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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.23)

     目前に迫る「出エジプト」の時




見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」と言うようになる。私は彼らを、私がその先祖に与えた土地に帰らせる。見よ、私は多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、私は多くの狩人を遣わして、全ての山、全ての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。私の目は、彼らの全ての道に注がれている。彼らは私の前から身を隠すこともできず、その悪を私の目から隠すこともできない。・・・・それ故、私は彼らに知らせよう。今度こそ、私は知らせる。私の手、私の力強い業を。彼らは私の名が主であることを知る。
                                                【エレミヤ書16章14~21節】


新たな「脱出の時」
 私たちの主なる神が、アルファ(創始者)であり、オメガ(完成者)なる方であることを、私たちが信仰をもって、正しく知ることが出来ますように!また今の大変な時代の中にあっても、主なる神が如何なる次元をも、遥かに超えた霊的次元の中で、全てを支配し、私たちが行くべき道を、豊かに知らしめて下さいますように!


 今の時代が、主なる神の偉大なる「ご計画」と、また神の「歴史」の中において、どのような「神の時期」にあるのかを、正確に推し測ることは出来ません。しかし今の時代は、モーセが神に召し出され、エジプトの圧政化に苦しむ、イスラエルの民を解放すべく、様々な「しるし」をもって、ファラオを混乱させながら、「出エジプト」の時を見定め、遂には脱出するという、神の偉大なる御業が為された、「その時(脱出の時)」と非常に似通っています。


 ただ違う点が一つあります。彼らはエジプトを脱出した後、直ぐにもカナンに行きたかったのですが、主なる神はそれを「良し」とはされませんでした。何故なら、彼らは神に対して「不平(愚痴と文句)」を吐いたからです。実は今の私たちの現実も、同様に考えて参りますと、私たちは確かに大変な世界的「縛り」と、「苦しみ」の中にあって、精神的ストレスに押しつぶされたり、様々な経済的打撃を受け、生活苦を強いられる等、政府のコロナ対策そのものが、エジプトの圧政と何ら変わりません。


 「神の時」が、いよいよ到来する時に当たり、「賢い乙女」たちは、皆で励まし合いながら、花婿(主人)の帰りの時に向けて(備えて)、「その時」を期待しながら、信仰の言葉を大胆に発します。ところが「愚かな乙女」たちは、「まだ大丈夫よ!今の時は、私たちの為にあるのだから、自分の為に大切に使って過ごしましょう。明日になってから準備しても大丈夫よ!」などと、眠りこけたままです。


 しかし今も尚、イエス・キリストは「真の羊飼い」として、たとえ愚かであっても、一匹の小羊の「救い」の為に、永遠の「滅び(死の危険)」から解放すべく、ご自身の「命」を懸けて下さいます。世の人々は、カナンに辿り着くことも、紅海を渡ることも出来ません。ただ「エジプト」を頼みとして、奴隷の如き状態で生きているだけです。そうです!彼らは今の時代にあって、主なる神が意図される、新しい「脱出の時」が、用意されているにも関わらず、それに気付きもしません。それどころか、その「兆し」にも、目を向けることがありません。


 私たちは、主なる神が進めておられる、今の「終末の時」に、私たちに対する「出エジプト」の時を、主なる神が用意している訳ですが、その中身を正しく学ぶことが、何よりも重要となります。主なる神が計画している、イエス・キリストの再臨の時に、まるで私たちが隠れキリシタンの如くに、ひたすら迫害下に苦しむ、弱小集団の如きイメージで、自分の今の信仰状態を捉えますと、恐らく私たちは、長子なる方イエス様から、お叱りを受けることでしょう。「あなた方は、このような暗闇の圧政下の中で、私が期待するイメージ(有様)と懸け離れている!賢い乙女として、苦難に耐えることも大事であるが、私は今の時代にキリスト者を、デボラやエステルの如き勇者として、霊的に戦い続ける戦士として駆り立てているのだ。」と。


 霊的な戦いとは、私たちが悪魔サタンに対して、実際に勝利を掴むなどの、実戦的イメージを浮かべますが、その「戦い」の真の目的は、悪魔サタン及び悪霊によって、霊的に捕われている人々の、霊的「縄目(縛り)」を断ち切って、実際に彼らの魂を奪還することです。そして主なる神が用意しておられる、大収穫の時に間に合う、「農夫(Farmer)」、或いは「漁師(Fisherman)」「収穫人(Hunter)」として、私たちが「終末の時」に出陣すること、これが霊的戦いの実務となります。


二つの信仰行動
 そうです!「終わりの時」が、いよいよ目前に迫り来る、今のこの時に当たり、重要な鍵となる、ある信仰行動に、私たちは直ぐに移るべきです。それが第一の信仰行動、つまり新しい「出エジプト」の時が、今まさに目前に迫っていることを、信仰的に捉えることです。古い(以前の)「出エジプト」の時は、前述したように彼ら第一世代は、カナンに辿り着くことが出来ませんでした。つまり第二世代しか、カナンに入れなかった訳です。


 「出エジプト」という、神の偉大なる御業の「真の目的」は、脱出すればそれで良い!というものではなく、主なる神が脱出した後に用意される、「ゴール(カナン)」に至るまでの、霊的戦いが非常に重要となります。新しい「出エジプト」の時は、彼らと同じ不信仰の歩みを為していたら、今度の場合は第一世代の「祝福」も、主なる神は用意されません。「その時(古い世からの脱出の時)」を逃したら、サタン同様に滅ぼされるからです。


 今の時に始まる新しい「出エジプト」の時は、古い「出エジプト」の時と違って、ゴールの前に延々と続く、霊的な「聖めの時」が用意されることです。信仰の父アブラハムも、信仰的に「聖めの時」が用意されました。即ち「不毛の地」を選ぶことで、アブラハムが如何なる状況にあっても、神は必ず不変の「祝福」を用意し、彼ら一族を常に生かしつづけて下さることを、彼が正しく知る為です。


 第二の信仰行動は、今回の記事にある、「言う(swear)」(15節)というキー・ワードにあります。この「swear」とは、良い(肯定的な)意味としては①積極的に信仰を働かせて、「主なる神は必ず~して下さる!」と宣言しながら、神に対して真摯な態度を表わしつつ、大胆な行動をして行くことです。しかし悪い(マイナスの)意味として②ブツブツ愚痴をこぼしたり、否定(悲観)的になって不平・不満を吐くなど、全てをネガティブな次元で捉えて、最終的に神を罵(ののし)ることです。


 以前の「出エジプト」の時には、彼らはマイナスの「swear」を、次々と口から吐いたが為に、ゴールに辿り着く前に死にました。しかし第二世代及び南(ユダ)の人々は、先祖(第一世代)の失敗を学んでいましたから、今回別の結果(失敗)を知らされました。つまり北(イスラエル)の背信により、北の人々が祖国(カナンの一部)を失ったことです。


 しかし今回、エレミヤに対して語られた、主なる神の偉大なる「ご計画」、即ち新しい「出エジプト」の時には、敵国(アッシリアやバビロン)の地に、無理に追いやられた(散らされた)子孫たちを、主なる神が直々に呼び集めて、そして故郷の地(カナン)に連れ上る!という、神からの預言の通知でした。そしてこの預言は、実際にゼルバベルの時代に成就し、一時期(4世紀から20世紀始め)「祖国」を失いますが、1948年に再び「イスラエル国」として復活します。


 しかし神の「ご計画」は、未だ終わって(完成して)いません!霊的なイスラエルである、私たちキリスト者が、未だ「散らされている状態」にあります。主なる神の偉大なる歴史の中で、主なる神が用意する、最終ゴールである霊的カナン、即ちイエス・キリストの居ます天(御国)に、私たちが帰還して(辿り着いて)いないからです。


 ですから今回、エレミヤに語られた神の「御言葉」には、新しい「出エジプト」の時が、今も尚継続していて、いよいよ目前に迫っていることが、預言的に示されているのです。つまりエレミヤの時代には、実際にカナンの地を失い、敵国に追いやられ散らされた人々の、信仰復興の後に起きた、神の偉大なる「ご計画」が今も尚、キリスト者の信仰を通して脈々と受け継がれ、ご自身のプランとして進められています。「その時」に重要となるのが、第一世代が犯した「罪」の一端、即ちマイナスの「swear」を、決して吐かないことです。


 そうです!今の新しい「出エジプト」の時に、必要となる信仰行動、それがプラスの「swear」を、継続的に告白して行くことです。具体的には、聖なる「思い(希望)」をもって、私たちは「今の時代」に、主なる神がどのように、これから自分を造り変えて下さるのか、そのことを期待しながら、忍耐して待ち望むべきです。それと同時に私たちの側からも、神に対してある信仰の言葉を告白すべきです。私たちは古い「出エジプト」を、イスラエルの民に対する、神の「導き」と「取扱い」に関して、とかく厳しいイメージを抱きますが、それは既に過去の出来事です!


 私たちキリスト者のゴールである御国が、いよいよ完成しようとしてる、今の時代にあって、こういう時だからこそ、聖き「swear」の言葉が必要です。そうです!聖い「思い」をもって、主なる神の御前で「命」を懸けた、「誓い」の言葉を告白しましょう。敵サタンの「妨害」が激化する中にあって、如何なる「誓い」の言葉を告白するのでしょうか?その為には、イエス様が「終わりの時」に関して、何度も警告しているように、私たちは「人の時」を測る(予測する)のではなく、「神の時」を正しく知る、「霊の眼」「霊の耳」が聖められることが肝心です。


 「敵」の戦略は、人々を「恐怖」から「恐怖」へと縛ることで、偽りの「救世主(666)」の登場の時に、一気に信じこませることです。人々が恐れれば恐れる程、その「恐れ」を解放した者、つまり収束させた者が、救世主となるからです。その中にあって、「今の時」だからこそ、私たちキリスト者が、正確に知るべき次元があります。この苦難の中にあって、「主よ、ゴールが見えませんので、ゴールをはっきりと見せて下さい!」などの祈りも大事でしょう。また「ゴールを見せて下されば、私はゴールを目指して、一気に走り通します!」などの「誓い」の言葉を、安易に語ることも出来ます。しかし、聖霊様が私たちに望んでおられる、聖き「誓い」の告白は、そんな人間的言葉ではありません。


「終わりの時」の働き人とは?
 イエス・キリストが弟子たちを、キリストの「証人」として召し出し、世に遣わされる際に、不思議な言葉を語っています。「全てを捨てて、私に従って来なさい!」と。すると彼らは、聖霊様の「導き」により、イエス・キリストの「御言葉」を信じて、全面的に従ったのです。それ程に神の御言葉が、彼らの「霊」の只中に命づき、彼らの信仰に炎を灯したからです。


 その結果彼らは、イエス・キリストの御言葉通りに、霊的な「農夫(Farmer)」、或いは「漁師(Fisherman)」「収穫人(Hunter)」へと成長します。同様に聖霊様は、私たちキリスト者に対しても、使徒行伝時代の「油注ぎ」をもって臨み、大収穫に間に合う「働き人」として、「今の時」に仕立てて下さいます。もしかしたら私たちは、この日本という「大きな船」から漕ぎ出して、全世界で苦しむ人々に対して、イエス・キリストの真実の「福音」を宣べ伝えるなど、重要なミッションが課せられている、霊的イスラエル部族の一つかもしれません。


 聖霊様が私たちに対して「目覚めなさい!今こそが目覚めの時である。」と、激しく促しておられることに、あなたは気付いていらっしゃいますか?私たちが霊的に目覚めたら、何を為すべきでしょうか?「その時」には、目が鷲の如くに眼光を帯び、口は獅子の如くに大きく開かれ、耳はフクロウの如くに研ぎ澄まされ、霊的な次元を正しく読み解く、霊的感性に富む者となります。偽預言者が巷に増加する中、私たちキリスト者は、真実の花婿なる方、イエス・キリストの「福音」を、聖なる「誓い」として、大胆に発信すべきです。


 「私は彼らに知らせよう。今度こそ私は知らせる。私の手、私の力強い業を。彼らは私の名が主であることを知る。」(21節)とは、主なる神こそが「真実の神」であり、偉大なる創造主であることを、彼らが知ることになる!という意味であり、それは私たちの信仰の「誓い」を通して、他の神々(偶像)に優る、偉大なるイエス・キリストの「救い」の御業が、信じるあなた方の中に存在することを、彼らが必ず知る(見る、気付く、恩恵を受ける)ようになることです。


 覚えて戴きたいことは、使徒行伝時代のリバイバルは、過去に終わった歴史的出来事ではなく、今も尚継続するものであり、信じる私たちを通して、完成されて行くのです。否!使徒行伝時代より、更にスケール・アップした「漁」と「狩り」、そして「大収穫」が、今既に始まっているのです!故に、どうぞ皆さん、次のように祈って下さい!「この私を、あなたの偉大なる大収穫に間に合う、有用な器として捧げます!そして、あなたの栄光の為に、私の全てが捧げられるのであれば、私は命をも厭いません。あなたこそが主であることを、彼らが知る為に、この私を用いて下さい!」と。


私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海も無くなった。更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫の為に着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。その時、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共に居て、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死は無く、もはや悲しみも嘆きも労苦も無い。最初のものは過ぎ去ったからである。」・・・・「見よ、私は万物を新しくすると言い、また書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。また、私に言われた。「事は成就した。私はアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水を泉から価無しに飲ませよう。」勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。私はその者の神になり、その者は私の子となる。
【黙示録21章1~7節】


 この「終末」の御言葉(預言)は、将来起きることではなく、もう目前に迫っている、主なる神のプランです。そうです!「新しい天」と「新しい地」が、イエス・キリストの再臨と同時に降るのです。主なる神は彼らに対する「御怒り」と同時に、私たちには「真実の愛」をもって、叱咤激励の言葉を発しています。「ゴールは目前にあるが、脱出の時に当たり準備しているか?備えは出来ているか?油を絶やす事無く祈っているか?そして信仰の言葉を、大胆に使う訓練をしているか?あなた方の前に、必ず大収穫の時を用意するから、その時が来たら即出かけて行き、彼らと共にゴールに連れ上って来なさい!」と。


 「助け主」聖霊様も、私たちを励ましています。どうぞあなたが、主なる神の偉大なる「御業」と、救いの「ご計画」の中で更に聖められ、神に対する「swear」の言葉を、あなたの聖い信仰の「誓い」を通して、大胆に表明できますように!また聖霊様の取扱いにより、美しく整えられた「キリストの花嫁」として、あなたが更に仕立てられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年7月4日のメッセ-ジ)


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