バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.18)

道に逸れないよう励まし合いなさい!




兄弟たち、既に眠りに就いた人たちについて・・・・主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。即ち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、先ず最初に復活し、それから、私たち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、私たちはいつまでも、主と共に居ることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
                                      【Ⅰテサロニケ書4章13~18節】


「携挙」を巡る正しい理解
 「終末のエクレシア」のゴール(到着地点)は只一つ、それは麗しの君(王の王)、イエス・キリストとの「再会の時」です。主イエス・キリストは、間もなく来られます。しかし「終末のエクレシア」の霊的航海には、パウロの宣教旅行の時と同様に、様々な霊的「大嵐」に、必ず遭遇することを覚えておいて下さい!


 「今の時」に生きるキリスト者も、様々な世界的大嵐に遭遇しています。使徒行伝時代に起きた事は、終末に起きる事象の「雛型」です。主イエス・キリストの「再臨」が、必ず起きることは分かっていても、人は時間的な制限の中で生きているが故に、「それは何時(いつ)なのか?」という点にだけ、関心の目を注ぐ傾向にあります。


 しかし一番大切なことは、真の花婿なる方(イエス・キリスト)を、信仰をもって待ち続け、来臨の時に備えることです。主人が何時に帰って来ても良いように、互いに励まし合って、熱心に祈り続けることが大事であるにも関わらず、人は別のことに関心を向け、様々に議論するようになります。


 例えばキリスト教界においても、「携挙」を巡る解釈に、様々な議論が沸騰しています。私たちキリスト者は、大天使ミカエルが吹き鳴らす、角笛(トランベット)の号令を、実際に聞く立場(次元)にありませんが、私たちは「その時」に、引き上げられる(携挙される)者と、取り残される者の、二つに分かたれることになります。


 実は「携挙」を巡る議論には、①艱難前説と②艱難後説の二つが、今盛んに論じられています。艱難(大きな苦しみの時代)が、いつの時期になるのか?という、「時」を巡る議論が盛んなように、「携挙」が「艱難」の前になるのか、それとも後になるのか?非常にシビアな問題ではありますが、15節の御言葉にあるように、①彼ら(既に眠りに就いた人たち)が先に復活した後に、②イエス・キリストが空中(天)で彼らと合流し、その後に③今生きている真のキリスト者、即ち小羊の刻印が額にあり、小羊の聖なる衣を着た者のみが、天に引き上げられる(携挙される)のです!この順番を違えてはなりません。


 「テサロニケ」は、当時のギリシャ北部にある、マケドニア州の州都です。と言うことは、かなりの大都市であることが分かります。その都市に住むキリスト者に当てて、使徒パウロが著したのが、今回の第一(最初)の手紙です。時代としては紀元50年頃で、イエス・キリストが昇天してから、約20年後の頃です。今の私たちの「時」の感覚からすれば、20年というサイクルは、「ついこの前の時代」と思われますが、当時の人々にとっては、今の私たちが感じる「半世紀前」位ではないでしょうか?


 そのテサロニケに暮らす、生まれた(救われた)ばかりのキリスト者(霊的な幼子)の群れ、それがテサロニケ教会でした。その彼らに対して、産みの親たるパウロが、霊的に彼らの信仰を励ますべく書き著したのが、今回の第一書簡です。励ました内容を簡単に言えば、「イエスは、間もなく(戻って)来られるから、そのことを信じて、どうか最初の教えから、決して逸れることが無きように!」です。


「パルーシア」の福音
 主イエス・キリストが来られる時には、一つの方法(前述の①~③の手順)しかありません!これは、今に生きる私たちに対しても、揺ぎ無き希望をもたらす福音です。パウロは明確に「主が来られる日まで生き残る私たちが、眠りに就いた人より先になることは、決してありません。」(15節)と断言しています。この御言葉にある「来られる」とは、ギリシャ語でパルーシアと言い、ギリシャ語の副詞「パラ(~と一緒に)」と、動詞の「ウーシア(居る)」の合成語です。ですから「パルーシア」は、共に居続けて下さる(臨在する、到来する)神を意味します。


 また当時のローマ帝国で、一般的に使用されていた「パルーシア」は、滅多に人の前に現れない高貴な身分の者(例えば皇帝)が、公に出現して下さり、直接声をもって語りかける場合に用いられました。ですからパウロは、テサロニケのキリスト者たちに、一番大切な福音として、インマヌエルなるイエス・キリストが、共に居続けて下さる神の御子として、先ずは霊的に眠りに就いたキリスト者の元を訪れ、そして同時に携挙されたキリスト者が、彼らの「群れ」に合流する!という、壮大な福音を伝えました。


 私たちは必ず「その時」、復活されたイエス・キリストと相まみえる、この大いなる福音に生かされています。そうです!イエス・キリストの「復活」が、私たちにも永遠の「賜物」として、信仰によって与えられ、イエス・キリストと同じ、「復活」の体に造り変えらるのです。しかし「今の時代」は、この一番重要な「福音」が、講壇から語られないなど、霊的に疎かにされつつあります。


 パウロは今回の結論として、「このようにして、私たちはいつまでも、主と共に居ることになる。」(17節)と記していますが、「主なる神と共に居ること」を完成する為に、聖霊様は今後も盛んに、私たちが「真理」に至る道から逸れないよう、激しく臨んで励まします。それ故に私たちも、「今述べた言葉によって、励まし合いなさい。」(18節)と命じられているのです。


 何故私たちは、互いに励まし合うのでしょうか?正しい道筋(神の導き)から目を離すこと無く、真理の道(イエス・キリスト)から逸れることが無きよう、互いに注意喚起する為です。悪魔サタンは、正しい言葉に似せた「惑わし」をもって、多くのキリスト者を騙しています。


 これから如何なる事が起きるのか?非常に不安に駆られる「今の時」ですが、聖霊様が最重要な「福音」として、霊的に教え示して下さる「パルーシア」、即ちイエス・キリストが、いつも共に居て下さることを、信仰をもって待ち望みましょう!このパルーシアなるイエス・キリストが、私たちの前に公に現れて下さる時、即ち来臨の直前に、私たちは携挙されるからです!


 聖霊様こそが「終末のエクレシア」を、正しい道へと引導して下さる、霊的な船頭役なる神です。この方に信頼して、私たちは互いに祈り合い、励まし合って前進し、ゴール(御国)に到達することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年5月15日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ

にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する