り」です。これは一見、何の「変化」も無いように思われますが、確かな「変化」があります。それは何年も経てば経つ程、「忍耐力」が深められ、美しい品性を伴いながら、確実に聖められることです。人間的な業に走る人(愚かな乙女)は、待てば待つ程、疲れ果てるだけです。それ故、誤った「教え(異端)」に傾倒して行くのです。


 自発的な「愛」は、神の「真実の愛」を、一方的に戴いた時から始まります。それに対して人間的な「愛」は、様々な条件が付随しますから、必ず「取引き(駆け引き)」が伴い、場合によっては終了します。しかし聖霊様が用意して下さる、三つのパイプラインから流れて来るものは、神からの一方的なものですから、私たちは①素直に受け取って、②戴いたことを日々感謝しながら、淡々と過ごすだけで良いのです。


イエス・キリストの「信仰」に目覚めなさい!
 私たちがイエス・キリストの「信仰」に、満ち溢れているか否かが、「賢い花嫁」か「愚かな花嫁」になるのか、その分岐点となります。「あなた方をお招きになった方は、真実で、必ずその通りにして下さいます。」(24節)の部分を、更に分かり易く訳しますと、「主なる神は、いつもあなた方を召し出さいます。そしてその通りにして下さいました。何故なら主なる神ご自身が、信仰に満ち溢れた方であるからです。」となります。と言うことは、主なる神は無条件に、かつ無代価で、私たちをイエス・キリストの「信仰」で、常に満ち溢れさせたく、聖霊様を通して働かれるのです。


 私たちは、花婿なる方の「御言葉」と「御業」、そして「真実の愛」を戴きながら、花婿なる方ご自身が「私たちのことを信じていて下さる!」という、真実のメッセージを、私たちも信仰を働かせて、素直に受け取ることが重要です。そうです!イエス・キリストは、①惜しみなく与えたい!②天上の宝をもって祝福したい!最終的に御国の「完成式典」において、③重要なパートナー(真の花嫁)として、あなたを召し出したい!のです。


 ですから、イエス・キリストの「信仰」に目覚めましょう!今からでも遅くありません。神の「安息」、神の「聖さ」、神にある「真の自由」を、素直に受け取りましょう。これは毎日の務めです。「いつも通りに」戴きましょう!最終的にエクレシアは、どのように造り変えられるのでしょうか?「賢い群れ」は益々、キリストに似るエクレシアとして聖められますが、「愚かな群れ」は、世的な方向に益々淘汰されて行きます。「偽りのメシヤ」に、次第に召し抱えられるていることに気付かないまま。


 どうぞあなたが、主なる神が用意する、三つのパイプラインを日々受け取り、信仰を日々メンテナンスして下さる、聖霊様の「働き」に期待しながら、いつも通りに祈り続け、霊と真をもって「花婿」の来臨の時を、「熱情の愛」をもって、忍耐強く待ち続けることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年7月17日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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