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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.1)

     あなたこそエクレシアである!




天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち・・・・大祭司イエスのことを考えなさい。・・・・イエスは、ご自身を立てた方に忠実であられました。・・・・イエスはモーセより大きな栄光を受けるに相応しい者とされました。・・・・さて、モーセは・・・・仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ち溢れた誇りとを持ち続けるならば、私たちこそ神の家なのです。
                                               【ヘブル書3章1~6節】


「大祭司」イエスを意識する
 2022年に当たり、私たちは「もし確信と希望に満ち溢れた誇りとを持ち続けるならば、私たちこそ神の家なのです。」(6節)の御言葉にあるように、私たち(あなた)が「神の家」、即ち「エクレシア」として、この終末の時代に召し出されていることを、信仰の「目標」として前進して参りましょう!


 主なる神が住まわれる「場所(フィールド)」、それが「あなた」です。そうです!神が「御住まい」として選び、そこに留まり続けると決め、「御国」の豊かなものを現わして下さる場、それが「あなた」です。「エクレシア」の語源は、「招集された(召し出された)人々」という意味ですが、それと同時に「神がそこに留まり、住み続けて下さる場、つまり神の家」をも意味します。


 どうぞこの新しい一年に、あなたが「大祭司」なる方、イエス・キリストに対して、積極的に「信仰」の告白を、高らかに宣言しながら、「エクレシア」として前進出来ますように!私たちは「イエス・キリスト」を、自分の「救い主」として礼拝する、そのようなイメージに関しては、何の妨げも無く抱きますが、「大祭司」としてイメージすることは、殆どありません。ところが聖書は明言します。「イエス・キリストこそが唯一、かつ真の大祭司である!」と。


 この「大祭司」なる主イエス・キリストが、間もなく来られる時に、私たちキリスト者はどうあるべきでしょうか?イエス・キリストが、大祭司としてお住みになる限り、私たちは真の「エクレシア」として整えられ、霊的に美しく成長して行くこと、それが「終末の時」です。


 暗闇の「支配者」サタンは、当然の如くに認識(意識)しています。そして非常に焦っています。何故なら自分の「闇の計画」が、順調に進んでいないからです。彼ら悪しき勢力は、今後何を画策してくるのでしょうか?神の「ご計画」が、聖書の預言通りに進んでいることを、サタンは正確に分析し熟知していますので、最終的にある事をすれば、神の「最終計画」を、途中で頓挫させることが出来る!という確信の基に、サタンも「最終計画」を進めています。その悪しき計画の「鍵」となる人々、それがキリスト者(キリストの花嫁)です。


 キリスト者が、主なる神の御名を恐れるのではなく、たかが「風邪」の如きウィルスを恐れる余りに、ワクチンが凄い特効薬と信じて接種したり、ワクチン・パスポート証明書をもらう等の、世的な行動に移るのであれば、「666(反キリスト)」の悪しき「画策」通りに進むことで、世的なキリスト者たちを増加させ、遂には真のキリスト者を封じ込めることで、サタンの勝利が決定します。


 しかし恐れないで下さい!主なる神が為さることは、サタンがいくら何をしたところで、最初から「ゴール」が決まっています。その「ゴール」とは、イエス・キリストの再臨です。大祭司なる方、イエス・キリストが来臨された時には、全てが「完成(完了)」します。この方が来ることは、既に決まっている「神の事実」です。「その時」がいつなのか、それは分かりません。


 真のキリスト者たちが、本来ならば「終末の時」の兆しを見て、益々「聖なる油」を用意し祈り続け、花婿イエス・キリストの来られる時に備えて、互いに励まし合うであれば、如何なる「恐れ」や「不安」に縛られること無く、今こそ多くの人々に、キリストの「福音」を携え行くなど、命みなぎる神の「御力」と、神の愛に満ち溢れた「熱情」をもって、霊的に武者震いを覚えるはずです。


 ところが逆の現象が起きています。何と多くのキリスト者が、「現実」を見て怖がっているのです。例えば「携挙」に関しても、否定的な「疑い」をもって、何の期待感も無く過ごすキリスト者が増加しています。覚えて戴きたいことは、サタンは霊的に狡猾である!という点です。アダム(エバ)を騙した時と同じ手法をもって、キリスト者を惑わして行くのです。


 私たちは、これから始まる神の「御業」に期待して下さい。世の出来事は全て、サタンによる「演出」に過ぎません。サタンは多くの人々ばかりでなく、キリスト者たちを眠りこけた、愚かな乙女に仕立てたいのです。「今の時」の流れは、サタンの「演出」が激化して、今年は特に激流の大波が襲います。恐らく世界的感染病は、収束して行くでしょう。するとサタンは、次のプログラムを実行します。「食糧危機」や「気候変動」という名の下に、「グレート・リセット」計画に弾みを付けることでしょう。


エクレシアとして建て上げられる時
 私たちはもう、準備しておくべき時に至っています。世界中で「暗闇」の勢力が、白昼堂々と邪悪な「演出」を進める中、私たちキリスト者は、この2022年が聖書の預言の中で、如何なる時に当たるのか、確実に読み取って行くことが重要です。否!読み取るばかりでなく、私たちが霊的に「建て(立て)上げられる」時、それが2022年に始まります。いよいよ私たちは、「出陣の時」を待つ!そのような「終末」の霊的戦いが、目前に迫っています。


 私たちの「信仰」を、仕上げ(完成)の段階へと、着実に導きながら、「その時」の為に私(あなた)が建て(立て)上げられる「神の時」、それが2022年です。つまり、2022年の信仰上のキー・ワードが「神の家」、即ち神によって選び召し出された、「あなた」なのです!人々が仮に「あなたの中に、真実なる神の臨在を感じます!」と言って、「救い」を求めに来るなど、不思議な宣教の御業が、大きく開かれて行ったとしたら、神の用意する「終末の時」は、いよいよ近くまで来ています。


 神の「救い」を、必死に求める彼らに対して、私たちは如何なる「言葉(証言)」を、「その時」に語ればよいのでしょうか?「よく聞いて下さいました。私の中にはイエス・キリストが、常に住んで下さっています。そして私たちは、神が住まわれる神の家として、今生かされ、平安の中に生きています。この方を、あなたの救い主として受け入れ、心の中に迎え入れて下さい!そうすれば、あなたばかりでなく、あなたの家族全員が、神の永遠の救いと、揺ぎ無き平安を戴くことが出来ます!」などと語るだけです。


 そうすれば、使徒行伝さながらの「奇跡」が、2022年から必ず起きます。そうです!神の「奇跡」の出発点となるのが「エクレシア」、即ち神が住まわれる「あなた」です。「あなた」を建て上げる方は、勿論イエス・キリストです。ですから2022年から、私たちが一番に意識すべき方、それが「大祭司」なるイエス・キリストです!「賢い乙女」として、是非あなたも意識し(慕い求め)続けましょう。


必要となる「設計図」
 また「あなた」が、如何なる「設計図」を、信仰的にイメージするかによって、建て上げられる「エクレシア」の、霊的規模(神の御体)が反映されます。だからと言って、それは物理的な「大きさ」を意味するのではなく、この「設計図」には、何が霊的に大事(重要)なものであるのか!という、必要不可欠の「構造(枠組)」を意味します。


 その為に必要となるもの、それが①確信と、②希望に満ちた誇りであり、この二つを持ち続けることが肝心です。この「持ち続ける」とは、一回限りの次元では無く、主なる神の御前に遜り「どうか私の中に、確信と希望に満ちた誇りを、常に持ち続けることが出来ますよう、信仰の賜物を与えて下さい!またその信仰を通して、私をあなたの平安の領域(神の家)へと、常に導いて下さいますように!」と祈るのであれば、私たちが「神の家」、つまり「エクレシア」として建て上げられるのです。


 そこで2022年に、私たちキリスト者は第一に①何を望み、第二に②どう生きるのか、そして最後に③あなた自身が、どのように完成されて行くのか、それが問われる一年になります。それ程に世界が、大激流の如き時代に突入するからです。しかし私たちの場合は、世界がどうであれ、神の「ご計画」の中で、自分が希望に満ち溢れた、麗しい完成形(デザイン)へと建て上げられること、これを常に意識して参りましょう!


 この場合の「意識」とは、私たちが命懸けで「~しなければならない!」という、真実の決断(表明)の如きものです。今回の記事にある「確信」は、英語で「courage」と言い、それは普通の場合「勇気」を意味します。しかし今回の場合の「courage」は、単なる怖いもの知らずの「勇気」を意味するのではなく、第一に①「危険」「困難」などの、否定的な次元に対して、恐れずに立ち向かう様(姿勢、態度、行動)です。


 主なる神が、私たちの前(先)を行かれる限り、たとえ目の前に様々な「困難」や、幾多の「苦しみ」等が立ち塞がったとしても、「主よ、私はあなたと共に前進します。あなたが戦って下さいますから、勝利は既に私たちのものです。どうぞ、宜しく導いて下さい!」と告白し、益々神に依り頼んで行くこと、これが信仰的な「courage」です。第二の意味は②活気に満ち溢れ、他人を奮い立たせる様です。私たちの「霊」の只中に、大祭司イエス・キリストが、共に住んで下さる以上、私たちはどう行動すべきでしょうか?


 大祭司なる方は、「死」を完全に打ち滅ぼすべく、「永遠の命」に至る道筋を、私たちの為に整えて下さいました。この素晴らしい「神の事実」を、私たちに与えて下さったことにより、私たちは「死んでも生きる!」という、「復活の信仰」に生きる者となりました。増してや私たちが、「命」みなぎる者として、他者を奮い立たせる程の「力」に満ちる、これが「courage」です。


 2022年も恐らく、悪魔サタンは様々な悪しき「演出」をもって、人々を「不安」と「恐れ」の中に貶めることでしょう。しかし、私たちは恐れません。神が与えて下さる「courage」、つまり信仰の「勇ましさ」を戴いているからです。これは人間的、かつ一時的なものではなく、「真の勇者」として仕立てて下さる、神からの「賜物」です。それは少年ダビデにも与えられたもので、獰猛な獅子の口を引き裂き、その頭を打ち砕く程のものです。


 最後に、今回の記事にある「希望に満ちた誇り」とは、英語で「confidence」と言い、真の「希望」を持つことの出来る、神が「上(天)」より与える賜物、力強い「大胆さ」のことです。ここで言う「希望」とは、この世的な希望(儚い望み)ではなく、天上の「御力」にみなぎり、天上にある「命」と「財(たから)」をもって、全てを満たすことの出来る、神の無限の「祝福」により、私たちが豊かに生かされる!という、素晴らしい「希望」です。


 それ故に私たちは、神が与えて下さる「勇ましさ」と「大胆さ」、この二つの賜物を与えられるべく、是非祈り続け、信仰の表明を告白して参りましょう!「イエス・キリストこそ、私の大祭司です!このお方が共に居て下さる限り、何を恐れることがありましょう。大祭司が居ます所に、全てのものが豊かに用意されます。どうぞこの私を、神の聖なる兵士として、収穫の働き人として、至る所に遣わして下さい!」と。


 「建物」を造り上げる為には、必ず「設計図(完成図)」が必要となります。同様に、あなたが霊的に完成される為には、大祭司イエス・キリストを通して、この二つの「賜物」が必要となります。ですから、あなたに対する神の「完成図」を、是非早々に祈り求めて下さい!これを「明日(将来)」に延ばさないで下さい。「今!」直ぐに祈り求めて下さい。大祭司イエス・キリストを意識しながら。


 「終末の時」に必要とされるエクレシアが、あなたの信仰の祈りを通して、豊かに現れ出る一年でありますように!主なる神が与えて下さる、「勇ましさ」と「大胆さ」によって、あなたが「神の家」に組み込まれ、更に「しみ」も「傷」も無い、キリストの花嫁(エクレシア)として、聖霊様を通して仕立てられ、かつ完成へと至りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年1月2日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 


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