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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.6)

     エクレシアの希望の「しるし」




あなた達の居る家に塗った血は、あなた達のしるしとなる。血を見たならば、私はあなた達を過ぎ越す。私がエジプトの国を撃つ時、滅ぼす者の災いはあなた達に及ばない。この日は、あなた達にとって記念すべき日となる。あなた達は、この日を主の祭りとして祝い、代々に渡って守るべき不変の定めとして祝わねばならない。
                                       【出エジプト記12章13~14節】


「サイン(しるし)」の重要ポイント
 今の世界情勢には、様々な「しるし(サイン)」が現れ出ています。ご存じのように「サイン」は、例えば交通標識のサインに見られるように、決して見逃してはいけない重要なものです。「しるし」は第一に、①正しく見る(捉える、認識する)ことが重要です。そして第二に②「しるし」の意味を、正しく判断する時にこそ意味(意義)がある、つまり正しい行動につながります


 この二つの重要ポイントは、誰もが知っていることですが、これが中々出来ないのが、今の世界情勢で起きている様々なサインです。しかし私たちキリスト者は、世界情勢の「しるし」ばかりを見るのではなく、先ず何よりも見るべき「しるし」は、「神の時」が今、どのような時にあるのか?つまり「霊の眼」をもって、今の時代を正しく捉えることが肝心です。またその「しるし」を通して、何が自分に語られている(示されている)のか、また神の「御声」を聞き逃すまい!と欲する、謙虚な「霊の耳」を持たなければなりません。


 そうです!神の「しるし」を、終末に生きる私たちキリスト者も、聖霊様を通して示して戴き、エクレシアにとって重要となる「しるし」を、神の「御力」をもって、人々に大々的に提示してゆく務めがあります。「終末のエクレシア」には、神の偉大なる「御業」を通して、神の「栄光」が必ず現れ出ます。その「しるし」とは、果たして何でしょうか?


キリストの「血潮」というサイン
 それは、単なる「リバイバル」を、ゴール(目標)としていません。端的に言うならば、それはイエス・キリストの「血潮」の力ある「現れ」です。イエス・キリストの「血潮」が、物凄い程の「御力」を有し、この「血潮」のみを仰ぎ求めるだけで、全ての「病い」だけではなく、あらゆる「問題」「災い」「呪い」等から、たちどころに解放され、救われる(贖われる)、その「しるし」となります。


 「生命(命)」が救われることこそ、偉大なる「事実(出来事)」はありません!全ての人々の「命」の救いの為に、犠牲となるべき「血潮」があったという「しるし」、これを世の人々の殆どが知りません。イエス・キリストの十字架の「死」は、単なるローマ帝国という権力者側から見て、邪魔な存在(反動分子)だから処刑した、即ちイスラエルの民に対する「見せしめ」という、人為的サインではありません。


 イエス・キリストが、弟子たちに明言されているように、それは小羊の「生贄」が無ければ、全ての者が神の「救い」に、漏れること無くあずかることが出来ない為、十字架上に於ける最大の死(生贄)を、父なる神の御心に従って、御子イエス・キリスト自らが選択した!というサインです。そうです!イエス・キリストは、あえて父なる神の「救い」を見せる為に、十字架上で「血潮」のサインを示された(流された)のです。しかし、十字架上から流された「血潮」は、イエス・キリストの「死」で終わりではありませんでした。


過越しの「しるし」
 イスラエルの民がエジプトを脱出する直前に、各家(屋敷)の二本の柱と鴨居に、一頭の小羊を屠り、その流れ出る「血」を聖別して、満遍なく塗るように!と、主なる神は命じられました。ここで覚えて戴きたい点は、誰が喜んで無垢な小羊を屠り、おどろおどろしく流れ出る血を、ペンキの如くに塗るでしょうか!大抵の人々は、血を見たら卒倒するか、その場を離れます。それ程に多量の「血潮」の色合い(しるし)は、人々を震え上がらせる、何らかの力を持っています。つまり大量の「血潮」のサインが、「死(命が亡くなった!)」という、明確な「しるし」を意味するからです。


 イスラエルの全家は、主なる神の指示通りに、小羊の「血潮」を屋敷の出入口(門)にある、二本の柱と鴨居に塗りました。その結果、主なる神のエジプト全土に及ぶ、最後の「災い(全ての生き物の初子の死)」は、イスラエルの全家を過越しました。何故、過ぎ越されたのでしょうか?小羊の「しるし(死のサイン)」があったからです。私たちは、この小羊の「血潮」の奥義を信じて、エクレシア(キリストの御体)に連なる神の民として、霊的なサインを受け取る時に、今も尚イエス・キリストの「しるし」が、最大の神の「救い」のサインとなること、これを同様に体験して行くのです。


 「今の時」は、イスラエルの民がエジプトを脱出する、その直前の時と何ら変わりません。悪魔サタンを筆頭とする「暗闇の勢力」が、神の作品である「被造物」を、次から次へと破壊し、創造主なる神の「ご計画」を破綻させるべく、表舞台に於いて大暴れする時代です。その中で私たちは、いよいよ「船出(脱出)する時」が、聖霊様を通して備えられていてます。


 その霊的脱出の時に、最後の「しるし」となるのが、イエス・キリストの「血潮」です。これから至る所に於いて、イエス・キリストから離れるなど、霊的な「死」が起きるばかりでなく、生物学的な「死」の現象も多発するでしょう。その原因が「戦争」や「天変地異」、もしくは世界的「パンデミック(奇病)」なのかは分かりません。その時に彼らは、救われる為に何を見る(仰ぎ求める)のでしょうか?


 「今の時」に、私たちキリスト者にとって最大の「福音」、つまり私たちの「霊」ばかりでなく、エクレシア(神の御体)全体に、小羊(イエス・キリスト)の「血潮」が、豊かに注がれている(覆われている)という、この偉大なる「神の事実」を、①全き「確信」と②揺るぎ無き希望に満ちた「誇り」をもって、常に保持し続けるという、この霊的な二本の柱が重要となります。


 神の「救い」となる、小羊の「血潮」を保持し続けるということは、イエス・キリストの「血潮」を信じて、私たちの「信仰」の土台(鴨居)の上に、霊的に注ぎ続けることです。そうすれば、この「終末」の時代に於いて、私たちキリスト者は、圧倒的な神の栄光が現れる、「終末のエクレシア」として召し出されます。そして「リバイバル(大収穫)」の時には、遂に私たちが「注目される存在(群れ)」となります。


「血潮のサイン」を高く掲げる時
 エクレシアは如何なる面において、その動向(姿勢)が注目されるのでしょうか?それは「血潮」を恐れない姿勢です。何故ならキリスト者は、真実の生贄なる方、小羊イエス・キリストの「救い(贖い)」を、その流された「血潮」によって得ているからです!余談になりますが、日本各地にある神社の「鳥居」は、過越祭の「しるし」である、血潮色に染まった「二本の柱と鴨居」の形状(デザイン)に、非常に似通っています。ちなみに「トリイ」という発音は、古代ヘブライ語で「門」を意味します。


 そうです!「門」とは入口のことです。今の時代に必要となるのが、やはり霊的な「トリイ」、即ち「救いの門」です。私たちの信仰の「トリイ(二本の柱と鴨居)」には、イエス・キリストの「血潮」が、豊かに注がれているか否かが、非常に重要となります。イエス・キリストの「血潮」こそ、全ての「救い」の源です。この血潮に「真実の命」があり、永遠の命に至る「真実の力」が、溢れるばかりに漲っています。


 聖霊様は、私たちに厳しく勧告します。「イエス・キリストの血潮は、困った時のしるしではありません!これは必ず、あなたの栄光となるものです。あなたが朝早く起きた時から、夜遅く眠る時に至るまで、豊かに注がれ満ち溢れ、生きる希望をもたらします。また生きる確信を与えるものです。このことを、あなたが更に意識し、そしてイエス・キリストの血潮を、大胆に用いることが肝心です。イエス・キリストの血潮を、あなたが高く掲げることは、多くの人々が知る為の、救いのサインとなります。」と。


 もしエクレシアに、イエス・キリストの血潮の「しるし(サイン)」が無いのであれば、それは「死んだ教会」です。イエス・キリストの「血潮」を用いない、イエス・キリストの「血潮」が賛美されない、イエス・キリストの「血潮」の栄光が現れ出ないのであれば、それは「真のエクレシア」ではありません。


 「終末の時代」は、全ての人々が「恐怖」におののく時代です。しかし私たちキリスト者の場合は、生ける真の神の御子、イエス・キリストを真実に畏れる民です。そして、いよいよエジプト(この世)を脱出するべく、霊的準備が完了する時代に生きています。そうです!神の偉大なる栄光の「しるし」が、遂に現れ出る「その時」に向けて。


 多くの日本人が、神社の「トリイ」を見て、何らかの礼拝行為をするのと同様に、「終末のエクレシア」、即ち聖霊が直々に召し出した、賢いキリスト者の「群れ」は、今後どうなって行くのでしょうか?イエス・キリストの「血潮」を、益々高らかに賛美し、「イエス・キリストの血潮にこそ、真の救いと真の希望があります!」と、大胆に宣言しながら行進して行く時、大群衆がその行進に合流し、大波の如き「群れ」が次々と誕生します。


 その行進の中に「本当の真実のサインがある。真実を無代価で得られるぞ!」と、口から口へと伝播される時に、大きな「うねり」となって、イエス・キリストの「救い」が現れ出るのです!それは必ず起こります。その為に必要なことは、「確信」と希望に満ちた「誇り」を持ち続けること、これが信仰上の霊的「二本柱」であり、その二本の柱に「イエス・キリスト」という、揺ぎ無き「信仰の土台(鴨居)」を据え、イエスの「血潮」を注いで下さい。


 あなたが、イエス・キリストの「血潮」を信じる、その純粋な信仰を通して、確信と希望に満ちた誇りを、常に持ち続けることが出来ますように。あなたが一番に求めるべき「終末のサイン」は、イエス・キリストの「来臨」です。「その時」に向けて、更にあなたがイエス・キリストの「血潮」を、多くの人々の「救い」の為に、豊かに掲示する「サイン(しるし)」として、大胆に用いて、行進することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年1月23日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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