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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Good-Shepherd(No.4)

                    孤児として見捨てない方




「・・・・今、お前は呪われる者となった。・・・・土を耕しても・・・・作物を産み出すことは無い。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」・・・・主はカインに出会う者が、誰も彼を撃つことの無いように、カインにしるしを付けられた。カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。カインは妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたが、その町を息子の名前にちなんでエノクと名付けた。
                                                                          【創世記4章11~17節】


「ノド」という悪しきレッテル
 当然カインも、両親の愛を受けて育ちました。その両親との「関わり合い」の中で、常に聞かされてきた重要な「教え」は、「私たちの側に罪があったとしても、主なる神は決して人を見捨てる方ではない!」という事実でした。


 覚えて戴きたいことは、主なる神はカインに対しても等しく、アベルに対して与えていた、「罪」からの誘惑を克服することの出来る、霊的な賜物を与えられていたことです。私たちは「罪」を犯したら、「自分が神の御前に出るのに相応しくない!」と勘違いし易い存在ですが、これは誤った考えです。


 ロストされた(見捨てられた)者という名の、悪しき思いから来る肉の「扉」を、私たちが霊的に開けてしまいますと、どうなるのでしょうか?この時のカインは、先ず「弟殺し」というレッテルを、自分の霊の中に貼り付けました。今回の殺人は、恐らく「故意の(計画的)殺人」ではなく、あくまで「過失」であったことが想像できますが、カインにとっては「事実」としては、「自分が怒りと妬みに駆られて殺した!」と、自分に判決(裁き)を下しました。


 その結果、第二に「自分は(もはや)神に受け入れられない!」存在として、神と親から離れる人生を選択しました。その証拠が16節に記されています。「ノドの地に住んだ」と。「ノド」とは、カインが命名した町の名で、「さすらいの地」という意味です。町の名を、わざわざ「さすらい」と名付ける訳ですから、この時点で彼が「希望」ではなく、絶望的観測を抱いていたことが分かります。


 そして第三に彼は、更なる暗黒の領域に踏み入ります。それは「永遠の孤独」という名の領域です。これは「一匹狼」として生きる!等の、積極的な生き方ではなく、むしろ他者との関わり合いを「恐れる」ことから生じるものです。


聖なる「しるし」を貼る
 このようにカインは、どれ程の「肉的レッテル」を貼りながら、自分の人生を生きたのでしょうか?しかし主なる神は、カイン自身の「心」を改めるべく、先ずは「現実」を知らしめ、更には悪しき方向で人生を後悔するなど、罪責感から来る「呪い」を受け取る人生ではなく、逆に父なる神の永遠の「守り(聖なるしるし)」を付与しました。


 実はカインが殺人を犯す以前に、主なる神はカインに対して、「あなたが正しいことをしているのであれぱ、顔を伏せる(神に対して怒る)必要が無い」(7節)と語られました。更に神は、カインの抱く「怒り」という罪が、彼の「霊」の戸口で待ち伏せしていることに対して、優しくも厳しく警告を発しています。つまりサタンの罠に対して、かつての両親の如くに、乗らない(引っかからない)ように諭しました。


 サタンの与える「怒り」の武器を、仮に自分が手にしたとしても、それを「手離す」チャンスが、カイン(私たち)には与えられているのです。それは再び神の「御声」に耳を傾け、主なる神の「永遠の愛」から生じる、「命の言葉」を受け取るのであれば、私たちは「罪」から生じる、「呪い」の人生を克服することが可能になる!ことを教え示しています。


 そうです!私たちが神の偉大なる「真理」、即ち永遠の「愛(赦し)」を受け取るのであれば、全ての「罪」の呪いを、足元に踏みつけることが出来るのです。にも関わらずカインは、サタンの導くままに「怒り」という、肉の武器を受け取り「罪」を犯しました。


 しかし主なる神は、カインが罪を犯したとしても、永遠の別離を宣言するのではなく、ある「しるし」を付与することで、逆に永遠の「救い」の門戸(扉)も、わざわざ用意されました。そういう意味で、カインの「この後(のスト-リ-)」が大事となります。


 ところで、カインが「伴侶(妻)」と出会うまで、幾年の月日が要したのでしょうか?答えは「百数十年間」です!言い換えれば、カインは「この後」百数十年にも渡って、さすらい人となります。その間、彼は霊的に物凄く砕かれる訳です。霊的に打ち砕く方は「聖霊様」でした。「カインよ、あなたが罪の戸口に立つのか、それとも主なる神が与える扉、即ち罪にさいなむ長き時を、乗り越えることの出来る、祝福(神の恵み)の戸口に立つのか?それが肝心だ!」と。


 パウロが明言するように、「罪」のもたらす報いは、必ず「死(滅び)」をもたらします。しかし聖霊様がもたらすものは、必ず「命(救い)」を与える約束の保証です。カインは、霊的に砕かれて行く過程で、初めて自分が「孤独」であることを知りました。


 聖霊様は常に語りかけます。「否!あなたは決して独りではない!父なる神が実に居まし、あなたを愛して下さっている。その証拠に、あなたは決して呪われていること無く、死んでもいないではないか!そう、あなたには神の永遠のしるしが、祝福(命の回復)のサインとして付与されているから・・・・」と。


回復の「しるし」
 「百数十年間」にもわたる、長き回復のプロセスを経て、カインが遂に出会ったのが、「伴侶(妻)」となる女性でした。「他者」との出会いを恐れて、思わず逃げようとするカインに対して、彼女は咄嗟に彼に近づき、「愛する方よ、あなた様を探し続けて、私はやって参りました。主なる神の御心を信じて、私が求め続けてきた方に、今!出会うことが出来ました。あなた様が、私に相応しい伴侶ですね?」と語ったことでしょう。


 そうです!彼女はカインを見た瞬間に、「この方は、神によって特別に愛されている。永遠の赦しという保護の中に、贖いという神の祝福の中に、豊かに導かれ守られている!」ことを、霊的にキャッチしました。カインに与えられた「しるし」が、神の特別な保護の中にある、神の永遠の「赦し」という、物凄く素晴らしい「愛」が満ち溢れるものだったからです。


 彼女の信仰の言葉を聞いた瞬間に、実はカインの側でも「主よ、私は間違っていました。私は決して孤児ではなかったんですね。今!私はこの娘を見て、あなたの愛が私の中に、永遠のしるしとして付与されていたことが、まさしく分かりました。」と悟り、「さすらいの人生」に終止符を打ったのです。


 主なる神の「ご計画」の中に、全てを委ね切ったカインは、妻との間に産まれた初子の名を、「エノク(神に従う)」と命名しました。そして新たに住み着き建築した町の名を、もはや「ノド」ではなく、「エノク」と呼ぶことにしました。


 私たちの羊飼いなる主イエス・キリストは、失われた一頭の子羊(カイン)のために、「一頭たりとも滅びること無く、永遠の保護(赦し)を与えるべく、ご自身の命を顧みず贖い出される方」です!ここに真実の愛があるのです。


 ならば私たちもカインの如くに、「信仰」という名の霊的鍵をもって、数々犯す「罪」を乗り越えることの出来る、永遠の「恵み(神の赦し)」を、謙虚に受け取って参りましょう!主なる神は私たちに対して、尚も豊かな祝福と恵みをもって導いて下さいます。


 あなたが更なる、神の偉大なる祝福の領域へと踏み出し、「さすらい人」ではなく、神によって既に「見出された(贖い出された)者」として、日々前進することが出来ますように。この呪われた大地を切り開き、霊的に巣食う「茨」と「おどろ」を除去しながら、神の麗しい都!霊的「エノク」を築き上げる、良き神の「働き人(パイオニア)」でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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