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終末のエクレシア(No.5)

     神の義の「しるし」を見る目




主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。・・・・七日の後、私は四十日四十夜地上に雨を降らせ、私が造った全ての生き物を地の面から拭い去ることにした。」ノアは、全て主が命じられる通りにした。ノアが六百歳の時、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うもの全て、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。・・・・七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。
                                               【創世記7章1~10節】


「神の義」を求めたノア
 今回の記事から示される、第一の重要ポイントは、主なる神に対するノアの信仰が、如何なるものであったのか?また彼の直ぐなる信仰故に、彼の家族全員が、神を通して「義」と認められたことを、私たちは再度知る必要があるという点です。


 義と認めること、これは「認証」の手続きです。やはり主なる神も、私たちの「信仰」の歩みを様々に測られ、じっくりとご覧になられる訳ですが、何を一番に見られるのでしょうか?それは、私たちの「霊」がの欲する次元に関することで、即ち私たちの「霊」の次元が如何なるものを、常に求めているか?ということです。


 ノアの神に対する信仰姿勢は、明らかにストレートでした。ストレートに神に従うことの出来る、霊的特性を持っていたノアは、全ての事に対する神の「御心」は、必ず「その通りになる!」と信じて、決して疑いませんでした。また彼は、神の「義」は常に正しい!ということを信じ、常に渇き求め続けました。聖書には、神の「義」を示す言葉として、神の「右手」が用いられます。同様に、人に対する「正しさ」を証明する際にも、認証の手続きとして「右手」を用います。


 「正しさ」という概念は、喩えて言うなら純度「百%の真水」、または強度「百%の鉱石」の如きもので、普遍の「正義」を意味しています。神が「義」と認めた時、それは永遠に続く「正しさ」を表すのに対し、人の持つ(自負する)「義」の場合、それは限定的であり、「時」と「所」如何によっては、変貌する性質があります。


 しかしノアの場合は、人に対する「正しさ」よりも、神に対して如何に真摯、即ち忠実であるべきか、また神の「御心」を常に求めるなど、神に対する「義」を優先しました。それ故に主なる神は、ノアの直ぐなる信仰を見て、「義」と認められたのです。


 ノアの家族は、今回の神の「ご命令」を通して、霊的にも肉体的にも、物凄い「呻き」をもって取扱われました。先ず「予算(必要経費)は、どうしたらよいのか?」などと、彼らは物凄く悩み苦しみました。にも関わらず、彼らは淡々と造船工事に勤しみました。何年かかるか計算しないまま、何とか成る!と信じて。



 「ノアは、全て主が命じられる通りにした。」(22節)と記されているように、これが父なる神が「義」と認めるに至った、ノアの信仰行動でした。彼のストレートな信仰は、喩えて言うなら「命の水」を流す、通り良き管の如きものであり、この場合「命の水」とは、神の「御心」のことです。今の時代は、自分の「義」を正当化したり、自分の「義」のみを求めるなど、「自分(自己中心)」のセクト(縄張り)を、熱心に造り上げ続ける、曲がった時代です。 しかしノアの如くに、主なる神の「御心」のみが、自分の全てを生かして下さる!という、確固たる信仰に立って、私たちは「神の国」と「神の義」を、先ず第一に求めましょう!


神の義の「しるし」を見る目
 さて①「モノ(箱舟)」は完成しました。そして②食糧も準備しました。この時に「しかし(だけど)・・・・」と思うのが、私たちの「常」なる思考です。そうです!私たちの信仰の歩みにおいても、例えば「主よ、私はあなたの命令に従って、聖霊のバプテスマの恵みを授かりました。そして霊的収穫の時の為に、いよいよ出陣する備えが整いました。だけど(次に何が起きるのですか?)」などと、事に急ぐ「焦り」があります。今の世界的恐怖の時代の中で、無力な自分を見ては、本当にそんな事が起きるのだろうか?と、様々な疑心暗鬼に駆られるからです。


 主なる神の「しるし」を見る目とは、如何なる目(眼)のことでしょうか?「終末の時代」に備えるべき、神の偉大なる「エクレシア」が、デボラやエステルの信仰の如くに、物凄い圧倒的な勝利の「しるし(御旗)」を、常に掲げる程の大戦士となる秘訣は、まさしく神の「しるし」を見る目です。最近、日本列島全体で多発する、震度3以上の地震現象を(テレビ報道から)見て、「なんや(日本は)おかしくなって来たねー!」と思うこと、これは「肉の目」で判断する「しるし」です。


 しかし「霊の眼」の場合は、いちいち地震が起きたからと言って、何か変なことが起きるとは考えず、イエス・キリストが言及したように、「そんなことが起きることは、既に決まっている!ことであり、昔から起きている。」と判断します。ですから、私たちは恐れる必要は、全くありません!


 主なる神が命じられた「七日」の後に、果たして何が起きたのでしょうか?実際の事実(出来事)として、「大雨」が降り始めました。世の人々にとっては、ただの雨に過ぎませんでしたが、ノアは明確に「神の事実」として捉えました。つまり「大洪水」につながる、神の「しるし」が成就した!と。今の「終末」の時代にも、この神の「しるし」は必ず現れ出ます。「後の雨」という、霊的リバイバル(大収穫)として。「雨」が降ることは、リバイバル(収穫)に至る「兆し(しるし)」です!


 リバイバルに関して、霊的に勘違いしてならない点は、主なる神が為さる次元が、一つの小さな「石ころ」からでも、麗しい「神の宮(エクレシア)」を建て上げることです。そうです!私たちがノアの如くに、神の「ご命令」に対して、ことごとく忠実に聞き従い、その通りに実行することを通して、神は「雨」を降らせ、収穫の時に多くの実(救われる魂)を用意して下さるのです。


七日の後の「しるし」
 七日の後の「しるし」には、二つの「神の事実」があります。第一の「神の事実」は、神の「救い」に招かれた生き物たちが、箱舟の中に自らの意思で入って来たことです。この出来事を、あなたは信じることが出来ますか?「え!今の世界的炎いにより、恐怖に縛られた時代の中で、本当に真実の神を求める人がいるのですか?むしろ多くの人々が、偽救世主(666)が来た時に、簡単に信じてしまうでしょう!」と否定的になって、何の「備え」もしない愚かな乙女は、神の「救い」に招かれることはありません。


 しかしノアの如くに、たとえ如何なる時代や、大変な状況下にあっても、神の「御言葉(預言)」を信じて、①箱舟(エクレシア)を完成し、②そこに「命の糧」を準備する時に、「神の国」の福音を聞いた多くの「生き物」が、神の「救い」を求めて、自らの意思で集まって来るのです!この信仰に至るには、やはり明確な「確信」が必要となります。そうです!私たちが「確信」と、希望に満ち溢れた「誇り」とを持ち続けるなら、私たちこそが「神の家」、即ち真の「箱舟(エクレシア)」となるからです!


 第二の「神の事実」は、大雨の「しるし」を見て、ノアの家族はどのように捉えたのか?という点です。彼らはその「しるし」を、大洪水の「始まり」と捉えました。それに対して世の人々は、単なる大雨(一つの気象)に過ぎないと考えました。「神の義」のしるしである大雨は、神が七日という「時のしるし」を終えて、ゴーサインを発信されたら、古い地を一掃する程の「大洪水」が起きます。


 神の「救い」となる「箱舟(エクレシア)」は、必ず私たちの直ぐなる「信仰」を通して、主なる神が完成して下さいます。では、私たちはどうすべきでしょうか?「肉の眼」で見るという、三次元的縛りから解放され、「霊の眼」と「霊の耳」が、更に研ぎ澄まされることを、必死に求めて参りましょう。


信仰が無ければ、神に喜ばれることは出来ません。神に近付く者は、神が存在しておられること、また、神はご自分を求める者たちに報いて下さる方であることを、信じていなければならないからです。信仰によって、ノアは未だ見ていない事柄について神のお告げを受けた時、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。【ヘブル書11章6~7節】


 主なる神が「命の言葉」を発信されたら、必ず「正しい(その通りになる)!」と受け留めることが、非常に大切となります。たとえ「今」起きていなくても、「先」にある見えざる「神の事実」を、既に「これは必ず起きる!」と信じて行動する、即ち「起きた時」に間に合う、通り良き管(器)として、私たちは聖霊様を通して、更に整えられて行くことが大事です。


 確かに、先にある事実は分かりません。しかし霊的な「七日の時代」に、今!既に入っていることは確かです。もしかしたら初日の、「第一日目」の時かも知れません。私たちが是非覚えておくべき点は、大祭司なる主イエス・キリストが、私たち「エクレシア」の船長として、いよいよ船出している今のこの時に、私たちは「確信」と、希望に満ち溢れたれた「誇り」とを持ち続ける限り、私たちこそが「箱舟」である!ということです。


 そうです!主なる神がゴーサインを発信する限り、至る所から「生きもの」が、本物の「箱舟(エクレシア)」を目指して集まって来ます。そして遂に、霊的大収穫に至る「雨(後の雨)」が降り始めます。ですから、私たちは「神の家」として、大祭司イエス・キリストと共に、いつも父なる神の「御顔」を仰ぎ求めながら、「その時」を待ちましょう!また「その時」に間に合うべく、更に整えられて参りましょう!


 「賢い乙女」として、益々霊に燃えて祈りましょう!「聖なる油」を絶やすことが無きよう、熱心に祈り続けましょう。敵サタンは更に激しく、世界的「災い」を引き起こしながら、多くの人々を霊的に撹乱し、「恐れ」をもって騙そうと試みてきます。しかし私たちは、一切恐れる必要がありません!


 あなたの「霊の眼」が聖霊様を通して、更に「聖い状態」へと造り変えられ、「神の国」と「神の義」を、神が示して下さる正しい「しるし」として、「今の時」に確実に掴むことが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年1月23日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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