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終末のエクレシア(No.14)

            型破りのエクレシア




過越祭の六日前に、イエスはベタニヤに行かれた。イエスの為にそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。・・・・その時、マリアが純水で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りで一杯になった。弟子の一人で・・・・イスカリオテのユダが言った。「何故、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」・・・・イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。私の葬りの日の為に、それを取っておいたのだから。・・・・」
                                        【ヨハネ福音書12章1~8節】


「三百万」を巡る論争
 今回の記事に示されるキーワード、それは「高価な物」に対する認知(判断)の仕方です。弟子たちの間で、騒めき立つ程の議論が様々に起こります。三百デナリオンの価値のある、「ナルドの香油」を巡って、非常にヒートアップされた訳です。「三百デナリオン」の価値は、当時の労働者が一年働いて得る報酬(年収)に匹敵します。


 今日の日本の労働者の平均的単価が、約1万円前後と見積もって計算しますと、「三百デナリオン」の価値は、250~300万円に相当します。妹マリヤが、このような大金を持っていたこと自体が、不思議に思えてなりませんが、彼女はいつ準備(工面)したのでしょうか?


 「三百デナリオン」の価値を巡って、弟子たちが騒めき立つのも無理はありません。三百万あったら、どれ程素晴らしい神の働き、麗しい福音の宣教が出来るだろうか?などと考えるからです。しかし今回の記事で、私たちが一番に見るべき重要ポイントは、やはりマリアの信仰行動です。


 実際にマリアが持っていた「ナルド香油」の価値も、私たちが参考として知る情報ではありますが、やはりマリアの持つ「型破り」な信仰の特質、これを先ず知らなければなりません。イエス・キリストが、いよいよ十字架に掛かられるという、その直前の時期に当たって、彼女は預言的な行動、そして型破りな信仰行動に至っていること自体が、物凄いインパクトを与えます。


「ナルドの香油」の使い道
 さて彼女は、この「ナルドの香油」を、いつ買ったのでしょうか?それとも、もともと彼女の家に、以前からあったのでしょうか?それ程に貴重な、三百万円の価値に相当するものを、彼女は一気に使った、つまり全部使い尽くした訳です。と言うことは、彼女の行動の中には、聖霊に満たされた預言的行動、つまり後々のキリスト者に示す信仰行動、そのような聖霊様の働きもありますが、彼女自身は一気に行動し、何の躊躇も無く、イエス様の「御体」に、ナルドの香油を塗ったのです。


 「ナルドの香油」は、物凄い甘美な「香り」をもって、全ての人に「安らぎ」を与えます。実は彼女が今回突然に、イエス・キリストの「御体」全体に塗った、その麗しい甘美な「香り」は、十字架上で死んだ後においても、継続して放たれていました。そして今回から始まった、イエス・キリストの「香り」は、復活後において更に麗しい甘美な流れをもって、世界の隅々に解き放たれました。その結果、イエス・キリストの「香り」を求める者だけが、その「香り」を戴くことになります。


 今後「終末の時代」に遣わされるエクレシアは、様々な「型破り」をもって、彼女同様の信仰行動に移ります。だからと言って、私たちが高価な「ナルドの香油」を、わざわざ準備する必要はありません。しかし覚えて下さい。彼女にしても、使徒行伝時代の弟子たちにしても、強制されたから、或いは上層部の誰かによって、何らかの指示を受けたから、献げ物を多く持って来た訳ではありません。彼らは純粋に、イエス・キリストの真実の「交わり」を求めて、躊躇無く喜んで捧げたのです。


 そういう意味で、今回のマリアの為した信仰行動は、「型破り」の信仰の雛型です。普通でしたら、私たちの三次元的思考では、例えば「〇〇が無くなったら、大変なことになる!」、また「□□があれば何とか生きて行けるだろう!」などと、常に「プラス」と「マイナス」を考え(計算し)ながら生きています。


 ご存じのように「マイナス思考」は、必ず「恐怖」の連鎖(罠)に陥ります。「マイナス思考」は、更なる「マイナス思考」しか生みません。それ故に、私たちは精神的に落ち込むのです。ところが聖霊様は、「在るか無いかの次元ではなく、天に居ます神の視点をもって、今のあなたを見なさい!神はあなたに対して、一度たりとも不足の生活や、誰かに金銭を借りるなどの、大変な経験を与えましたか?あなたの歩みの全てを、正しく分析してみなさい!神が全てを相働かせて、益として下さいます。この場合の「益」とは、人間的な「利益」のことではなく、霊的次元における、天より注がれる神の「祝福」のことです。


 私たちは目を転じて、主なる神の「祝福」の中に、霊的に留まり続ける限り、たとえ一時的に、何らかの不足が生じたとしても、私たちは肉の次元に、留まるべきではありません。そうです!私たちは今(現実)の「不足」を見るのではなく、神が必ず用意される、先の「祝福」を待ち望むべきです。


三つの「認知力」
 今回、私たちが霊的に学ぶべきポイントは、三種類の「認知力」に関することです。第一の「認知力」は、①肉なる(肉体的)認知力のことで、現実を様々に見て、三次元的に捉える(判断する)ことです。第二の「認知力」は、②魂的(精神的)な認知力のことで、その人が今まで培ってきた、様々な「経験」や「歩み」など、それらによって育まれてきた感情によって、対象物を判断しようとします。


 第三の「認知力」は、罪を犯す以前のアダム(エバ)に与えられていた、本来の素晴らしい天的能力で、③霊的な認知力のことです。自己中心的に自分の「思い」から、様々に捉えることではなく、他者の視点に立って、客観的に捉えることです。例えば、主なる神が自分をどう対処して下さるか、どのように導いて下さり、取扱って下さるかという、神の「御思い」をもって、今の様々な現実の出来事も、主なる神の主権に委ねること、また主なる神の「ご計画」の中で、霊的に分析して行くこと、これが霊的な認知力と言います。


 今回のストーリーは喩えるなら、平和な食卓の中に突然、「爆弾」が投げ込まれた出来事でした。マリアが突然に、大事な壺(小瓶)を携えて、イエス・キリストの御元に近付いた訳です。つまり「ナルドの香油」の入った壺が、その場に居合わせた人々の、度肝を抜く程の爆弾になったのです。


 ところで「一リトラ」という単位は、当時のイスラエルで使用されていた、質量を測る単位のことです。具体的には326g(ml)の質量で、湯呑茶碗で言えば、約二杯半分の液体に相当します。では326g(ml)分の、実際の「ナルドの香油」の価格は、聖書に「三百デナリオン(当時の労働者の年収に匹敵する)」と記されています。


 現在(2022年4月10日時点)の「ナルドの香油」の価格は、15ml当たり1万円近くの相場ですから、326g(ml)分を計算して、約二百数十万円と言うことで、平均的な低所得者の年収に相当します。弟子たちが騒めき立つのも無理はありません。今の日本、どうですか?物凄い勢いで、日本政府は気が狂ったように、借金を膨らましています。殆どの日本人が、この事実に気付いていません。


 「ワクチンは無料である!」と錯覚して、何度も接種していますが、全てが将来の日本国民に、爆弾の如くに落ちて来る税金です!それを今、数百兆円に上る程使っています。東日本大震災の復興資金に当てた税金は、未だもって返済し続けています。それだけでも大変なのに、日本は将来どうなるのでしょうか?恐らく給料の半分以上が、税金として自動的に徴収されるのではないでしょうか!


 彼女の突然の行動を見て(認知して)、弟子たちの中にはいきり立って、次のように怒った者もいました。「何故イエス様は、彼女の行動を制止して、正しい行動を取るようアドバイスしないのか?このナルドの香油を、正規の価格で売って、その売ったお金で、彼女自身が多くの貧しい人々を助けるなど、正しく使ったのであれば、素晴らしい神の国が現れるはずだ!」と。


 このように、マリアの為した型破りの行動の結果、三種類の認知(捉え方)が生じました。例えば「現実」を見て、「これは駄目だ。この高価なものは、一気に使うのではなく、別の方法で正しく使えば、もっと麗しい働きが出来るのに・・・・」などと考える(判断する)、これが肉の「認知」です。


 しかし、第三の霊的な「認知」の場合は、主なる神が如何なる「思い」をもって、彼女の信仰行動を祝福し、そして彼女をそのように導いたのか?と判断した者は、弟子たちを含めて皆無でした。では誰が第三の霊的な、正しい「認知」をもって判断したのでしょうか?イエス・キリストだけでした。イエス様だけが、正しいガイダンスをもって、彼女の信仰行動を祝福しました。


型破りの信仰行動
 彼女の型破りの信仰行動から、私たちは霊的に教えられる必要があります。先ず覚えて戴きたいことは、肉なる認知力によって判断すると、何ら正しい「答え」には至らないことです。肉なる判断によって解決出来ない場合、次は魂的な認知力をもって、ある程度は捉えるこが出来るでしょう。しかし一向に先(正しい答え)に進みません。何故なら私たちの「思考」の中には、未だ魂(感情)的な部分が残っている為、主なる神の「御思い」を、正しく知ることの出来ない霊的な「隔ての壁」、即ち罪の意識がある故に、この罪意識というの霊的束縛故に、物事を様々に見ようとします。その結果マリアの信仰行動を、ストレートに祝福できない訳です。


 例えば目の前の現実に、突然ある人が倒れかけて、空腹の余り動けない状態を見たとします。自分の懐には、家で待つ幼い子供たち食べさせるべく、夕飯の準備の為の数千円のお金しか所持していない、そんな矢先に、突然想定外の出来事が起きました。さあ、どうしますか?実際に私たちは、口では立派な言葉を述べます。「目の前の人を助けるのが、本当の人道支援だ!」などと。


 殆どの人が一時的に、何らかの「助け」を為しますが、全面的に責任をもって、関わるところには行き着きません。何故なら私たちは、生き方の根底の中にある、様々な肉の判断や、魂的な感情をもって、認知力に制限がかかるからです。その時にマリアのように、後先も考えずに行動することは、普通は考えられないことです。


 しかし、実は今回の彼女の型破りの行動は、聖霊に正しく導かれながら、全てを事前に祈って計画していたことです。自分自身の全てを捧げ尽くすという、聖なる「思い」をもって、彼女は「その時」に備えていました。ラザロの復活を見たから、突然に準備した訳ではありません。イエス・キリストとの出会いが、彼女の生き方を変革したのです。そしてラザロの復活という、ついこの前見た奇跡の体験が、彼女を確信に至らせました。


 そして「その時」、恐れず(躊躇せず)に実行したのです。「香油」をイエス様の為に捧げるべく。彼女にとって、「香油」の使い方は一つだけでした。麗しい最高の「香り(フラグランス)」として使用するのです。しかしそれをイエス・キリストの「御体」の、全てに塗ってしまったら、「香水」の液体自体が無くなる訳ですから、何の価値も無くなります。


 私たちの認知力には、三次元的な限界がある為に、今の現状を見て「マイナス」と捉えた場合、マイナス思考の「罠」に陥るため、「もうそれで(使い切ったら)終わり!」と認知します。それ故に弟子たちは、有効的なプラスの方法を提案した訳です。ところがイエス・キリストは、「マリアは、私の為に全てを捧げるべく、これ意外に方法は無い!という、聖なる思いから行動したのだ。香油の価値が問題ではない!何の為にそれを捧げたのか、これを彼女は正しく認知していたのだ。」と、彼女の信仰行動を受け入れのです。


 現実は、確かに「マイナス」になりました。三百万の「香油」が、一気に無くなる訳ですから。しかし何が残ったのか?「香り」です。「終末のエクレシア」を通して、何が大きなリバイバルの発火点になって行くのでしょうか?答えは「香り」です。イエス・キリストの「香り」です。私という「香り」ではありません。私が何か大きな奇跡を為した、何か凄い人道支援をしている、あの教会は物凄い程の、素晴らしい伝道の働きをしている、多くの人々を癒している、それらは人間的な「香り(栄光)」です。


 イエス・キリストの「香り」を、至る所において放つ為に、「終末のエクレシア」が必要となります。如何なる犠牲も厭わない信仰が、私たちにも試されます。あなたが持っている神に対する「熱情の愛」、イエス・キリストに対する強い「思い」、これらが「香油」となるのです。それがイエス・キリストの御体に、完全に塗り聖められ一体化する時に、イエス・キリストは喜んで、ご自身の「香り」を解き放って下さいます。


 すると、どうなるのでしょうか?全てを失ったとしても、決して怖れなくなります。自分の死という、恐ろしい「臭い」は気にならなくなり、肉体的拘束から解放されて、イエス・キリストの「香り」の中に、自分は生きたい!という、強い「思い」を抱きながら、多くのキリスト者が殉教の道を選び、御国へと凱旋して行きました。そして遂に、イエスキリストの「香り」を嗅いだことでしょう。


 私たちも「終末」という、大変な時代の中に生かされていますが、確かな「希望」があります。もし私たちが、確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、私たちこそキリストの「香り」を放つエクレシアです。どうか更にキリストを、激しく追い求めて下さい!激しく飢え渇く、あなたのイエス・キリストに対する「香油」が、聖霊様を通して豊かに用意され、そしてあなたの型破りの信仰行動によって、イエス・キリストの「香り」が解き放たれることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年4月10日メッセージ)


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