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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

ショート・メッセージ

     「苦しみ」も「喜び」も一つ




一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです。あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
                                【Ⅰコリント書12章26~27節】


 「神の宮」であるエクレシアは、何故「今の時代」においても、神の有用な霊的「器官(組成体)」として機能しているのでしょうか?聖霊様は、一つ一つのエクレシアに働きかけますが、同時に世界中のエクレシアを、大きなキリストの「御体」として取扱うことで、一つの小さな器官が苦しめば、全体も共に苦しむなど、全体(総合)的な「働き(調整)」も進めておられます。


 そうです!エクレシアの一つ一つは、何となく独立した別の器官(体)に見えても、「苦しみの時」及び「喜びの時」には、全体が「苦しみ」、そして「喜ぶ」など、「一つの体」意識を共有することになります。危機的な「今の時代」の中で、悪魔サタンによって汚された多くの人々が、孤立感と虚無意識の中にはまり込み、遂には自殺という愚かな選択に陥っている中で、神の御体なる「エクレシア」の存在意義が、非常に重要となります。


 イエス・キリストは私たちキリスト者のことを、何故重要なパーツ(一つの部分)として、ご自身の「御体」に組み込んで(結び合わせて)下さるのでしょうか?人体という組織は、一つのパーツが苦しめば、その痛みが体全体に行き廻ります。しかし暫くすると、体内に元々ある免疫力により、その痛みの根源を緩和するなど、そのパーツが治癒して行くことで、遂には勝利(回復)した時に、体全体が共に喜ぶのです。ここにキリストの「御体」と私たち霊的パーツの、素晴らしい相互関係が成立しています。


 仮に「あなた(私)」が、自分の置かれた状況が、不安定かつ悲惨なものであることを、他のキリスト者たちに、シグナルとして知らせる時、その理由は単なる情報の共有ではなく、互いに「エクレシア」だからです。一人が苦しめば、全体が共に苦しみを分かち合うこと、それが真のエクレシアです!キリストにあって一つのパーツが癒されることで、全体もその癒しの回復にあずかる、これがキリストに繋がった霊的器官です。


 例えば私たちの信仰法則が、「信じてなお孤軍奮闘すべし!」などの、肉なる意思を駆り立てるとしたら、そこには必ず限界があります。何故なら、悪魔サタンは私たちの「肉」に働きかけ、最終的に様々な「不安」「疑い」「恐れ」を、私たちの「霊」に持ち込むからです。しかし聖霊様は、「否!イエス・キリストが、一人一人の為に、ご自分の命を捧げられた理由は、キリストの体全体が、父なる神の救いにあずかり、一人(一パーツ)として漏れること無いように救う(贖う)!為である。」と、私たちの「信仰」を正して下さいます。


 このイエス・キリストに、私たちは「一つ」として結び合され、麗しく組み合わされ、父なる神の「栄光」の御体にあずかるのです。ですから、私たちは聖霊様により、日々新たにされながら、キリストにあって「一つ」にされて参りましょう!聖徒たちが、他の聖徒の為に執り成し、共に祈り支え合うことによって、イエス・キリストの「御体」が、更に完成されて行くのです。


 どうぞあなた(私)が、自分の「体」の源なる方、イエス・キリストを深く意識することで、自分もイエス・キリストの「一部(パー)」として生き、共に苦しみ、共に喜びを分かち合う、素晴らしい「一体感」の中で、聖い、美しい、品位のある「神の宮」として、更に建て上げられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年8月6日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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