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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.13)

        屋根を解体するエクレシア




ある日のこと・・・・主の力が働いて、イエスは病気を癒しておられた。すると、男たちが中風を患っている人(友人)を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦を剥がし、人々の真ん中のイエスの前に病人を床ごと吊り降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。・・・・そして、中風の人に、「私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。
                                          【ルカ福音書5章17~26節】


解体工事を始めた友人たち
 先回のザアカイと違って、「中風」を患う今回の主人公には、「助け手」となる数人の友人がいました。ですから大勢の群衆に阻まれる中にあっても、ザアカイ同様に彼らは、何としてでもイエスの元に辿り着くべく、突拍子も無い行動に移ります。


 彼らは為す術も無く諦めたのではなく、逆に二次元(水平展開)的手段を捨てて、三次元(垂直展開)的な位置から進めば、何とかなるだろう!と確信し、その屋敷の屋根に登ったのです。この点に関しても、ザアカイと同様の行動です。つまり、イエス・キリストが居ると予想される、その真上の位置から侵入しようとしたのです。


 しかし「現実」のその位置には、頑丈な屋根があるだけです。「天窓」などの進入口がある訳ではありません。普通でしたら、大抵の人はその時点で諦めます。しかし彼らには、諦める暇もありませんでした。ですから彼らは、尋常ならざる行動に出ました。そうです!屋根の解体工事です。解体専用の工具を準備していませんでしたから、手頃なハンマーやバールに代わる、何らかの道具をこしらえて、上の部位から順番に剥がして行きました。


 今の時代でしたら、突然の事とは言え、不法的な破壊行為は、直ぐに警察に通報され、強制連行されるのが落ちです。しかし「その時」の彼らには、そんな常識的判断は一切なく、皆で横幅1m×長さ2m程の範囲(面積)を、一生懸命に剥がし始めたのです。当然のことながら、屋根は頑丈に出来ていますので、解体するのに時間を要しました。


 その間に、屋敷の者が現場に登って来て、彼らの作業をストップさせるかも知れません。ところが、彼らは断固として作業を継続し、遂に「中風」の友人を担架に乗せて、屋根から吊り降ろしたのです。イエス・キリストは、彼らの大胆な行動を見て、感嘆かつ驚愕したのです。彼らには「自分の友をイエスの元に届ければ、必ず何とか成る!」という、確固たる信仰が垣間見えたからです。


 そして、次のように言われたのです。「あなた方が持っている、様々な思い煩い、罪責感と後悔など、その心の根源にある罪の全ては、今直ちに赦されている!もう心配する必要は無い。」と。大勢の人にとって、この言葉の意味(真意)が分かりませんでした。しかし彼らは、イエス・キリストの「命の言葉」を、明確に受け取って、イエスの「癒し」を屋根の上から見守りました。


立ちはだかる巨大な壁
 実は今回のストーリーの中に、私たちが霊的に考え直さなければならない、ある重要な奥義が示されています。ご存じのように「今の時」は、立ち行くことの出来ない規模で、世界的に物流をストップさせる、「巨大な壁(闇の力)」が世界経済を遮断しています。また霊的には更なる巨大な壁が、「恐怖」という大津波として押し寄せる為、世界中の人々が精神的に病んでいます。


 しかし彼ら友人は、頑丈な屋根の構造を「壁」とは捉えず、上(天)に行けば何とかなる!と捉えて、即行動に移ったのです。そうです!彼らは「現実」を見て、不可能!と捉えるなどの不信仰に陥ることなく、天を見上げて神の「御力」に依り頼む、一途な信仰行動に懸けてみたのです。


 彼らの解体工事が始まると同時に、凄まじい程の「混乱」が生じた、屋敷の一階の客間において、イエス・キリストだけは物静かに、彼らの行動の一部始終を、じっと目で追いかけ、耳を澄まして捉えていました。そして遂に天井から光が差し込み、大きく剥がれた空間から、担架が吊り降ろされた瞬間、イエス・キリストは屋根に居る、彼らに語りかけました。「君たちは、とにかく凄い!君たちの罪の数々は、父なる神は今、全てをお赦しになって、君たちの行動を義と認めて下さった。」と。


 信仰とは、望んでいる事柄が、たとえ目に見えなくても、それを既に得ているかの如くに、信じて受け取ることです。彼ら友人は、今という「現実」を超える、偉大なる神の御業、即ち見えざる「神の事実」を信じて、イエス・キリストの元に、大切な友を託したのです。そうです!イエス・キリストに、全ての救い(問題解決)の糸口があり、全ての「病い」を癒す力があるのです。


「罪」の全てを解体するイエス・キリスト
 ところで、イエス・キリストは何故、彼らに対して「あなた方の罪は、今赦されている!」という、一見場に合わない返答をされたのでしょうか?私たちには、このイエス・キリストの言葉が理解できません。「え!どうして罪が関係あるの?」と。実はここに、私たちが今後宣教に出かけて行った時に被る、大きな衝撃(壁)に備えるポイントがあります。


 それは、イエス・キリストの「奇跡」や、「病い」の癒しを求める者に対して、私たちが果たして、イエス・キリストと同様に「あなたの罪は、今赦されている!」と、明確に宣言できるか?という点です。私たちは先ず、語った言葉に対する、対象者の「反動(反応)」を恐れることでしょう。


 罪とは、ご存じのように「的外れ」を意味します。本当の正しい「生き方」から逸脱し、むしろ背中を向けて歩き始めることです。中風の友人の「罪」も含めて、私たちが持っている「罪」の本質は、自分が犯した業の過失(過ち)の如きものと、私たちは捉えがちですが、神の側にとって「罪」の本質は、あくまで関係性が如何なる状態、つまりストレートな関係なのか、それとも条件付きの関係なのか、それを見られるのです。


 彼らも当初、立ち塞がる様々な「壁」の現実を見て、「あーもう駄目だ!」などと、神に対する信仰から離れるなど、罪意識があったはずです。しかし彼らに「知恵」を与え、道具を用意し、「障壁(屋根)」に立ち向かう(解体する)、上よりの「勇気」を与えた方は聖霊様でした。


 そんな彼らの霊的変革を見て、イエス・キリストは明言したのです。「あなた方の罪は、今赦されている!」と。即ち彼らの行動を認め、義(神にあって正しい!)と認めたのです。そして、中風の彼に対して三つの言葉(ご命令)を発したのです。「①床から立ち上がりなさい!②歩きなさい!③床を担いで家に帰りなさい!」と。イエス・キリストのこの言葉は、彼を健常者、つまり既に癒された者の如くに、取扱って命じている言葉です。


 すると、イエス・キリストの言葉に聞き従った彼は、驚愕する群衆の真ん中を、踊りをもって賛美しながら、堂々とその場から立ち去ったのです。私たちも、この場に居たらワクワクするでしょう!これから起きるリバイバルは、これと同じ事が起きるからです。今回の奇跡のストーリーは、今の時代の三次元的な巨大な「障壁」を前にしても、イエス・キリストが居て下さる次元に、私たちが座し続ける限り、必ずイエス・キリストは、「罪」の全てを完全に解体(打破)されるのです。


 そうです!天の御国は、激しく奪う(打ち叩き続ける、解体し続ける)者に、上よりの力をっもって与えられます。本当の信仰が試される時代の中にあって、霊的覚醒した「祈りの戦士」が、次々と興されています。私たちも彼ら同様に、聖霊様が与えて下さる、霊的に激しく奪い取る信仰をもって、今の時代を牛耳る暗闇に対して、ことこどく解体(破壊)して参りましょう!イエス・キリストの御元に、多くの病人を連れて行けば、必ず「癒し」と「救い」の御業が現れるからです。


  あなたが「終末のエクレシア」の戦士として、益々「霊」に燃え、また聖霊様を通して研ぎ澄まされた、霊的大収穫の働き人として、更に召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年4月3日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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