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終末のエクレシア(No.2)

    あなたに対する神の「デザイン」




神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、全て肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「全ての肉なるものを終わらせる時が私の前に来ている。・・・・
あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。・・・・箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし・・・・それを仕上げなさい。・・・・また、一階と二階と三階を造りなさい。

                                                       【創世記6章12~16節】


神の「デザイン」を求める年
 新しい年(2022年)が始まりました。主なる神はこの一年、私たちキリスト者に対して、どのように激しく臨むのでしょうか?私たちは「その時」に、どのように造り変えられて行くべきでしょうか?主なる神が一方的に為される、「恵み」の取扱いもある訳ですが、神はご自分の「王国(御国)」、即ちこれから完成しようとされる、新しい「天」と「地」を、実は愛する「あなた」と、共に建て上げたいと望んでおられます。


 そうです!「あなた」が望む、信仰の「秤り」に応じて、主なる神は聖霊様と共に、「設計図面」を描きながら、あなたの「住まい」の完成を目指して建築中です。それ故あなたは、その信仰の「秤り」をもって、「助け主」なる聖霊様に対して、この新しい年の「始まり」の時に、「どうぞこの一年間、神のデザイン(設計図)を、豊かにお示し下さい!私も共に、信仰のデザインを描きたく存じます!」と、大胆に祈り求めて行きましょう。


 主なる神はあなたに対して、ご自身の偉大なる「設計図」を、その信仰の「秤り」に応じて、必ず用意して下さることを、先ず覚えようではありませんか!施主である神は、分譲マンションを建てて、「はい、〇〇〇号室に入りなさい!」と、一方的に事を進める方ではありません。愛する「あなた」と共に、新しい「住まい」を完成したいのです。それ故に主なる神は、あなたに対して信仰上の質問を投げかけます。「この新しい年に、あなたは私に対して、如何なるデザインを求めつつ、私の完成図を要求しますか?」と。


 同時に聖霊様は私たちに対して、次のように問い質されます。「あなたの先にある次元は、この世の人々と同じ肉の次元ですか?あなたの望むべきゴールは、神が完成する新しい天と地です。古い天地に何が待っているのですか?世が与える金銀、財力、繁栄、健康ですか?否!ノアを見なさい。彼は決して、世の次元に生きる者ではありませんでした。」と。ノアの如くに、「この世」から変人扱いされる次元が、神の正しい「ゴール(デザイン)」です。


 サタンが提供する、三次元的「見せかけ」の次元に、私たちは騙されてはなりません。「神の事実」は、決して「現実」の中にありません。「現実」を遥かに優った、「霊の次元」の中において、素晴らしい天の「祝福」を、父なる神は用意して下さいます。そうです!「神の事実」は推し測ることが出来ず、また探り極めることの出来ない、見えざる神の次元を通して、天上にある「豊かなもの」を、私たちに用意して下さるのです。それ故にあなたは、今回のメッセージを読んだら、主なる神が与えるデザインを、直ちに求めて下さい!一人一人に、素晴らしい神の「デザイン」が、今年も来年も与えられて行きます。


堕落した邪悪な時代
 今回の記事にある、「ノアの箱舟」のストーリーは、誰もが知っている「伝説」の如き、昔話の一つです。しかしそれが、例えば今日の如き、物凄く汚れた時代の中にあって、ノアと同じように、突拍子もない壮大な「デザイン」を基に、実際に巨大な箱舟を造り始めたとしたら、果たして世の人々は、如何なる反応を示すでしょうか?ノアの場合は、神が示したデザイン通りに、単純にやり始めたこと自体が、人々の「嘲笑」の的になりました。「あいつは遂に、頭がおかしくなった!」と。そして彼らは、ノアの元(作業場)に毎日やって来ては、悪口雑言の限りを尽くして、ひたすら中傷します。「もういい加減に止めとけ!」と。


 ノアは何故、神の「ご命令」を忠実に守り通すことが出来たのでしょうか?当時は全ての人々が、堕落の道に突き進む時代でした。益々人々の心の中から「聖なる事」、「聖なるもの」、「聖なる生活」を送ろうとする等、良き習慣が失われた結果、彼らは「悪しき事」を企み、「悪しきもの」や「悪しき生活」を欲する等、邪悪な道に喜んで従う人々しかいませんでした。つまりノアの家族を除いて、全ての者が「堕落した生き方」に、日々明け暮れていた訳です。


 この「堕落」という邪悪な流れは、決して世の人々だけに限ったことではなく、今の私たちに対しても、霊的に汚して行く可能性はあります。即ち「エクレシア」自体が、霊的に邪悪化する可能性がある!ということです。実は世界各地の教会が、霊的に世俗(堕落)化しています。特にローマカトリックの中に、その悪しき流れが増加しています。「神の国」の福音が汚され、世的な「福音」に擦り替わっています。正統的な福音派の教会においても、「聖め」や「罪からの悔い改め」のメッセージが省略され、信者に「受けの良い」説教(講話)のみが語られるなど、「繁栄の神学」が尊ばれています。


 世俗化した教会に従う信者、そして偽教師たちの特徴は、第一に①神の「御言葉」を語りません。聖書の「御言葉」の、受けの良い文言は語りますが、説教の主要な内容は、神の「御心」よりも、人本主義に基づく単なる「ハッピー・メッセージ」のみです。当然彼らは、神に対する「祈り」の交わりよりも、人々との「会話(無駄話)」を優先します。第二に②神の「御心」には決して従いません。神の「御心」の本質が、全て「聖なるもの」だからです。「邪悪さ」を好む彼らにとって、神の「聖さ」は我慢なりません。第三に③神に対する礼拝よりも、人との「交流」や「行事(イベント)」に重きを置きます。彼らは唯一の神にではなく、自分自身が造り上げた、自己中心とい名のイドラ(偶像)の声に聞き従います。


 覚えて戴きたいことは、ノアの時代に蔓延った「邪悪(汚れ)」の流れは、今の時代にも激化する程、堕落した人々を増加させています。では、そのような時代の中にあって、私たちに希望は無いのでしょうか?ノアが選び召し出された如くに、あなたが「今」の汚れた時代に、生かされている理由は只一つ、あなたが神の「エクレシア」だからです。主なる神が直々に召し出し、御名をもって呼び集めた者、それが「あなた」なのです!


 恐らくノアは、当時の堕落した人々の姿勢を見ては、「創造主なる神よ、あなたが造られた世界は本来、このような汚れたものでは無かったはずです。余りにも汚れに満ちた、この世界に私は耐えられません!彼らが、あなたが望む本来の、正しい道に立ち返るには、どうしたらよいのでしょうか?私たちの如き小さな存在にとって、何も出来ない状況でありますが、如何にして彼らに、正しい道を伝えて行ったらよいのですか?」と祈っていたはずです。彼の純水無垢な信仰の「祈り」に対して、主なる神は答えられました。「ノアよ、あなたの祈りは私に届いている。私はあなたの勇ましく、大胆な祈りの全てを聞き遂げるべく、私の救いの計画を、あなたに直々に示すことにしよう!」と。


ノアに示された神の「デザイン」
 そして遂に箱舟という、神の「デザイン(設計図)」が、ノアに対して示されました。当時の長さの単位(尺度)を、今のメートル法に換算してみますと、全長133m×横幅22m×高さ13mになります。ノアが居住していた地域は、当然内陸の乾燥地帯ですから、川に浮かぶ程度の舟ならまだしも、大型船を造る技術はありません。しかし主なる神は、ノアに対して正確な「図面」と、「建築工法」を教え示しました。即ち、巨大な波の水圧にも耐え得る、木造建築技術など、人知を遥かに超えた神の「知恵」が、ノアの頭(脳)に注がれた訳です。


 「その時」に果たして、ノアは如何なる反応を示したのでしょうか?結論から言えば、彼は神の「デザイン」をストレートに受け留め(信じて)、実際に建築工事に着手しました。恐らく殆どの人が「何故、このような巨大な舟が必要なのですか?」と、逆に神に疑問符を投げかけます。この種の反応は、常識的に見ても正常な反応です。


 ところがノアは、自分の「祈り」の答えとして、神の「デザイン」を信仰的に受け留めました。覚えて戴きたいことは、創造主なる神は、ご自分を信頼する民と共に、「共同作業」を進められる方である!という点です。ノアに示された「デザイン」は、とてつもない単位であり、その寸法は詳細過ぎる程に完璧でした。しかし具体的な「建築工法」となると、今まで誰も為したことの無い、巨大な建造物ということで、ノア自身は苦悩し始めます。そして更に神の「助け」を求めて、家族と共に祈り始めました。


 すると神の「デザイン」通りに、事(建築工事)を進めてい行く中で、まるで「積み木」の如くに、各パーツが組み立てられ、時間(年数)は長期に渡るのですが、少しずつ船体が建て上げられて行きます。その中でノアと家族全員が、主なる神と更に親密になり、神が自分たちに「天の力」を賜り、「先のもの」を既に用意し、それが実際に見えて来ることを、一つ一つ確認することが出来ました。


 そうです!主なる神は、私たちの一つ一つの作業に対して、必ず「共同作業」を為されます。しかし「その時」に、私たちの「信仰」が試されます。何故なら、必ず「疑い」と霊的「嫌がらせ」、或いは「迫害」等が同時に起きるからです。2022年の今年に、果たしてそのような事が、起きるのか定かではありませんが、私たちの「霊」は、それが起きることで、自分たちが「本物の信仰者である!」という、揺ぎ無き「確信」に至るのです。


 2022年は、聖霊様があなたに対して、更に激しく臨む一年となります!神の「エクレシア」がリバイバルする時には、必ず「迫害」や「嫌がらせ」、そして霊的な「妬み」が起きます。しかし私たちは、益々主なる神の「御心」を求めて、ノアの如くに黙々と、霊的作業(祈り)に勤しみましょう!


あなたに対する神の「デザイン」
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなた方に知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることが出来るようにし、心の目を開いて下さるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれ程豊かな栄光に輝いているか悟らせて下さるように。また、私たち信仰者に対して絶大な働きを為さる神の力が、どれ程大きなものであるか、悟らせて下さるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天においてご自分の右の座に着かせ、全ての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来たるべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。神はまた、全ての者をキリストの足もとに従わせ、キリストを全てのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、全てにおいて全てを満たしている方の満ちておられる場です。
                                                  【エペソ書1章17~23節】


 これが終末の「エクレシア」、即ち私たちに対する神の「デザイン」です。私たちは未だ「罪」の次元に生きている為、どうしても神の「デザイン」を、ノアの如くにストレートに受け留めることが出来ません。実際にノアに与えられた神の「デザイン」も、三次元的「数値(尺度)」です。当時の常識的「秤」から見て、それは「存在しないもの」です。つまり、見たことも無い「神の事実」です。ところがノアの場合は、神の「デザイン」を、人間的判断から「大きい(無理だ)!」とは捉えずに、神が「必ず成し遂げて下さる事実」として受け留め、日々淡々と作業を継続して行きました。


 さて、あなたはエクレシアとして、如何なる「デザイン」を、神によって描いて戴きますか?パウロは、エペソ書1章において明言しています。つまり①主なる神の「御力」は、どれ程偉大なものであるのか?、また②神の与えて下さる深い「啓示」と「知恵」は、どれ程私たちの生きる次元よりも、遥かに優った霊の次元にあるのか?この「神の事実」に、私たちは期待して行きましょう!また私たち自身が、イエス・キリストの「御体」にまで、達する信仰のレベルに、この一年間造り変えられて参りましょう!


 驚くべき人々の群れが終末の「エクレシア」に、「助け(救い)」を求めて集まって来ます!そして彼らは言います。「救われる為には、どうしたらよいのですか?」と。今がまさに「その時」です。彼らは現実の「苦しみ」、そして「恐れ」や先(将来)に対する「不安」、また「希望」が全く無い時代の中にあって、次のように質問して来るでしょう。「私たちは耐えられない程の、絶望しか見えない毎日の中にあって、あなた方のように日々安心して、堂々と勇ましく生きられる、その方法は何ですか?またその方法を得る(知る)には、どうしたらよいのですか?」と。


 ノアに与えられた神の「デザイン」は、今の時代にも必要となる、主なる神の偉大なる「救い」の設計図です!「あなた」という、神の「御体」の一つは、多くの「魂」にとって必要となる、霊的「箱舟(エクレシア)」となります。それ故に祈り続けて下さい!「この私を、あなたの御体の一部として、どうぞお用い下さい!神の創造のデザインを、霊的に描く者として、私の信仰を奮い立たせて下さい!」と。


 あなたの2022年が、聖霊様と共に働く一年でありますように!「助け主」なる聖霊様が、あなたに必要な神の「知恵」と「御力」、そして「勇ましさ」と「大胆さ」という、天から与えられる信仰の賜物を通して、あなたを終末の「エクレシア」として、更に力強く建て上げて下さいますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年1月2日メッセージ)


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