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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.19)

            終末の生体リズム!




兄弟たち、その時と時期についてあなた方には書き記す必要はありません。・・・・主の日は来るということを、あなた方自身よく知っているからです。・・・・しかし、兄弟たち、あなた方は暗闇の中にいるのではありません。・・・・あなた方は全て光の子、昼の子だからです。・・・・従って、他の人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。しかし、私たちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。・・・・主は、私たちの為に死なれましたが、それは、私たちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになる為です。ですから、あなた方は・・・・励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。
                               【Ⅰテサロニケ書5章1~11節】


神の「安息リズム」
 ご存じのように、私たちの生体(肉体組織)は、創造主なる神が定めた、不思議な「生体リズム」によって、動きが様々に制御されています。例えば「体内時計」について言えば、これは被造物全てに渡って、各々のリズムが定められています。


 同様に私たち人間に関しても、主なる神が定めた「安息リズム」が、実は用意されていることを、今回の御言葉から知る必要があります。特に霊的な側面から、この「安息リズム」が、神の「こ計画」の次元にあって、「始まりの時」から「完成の時」に至るまで、私たちを「キリストの体」に一つとするべく、非常に重要となるリズムであるかを、私たちは真摯に受け留める必要があります。


 そうです!私たちは今こそ、主なる神が定められた「安息リズム」を、再び「この地」に回復する、重要な「終末の時」に生きているのです。確かに「エデンの園」は、一度閉じられました。しかしその後においても、神の「安息リズム」は継続しています。それ故に、私たちは神の「安息リズム」を、①霊的に正しく捉え直し、②このリズムに従って生きる必要があるのです。


 神の定めた「生体リズム」のことを、ある学者は「概日リズム」の呼びました。そして「一日」の間隔を、概ね24~25時間と計算した上で、如何なる生物も約4時間ごとに、周期的なリズムが、バランスよく定められている!と定義付けました。不思議なことに、この神が定めた「概日リズム」の法則を、人が意図的に変更し、例えば夜勤サイクルという、過酷な労働時間を優先し、昼間のリズムに戻すこと無く継続しますと、人体組織の各機能がバランスを崩し、しまいには血流の循環の乱れ、内分泌系の不調や各臓器不全の発症など、必ず「病い」に倒れることになります。


 私たちの健康寿命を、バランス良く維持するには、①食べる(適度に栄養を吸収する)こと、②運動すること、③睡眠すること、この三つが必要となります。しかし覚えて戴きたいことは、この三つの基本的行動に、何らかの「欲望」を優先して、一つでも疎かにしますと、その時は良くても、後々に必ず何らかの不調を来すことです。そうです!神が定めた「生体リズム」を、私たちは変更してはなりません。


神の「安息の時」に従う
 今回の御言葉には、「時」に関する表現が多く記されています。若かりし頃は、時を惜しんでまで律法を遵守し、神の「掟」を推し進めることに、勤しんだ(肉体を酷使した)パウロは、イエス・キリストとの出会い(霊的体験)から、その後の人生の大半を牢獄で過ごすなど、神との親しき「交わり」、即ち神の「安息リズム」に入りました。


 私たちは今後の人生において、如何なる事が待ち受けているのでしょうか?体の健康面も心配でしょう。しかし、私たちが一番に気にかけるべきことは、神の「安息リズム」の中にあって、神の霊的な「生体(神殿)」であるエクレシアが、健全(スマート)であるか否か?という点です。例えば私たちが、イエス・キリストを思う(慕い求める)以上に、「この世」のことを欲するのであれば、大事な時に眠り続ける、愚かな乙女になる可能性があります。それ故にパウロは、「身を慎んでいなさい!」と叱咤するのです。


 パウロは更に続けます。「イエス・キリストの来臨の時に間に合うよう、キリストの御体(エクレシア)が、夜の暗闇に支配されること無く、光の次元に生きる神の子として、私たちが神の安息にあずかることを第一とするように!」と。


 神の「安息」の領域の中に、私たちが信仰をもって踏み出さない限り、霊的負債(重荷)は溜まり続けます。そうなるとキリストの「御体」である、エクレシア全体の健康が損なわれ、「神の時」に対する正しい判断(認知)力が、愚かな方向へと傾き、例えば「携挙なんてものは、今の時代には起こらない」などの、誤った「教え(神学)」に染まることになります。


 私たちは、ある「時刻(時)」の為に準備するのではありません!愛する花婿なる方と、お会いするために、健全なる花嫁として、美しく整えられる為に、聖霊様に仕立てて戴くのです。ですから、私たちは①身を慎んで、②励まし合って、③互いに助け合うのです。私たちキリスト者は、霊的には「花嫁としての体を戴いている!」という聖なる乙女意識を、常に持ち続けましょう。それと同時に「神が住まわれる宮である!」という、謙虚な姿勢で生きましょう。そうです!私たちは「光」のある間に、聖霊様が仕立てて下さる、「麗しいエクレシア」として、「光の子」へと聖めて戴くのです。


「昼」と「夜」の信仰バランス 
 結論になりますが、昼が「光」のサイクルであるのに対し、夜は「暗闇」のサイクルです。私たち生き物(夜行性動物は除く)は、「光」を受けたら必ず、体全体が活性化します。そして「暗闇」のサイクルにおいては、神が定める「安息」のリズムの中で、平安な「眠り(休息)」に導かれるのです。


 ですから、私たちは先ず①「光」のサイクルの時に、「身(体・魂・霊)を慎む」べきです。即ち「神の宮」である自分の体を、どう聖めて戴くか?真剣に取り組むことです。しかし「否!私は自分の体を、自分の為に使う!」などと主張するのであれば、結果として体全体を破壊することになります。次に②「暗闇」のサイクルの時には、神の「安息」の中に、全てを委ね(休息し)ながら、安心して「眠り(神の平安)」に就くことです。


私たちが「眠り(神の平安)」に就く時、霊的には「霊の眼」が目覚め始めます。そして花婿なる御子イエス・キリストが、いつ来ても良いように、更に聖められて行くことで、「大事な時」に目覚めます。ですから、私たちは「互いに身を慎んで、励まし合う」ことが求められるのです。


 どうか聖霊様の指導のもと、あなたが健全なエクレシアとして、イエス・キリストが喜ばれる、麗しい次元の中で更に聖められ、かつ整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年6月5日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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