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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

言葉の革命(No.26)

                              異言見聞録②



「小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国を下さる。」
                                                                                                        【ルカ福音書12章32節】



 今から記す証言は、イエス・キリストの「小さな使徒」の証言です。新しい言葉による「変革の時」は、求める全ての「キリストの花嫁」に、必ず訪れるものです。彼ら二人の証言は、決して自分の「変革」だけを求めた訳ではなく、只純粋に「神ご自身」を求めた結果、「今の時」に至っていることを証言しています。そして更に、「その時」至りて完全に贖われること、即ち花婿イエス・キリストの来臨の時に、共に「神の国」で「最高の式典」の栄誉にあずかることを、「信仰」と「希望」と「愛」をもって待ち望んでいます。


 聖霊様は今の「恵みの時」に、まさに最終号令を発しておられるのではないでしょうか!「小さな使徒たちよ、恐れてはならない!神の国は、求めるあなたの信仰の唇から始まるのだ!さー、大胆にイエス・キリストの証人として、新しい言葉を語り始めなさい!」と。あなたも、イエス・キリストの「小さな使徒(証人)」の一人です。そうです!聖霊様が始められた「使徒行伝(証言集)」は、今日も「あなたの唇」を通して継続しているのです!


「聖霊のバプテスマを受けた喜び」
 私は1985年8月25日、その当時はちょうど20歳でしたが、この日に主イエス・キリストを、私の「救い主」として受け入れ、その証明として「水のバプテスマ」を受けました。その年の12月になってようやく、私は自分の父親に「自分がクリスチャンになったこと、そして毎週日曜日に教会に行って、礼拝を捧げていること」などを打ち明けることができました。しかしその結果、母親から家族全員に至るまで知られることになり、皆から散々に怒られ、そして批判されました。


 両親にクリスチャンになったことを証言した、その切羽詰った気持ちの中、翌年の1986年1月14日、大津で催されたある新年聖会に参加しました。夜の集会が終わり、私は祈るため聖会会場の第二会議室に向かいました。辛い思いで靴を脱いで中に入り、主の聖なる御名を賛美し始めました。暫く、言い難き苦しい思いにありましたが、「ハレルヤ、ハレルヤ、イェス様!」と、普段よりも大きい声を出して、祈り叫び始めました。すると突然、私の唇が震え始め、舌が口の中でもつれて、「異言」が出て来ました。正直言って驚きました。私はその瞬間、「聖霊のバプテスマ」を明確に体験しました。「この私にも、聖霊が降ったんだ!」という実感がありました。そして更に、「神は、私をお見捨てにならずに、覚えていて下さった!本当に助かったんだ!」という、聖なる「神の安息」を得ることができ、はっきりとイエス・キリストの、「救い」にあずかった真の喜びを与えられました。


その後、この喜びを「水を得た魚のように、私は元気になった!」と証言したら、お世話をして下さった、あるクリスチャンの方から「そういう言葉(証言)が、私は聞きたかった!」と言われたことを、昨日のことのように覚えています。(滋賀県在住Y・K兄弟)



「私の元気の源、聖霊様!」
 父なる神は、一つ「霊」となって御栄光を注いで下さり、私の「盲目」、「耳なし」、「口なし」を憐れんで下さっておられます。又、「古い言葉」から「新しい言葉」の奥義を、聖霊様を通して与えられ、「命の水」を一口戴いては、一息付かせて戴いております。


 我が家は、敷地面積が約一反歩程ありますが、近頃我が家を神に明け渡し、「教会」として捧げました。私の体は年中痛みを覚え、まるでヨブのようですが、このことを他言したことがありませんので、誰も知りません。誰に頼っても私自身の罪ですから、聖霊様の働きにお従いして、その後に悔い改めを告白しながら、聖書の御言葉を宣言して寝床に入りますと、主の平安の中で安眠できます。又、癒されています。そして朝起きると、再び「聖霊の力」を得ています。アーメン!


 私は歩くことが大変です。まるでそれは、腰が重く一輪車に引かれるように、坂道を押し上げて行く有様です。しかし頭の中は、愛する花婿イエス様のことで一杯です。一日の仕事は、主が共にいて下さり、完全に成し遂げています。私の動作はのろまで、とても遅いものです。一つのものを、瞬時に左右に仕分ける(代える)ことはできませんが、それでも私は働けます。イエス様の憐れみです。アーメン!


 私に起きた聖霊の一番の変革は、従来の教会観に無理があることに苦しんできた、その古きところから立ち上がり、そして自信をもって歩くことができる、その動機付けが与えられたことです。聖霊様との交わりが深められ、スピリッツ(知恵、啓示)が与えられるのと同時に、私の唇から「命の水」が流れ出します。そのような自分に驚いていますが、神の為さることは全て時にかなって美しいものです。アーメン!


 最近、我が家の屋敷の中にある、偶像とは思っていなかった石碑を取り除き、次々と大木を切り倒しました。最初に切り倒した木は、一抱えもある程の大木でしたが、聖霊様の導きで「上からの知恵(方法)」で倒すことができました。作業をして下さる方も不思議と集められ、今裏山の整理だけが残っています。近日中に綺麗になると思います。これらが全て偶像だと分り始めて、「霊の眼」が開かれました。そしてちょうど同じタイミングで、聖霊様から「古い言葉による束縛(縛り)がある!」と示され、自分の為したことが聖霊に導かれたものであることを、確信することができました。毎日毎日、「もう少し!もう少し!」と掛け声を上げ、自分の霊を打ち叩いています。


 メッセージも、前もって用意することが出来ませんので、聖霊様の「上からの知恵」を戴いて、取り継いでおります。信者の方々に「如何でしたか?」とお尋ね致しますと、皆様は憐れみ深い方ですから、「よく分りました!」と言って下さいます。私が一番元気になれるのは、お一人お一人の「解放の祈り」です。必要を必ず満たして下さるのが、私たちの神様です。ある信者の方の証しですが、一週間前に祈った祈りが、その七日後に家を建てるための土地が実際に与えられ、神様は本当におられることが分ったそうです。その方が祈った時、「神の御名を呼ぶだけで、本当に出来るだろうか?いつかは与えられるでしょうが・・・・。」と、サラのようにお腹の中で笑ったそうです。主は、本当に素晴らしい方です。アーメン!(愛知県在住M・A女性牧師)


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