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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.2)

あなたの光に「真実の光」を見る!




命の泉はあなたにあり、あなたの光に、私たちは光を見る。
                                            【詩篇36篇10節】


主なる神が造られた野の生き物の内で、最も賢い(cunning)のは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「・・・・園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
                                          【創世記3章1~7節】


「真実の光」を求める
 ご存じのように、物事に「始まり」があるのであれば、当然「終わり(完成)」もあります。神の「始まり」と「終わり」に関して言えば、それは永遠の「御国」の完成式ですから、そこには永遠の次元だけが存在します。実はサタンは、この神の永遠性を人間的に解釈させるなどして、私たちを限りある命の中で、出来るだけ個性を重んじながら、「自分の光(栄光)」を現すように、様々に仕向けてきます。


 自分の栄光を現したり、自分の名声や力などを、私たちの魂的な「思い(感情)」に、盛んに駆り立てながら、私たちを世的な方向に誘導して行くこと、これら全てがサタンによる「まやかし」です。私たちが追い求めて、切に慕い求め渇き続ける次元は、本来のアダム(エバ)に付与されていた、聖い麗しい「真実の光」です。


 そうです!「真実の光」なる、御子イエス・キリストは、私たちを常に創造主の「光の次元」へと、聖霊様を通して導いて下さいます。創造主なる神が、アダム(エバ)に与えたものは、永遠の「祝福」の次元から、永遠の「命」を産み出し、更なる永遠性を求めるなど、霊的な「飢え渇き」を起こします。


 聖書の『創世記』から『ヨハネの黙示録』に至るまで、一貫して記されているテーマは、父なる神の創造の目的が、ご自身の偉大なる「計画」を通して、「永遠の命」に至るプロセスを、信じる者全てに惜しみなく与えるもので、その為に重要なキーワードを示しています。


神の「命の法則」
 そのキーワードとは、「霊(御霊)と花嫁とが言う。『来て下さい。』・・・・渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」(ヨハネの黙示録22章17節)の御言葉にある、創造主なる神の「命の法則」のことです。そして神の「命の法則」には、三つの重要なアイテムが必要となります。


 先ず第一に、①「」の存在(出現)です。この「光」は、太陽などの恒星光ではなく、詩篇36篇の作者が言う「あなた(神)の光」です。神の光は「偽り」が一つも無い、かつ混じりけの無い「純粋(真実)な光」です。第二に、②永遠に湧き上がる「命の水」です。第三に、③全ての生物の生きる土台、即ち「大地(地のフィールド)」です。まさしく救い主イエス・キリストが、「真実の光」として来られ、「命の水」を無代価で与える方として働き、「罪」の呪いに覆われた、大地の上で十字架にかかり、小羊の生贄として血潮を「地」に注ぎました。その結果父なる神の「命の法則」が働き、新しい天地を完成する為に、再び地上に復活(帰還)されたのです。


 アダム(エバ)の創造の際にも、神の「命の法則」による、①光と②水と③地が必要でした。先ず創造主は、大地から土と塵を取り、続いて水と混じり合わせて、人の形の粘土を造ります。そして最後に、ご自分の息を粘土の塊に吹き込んだ瞬間、人は「生きる者(神の光で覆われた存在)」となりました。


 実は、空中の支配権を持つサタンは、創造主の「計画」の全てを、ことごとく破壊する意図をもって、ある行動を起こします。何故なら創造主なる神が、自ら混沌とした大地に降り立ち、第一段階として「光よ、直ちに暗闇の中に出現しなさい!」と命じられたからです。この時から、サタンが率いる暗闇の勢力と、イエス・キリストが支配する、光の勢力とのバトルが始まりました。そのバトルの霊的構図は、「真実の光」VS「偽りの光」です。


 次に創造主は第二段階として、地上に「神の庭(エデンの園)」を造り、園にある「地のフィールド」から、粘土を練り上げて「最初の人」を創造しました。この史上最高の作品(被造物)を見たサタンは、「ゆるせない!私以上に神から愛される者が、この地にあってはならない。」と言う、激しい嫉妬の念に駆られました。そしてサタンも、第二のバトルとして蛇を利用します。「最初の人」を、神の「真実の光」から引き離し、自分たちの「偽りの光」の支配下に置く為でした。


 ところでサタンは、何故全ての生物の中から、蛇を選んだのでしょうか?新共同訳聖書(英語版)には、蛇は「cunning」であったと記されています。「cunning」には、二つの意味があります。第一に①ずる賢い(詐欺的である)こと。第二に②可愛いことです。これはエバが一番に好み、愛しく思う対象であったのでは?と推測できる意味です。


二つの「フェイク」
 この蛇がエバに近付いて、ある「問いかけ(謎かけ)」をもって、二つの「偽り(フェイク)」を、彼らに提供しました。最初の問いかけは、「創造主は、どの木からも実を取って、食べてもよいと言われたのですか?」でした。覚えて戴きたいことは、創造主が彼らに命じたことは、「園の全ての木から実を取って食べなさい。但し善悪の木の実だけは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまうから。」でした。二つの言い回しを正確に分析しますと、サタンが言葉を誤魔化している事が伺えます。「全ての~」と「どの~」では、言葉の意味合いは似ていても、受け留めるニュアンス(解釈)が異なり、「どの~」の表現には、解釈上の若干の「緩み(許容度)」が生じます。


 それ故にエバは、明確にサタンの提案(問いかけ)を拒絶できないまま、第二の「問いかけ」に引きずり込まれることになります。先ずサタン(蛇)は、第一のフェイクを投げかけます。「決して死ぬことはありませんよ!」と。ここで再び覚えて戴きたいことは、創造主が彼らに命じた(禁じた)言葉は「必ず死ぬ!」です。「必ず~することになる」と、「決して~することはない」とでは、互いに相反する次元、即ちアンチテーゼとなります。


 サタンは蛇を通して、「決して~することはない」の理由(根拠)を説明します。それが第二のフェイクで、「それを食べたら、あなた達は神のように、目が開かれるようになるから。」という、非常に惹きつけられる(興味を引く)説明です。ここで覚えて戴きたいことは、創造主が彼らに命じた、その理由は只一つ「必ず死ぬから」という、単純な分かり易い説明でした。同時にその理由の真意は、創造主にとって彼らが、決して死んではならない貴い存在である!という、熱情の愛から来るものでした。


 彼らが「罪」を犯した結果、実は「人」だけが、「善悪の木」の存在理由を、様々に知ろうとする悪癖が残っています。人間的な解釈では、理由を探ることは出来ませんし、明確な理由もありません!理由が仮にあるのであれば、それは恐らく「彼らが知るといけないから」です。「永遠の命」を豊かに受け取り、それをもって生き永らえる方法は、園の中央にある「命の木」の実 だけを食するという、この一つしかあり得ません。「命の木」と対照的に存在する、「善悪の木」の実を食したら、人は「有限的な命」を持つ、つまり「いつかは死ぬ」存在に陥ります。


霊的に死んだとしても・・・・
 サタンが彼らに提示した「目が開かれる」とは、ラテン語で「イルミナトゥス」(単数形)と言い、複数形では「イルミナティ」と言います。そうです!サタンは彼らを、一時的に「イルミナティ」にすることに成功しました。つまり彼らを創造主の「真実の光(イエス・キリスト)」から引き離し、自分自身の中にある「偽りの光」の次元へと引きずり込んだのです。


 その結果彼らは、互いに「裸」であることに気付き、「このままではいけない!恥ずかしい(他人に知られてはいけない)から隠さなければ・・・・」という、言わば「秘密結社」の如き行動を始めました。サタン的な組織は、必ず「自分たちの栄光」や「自分たちの力」などを求め、そして「自分たちだけが世において、生き残りを図れる存在」であることを、秘密裏に伝授しようとします。


 その後、サタンに唆された(騙された)彼らは、ただの「死ぬ存在」となって、創造主なる神から見放される、言わばポンコツとなったのでしょうか?いいえ!彼らには、創造主がわざわざ仕立てられ用意した、イエス・キリストの「贖い」がありました。そうです!小羊の生贄による「聖なる衣」を、彼らは①着せられ、②「エデンの園」から地上の「不毛の地」へと、霊的に遣わされることになります。


 私たちの真実なる神は、イエス・キリストを通して、私たちを霊的孤児とはせず、いつも共に居て下さる、インマヌエルの神として、私たちエクレシアを、混沌とした今の時代に生かし、サタンの「偽りの光(暗闇)」の勢力との、霊的戦いに召し出すべく、聖霊様が直々に遣わされているのです!ですから、私たちが常に立ち返るべきフィールドは、御国の中央に座しておられる霊的な「命の木」、即ちイエス・キリストの御元です。


 そうです!私たちが、イエス・キリストを霊的に食する、即ち「真実の光」なるイエス・キリストを、知れ(親しく交われ)ば知る(交わる)程、新しいエデンの園「至聖所」が回復されるのです。そこには「命の水」が豊かに湧き溢れ、イエス・キリストの御元へと、私たちが還って行く時に、「偽りの光」の支配者、サタンの完全なる敗北の時が訪れます。


 この壮大なる神の「ストーリー(歴史)」が、「真実の光」を追い求める、私たちキリスト者を通して、既に始まっていることを、是非覚えておいて下さい!「私たちは、イエス・キリストの花嫁である!」という、霊的意識を更に強め、「霊の眼」をもって、イエス・キリストの「栄光」だけを見つめる、「賢い乙女」として造り変えられるよう、聖霊に満たされて熱心に祈り続けましょう!


 どうぞあなたが、イエス・キリストのみに、「真実の光」を追い求める者として、また祝福された「神の家族」として、益々父なる神の「真実の愛」に生かされ、日々前進することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年1月8日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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