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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.14)

                         あなたは私の全て


オルパは・・・・(ナオミに)別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。ナオミは言った。「あの通り、あなたの相嫁(オルパ)は・・・・帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」ルツは言った。「・・・・私は、あなたの行かれる所に行き、お泊りになる所に泊まります。・・・・死んでお別れするのならともかく、その他のことであなたと離れるようなことをしたなら、主よ、どうか私を幾重にも罰して下さい。」
                                                                              【ルツ記1章14~17節】


「異邦人」ルツとの関わり
 ナオミは元来、イスラエル人でありますから、ルツは「異邦人」、即ちモアブ人に対して、あまり良好な関係とは言えませんでした。しかし主なる神は、この二人をご自身の「計画」の中で、不思議な導きの中で出会わせ、偉大なる「取扱い」により、切っても切れない密接な「関係」へと、造り変えることになります。


 先ず異邦人のルツが、イスラエル人のナオミの「子息」と、結婚すること自体、予想もしない出来事ですが、不思議な神の「導き」により、ナオミ一族が祖国の飢饉から逃れ、異邦の地モアブの地に避難して来たことにより、それが現実化したのです。つまり「異邦人」ルツが、ナオミ家の「一員」になった訳です。


 しかしその時のナオミ家は、ルツから見て義父になる、ナオミの夫エリメレクが突然死去し、一家の大黒柱が存在しない状態にありました。そこにルツが嫁ぐ訳ですから、この時に恐らく町中の人々が、「祖国を飢饉によって追われ、異邦の地にやって来ても、ご主人が死ぬとはね。ナオミさんも可哀想だこと。しかしルツとオルパが、そんな(不幸な)家に嫁ぐとは、考えもしなかったわ。(彼女たちは)これから大変だろうね!」などの「噂話し」を、盛んに流したことでしょう。


 嫁いだ側のルツとオルパは、やもめのナオミと共に、一生懸命に家庭を切り盛りし、暫く「幸福」な生活を過ごします。しかし、何とそれから十年程経ってから、彼女たちの夫、即ちナオミの「子息」たちが、次々と死去したのです。つまり若き「大黒柱」の二人が、もはや存在しなくなりました。


ナオミの「信仰」の本質
 この時点で、普通の人でしたら「もう(私の人生は)終り!」と思います。私たちの「心」は、そんなに思う程強くはありません。生活資金が、見る見るうちに不足していく中で、遂にナオミは「ある決断」を下します。実はここから、主なる神の偉大なる「ご計画」が始まる訳ですが、ナオミは知る由もありません。度重なる「不幸」にある、義母ナオミの背中(生き様)を、後ろからじっと見ていたルツが、実はナオミの「信仰」を継承していくことになります。


 では、ナオミの「信仰」の本質とは、如何なるものだったのでしょうか?それは「主なる神の取扱いに対して、私たち(家族)が純粋に聞き従うのであれば、神は常に私たちと共に居て下さり、どんな状況下にあっても、必ず救い出して下さるばかりか、私たちが困らなくてもよいように、前もって備えていて下さる!」という、確固たる信仰でした。


 しかし今回、さすがのナオミの心が折れた時、如何なる「導き」を通して、主なる神はナオミの信仰を、再び回復させて行ったのでしょうか?私たちは、自分の今までの人生の中において、今でこそ言えるのは、過去のある時点で大変な経験を被ったけれども、決して「神を呪ったり、見捨てること無く、信仰を持ち続けて良かった!」という点が多々あることです。


 又その時には、私たちが気付いていないだけで、「助け主」なる聖霊様が、必ず側近くに居て下さり、私たちの霊に優しく、絶えず語りかけて下さっていたことです。「(それでも)主なる神は、あなたと共に常に居て下さいます!」と。しかし私たちは、ナオミ程の「辛い経験」はしていません。現実的に何もかも失う!という経験。現実として見えるものは、子を宿すことの無かった、若き「未亡人(嫁たち)」だけです。


ルツが発する「聖霊」の声
 ナオミは「同情心」から、その二人の嫁に対して、不信仰の言葉を吐きました。「この私と居たら不幸になるわ。もう実家に帰りなさい!」と。これが私たちの持つ、人間的「弱さ」です。即ち、自分の魂的な「肉の声」に聞き従うことから来るものです。


 その結果、オルバは実家に帰りましたが、ルツだけは頑固として帰りません。それに対してナオミは、「私と居たって、何も良きことは無いわよ。私に気を使わないで、オルパのように遠慮なく行動しなさい!」と、若干「怒り」と「皮肉」を交じえて諫言しました。


 するとルツは、逆上したかの如くに「何を言っているの、お義母さん!お義母さんを常に導き、今日まで生かして下さる神は、常に真実な方でしょ。お義母さんは、何か愚かなことを言っていますけど、お義母さんから神が去った訳ではないわ!私にはそれが見えるの。だから私は、お義母さんに付いて行きます!お義母さんを常に守り導く、真実の神に私は従います!」と、自分の決意表明を宣べました。


 ルツの言葉を、仕方なく否定的に聞いていたナオミは、途中からハッ!と気付きました。「何と、この嫁は・・・・。私の若い頃にそっくりだこと。」と。私たちの経験する「人生」には、様々な「壁(試練、困難、不幸等)」が、必ず立ち塞がります。「1+1=2」、「2-1=1」等の計算式のように、単純に「先(答え)」が読めるような人生、例えば最終的に「プラス人生」になるのであれば、次に来る「マイナス」の経験にも、一時的に耐えられることでしょう。


 ところが、私たちの「人生」を振り返って見ますと、どちらかと言えば、思いもしない「マイナス」ばかりの、大変な人生ではないでしょうか!にも関わらず私たちキリスト者の場合は、途中で折れて元の「肉の生活」に、戻らないのは何故でしょうか?それは「ルツの声」が、私たちの「霊」にも届いているからです。


 そうです!「ルツの声」とは、まさしく聖霊様の「御声」に他なりません。聖霊様の「御声」に常に聞き従って、今まで様々な「壁」を乗り越えて来た、ナオミの「信仰」姿勢を見ていたルツは、この時のナオミの「声」が、聖霊様の「御心」から出たものではなく、彼女の「魂(肉の思い)」から発したものである!と気付き、咄嗟に聖霊様から来る、「正しい導き」を代弁したのです。


 人生の「正しい道標」が、殆ど見えなくなりつつある時代の中にあって、私たちは幸いなことに、義母ナオミの側近くで、絶えず付き従ったルツと同様の働きを為される、聖霊様の正しいガイダンスが備えられています。聖霊様は、常に「正しい導き」を示して下さいます。即ち主なる神が、常にあなたと共に居て下さる方である!という霊的「道標」です。


 それに故に私たちは、常に聖霊様に感謝しましょう!聖霊様が流して下さる「命の水」を、あなたが常に多くの人々に注ぎつつ、正しい「救い」への福音(導き)を、証しすることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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