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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.24)

           迫害の始まりのサイン




さて、ステパノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが・・・・「解放された奴隷の会衆」に属する人々、またキルキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステパノと議論した。しかし、彼が知恵と御霊とによって語るので、歯が立たなかった。
                                      【使徒行伝6章8~10節】


避けられない「迫害」の時
 実際に宗教的な迫害の経験は、私たちの信仰生活には、余り馴染みのないものですが、「迫害」という言葉を聞きますと、私たちは抵抗感を覚えます。ところで、三年間に渡るコロナ禍の後、この日本は如何なる方向に向かいつつあるのでしょうか?日本人が長い歴史の中で、培ってきた大事な何かを見失い、また捨て去るかのように、愚かな道に歩みつつあるように思えます。


 私たちが「真実」を追い求め始めた時には、必ず私たちの「動き」を阻害するなど、何らかの反動が起こります。今回の記事には、「迫害」という言葉は出てきません。しかし明らかに分かることは、ステパノが様々な人々を助け、慈善的な宣教活動を行っただけにも関わらず、反動勢力にとっては、彼が為す「しるし」と「業」を敵視して、妨害工作を始めたことです。


 しかし聖霊様が働かれる時には、罪に縛られた人々や、病いに苦しみ続ける人々を見た瞬間に、イエス・キリストと同様に、恐れること無く彼らに手を差し伸べ、信仰の言葉を大胆に宣言するのです。止めども無く溢れ出た、全てを押し流す程の神の「御力」が、ステパノの全身に漲っていたからです。


 この聖霊様の「働き」に対して、悪魔サタンは我慢なりません。ステパノの全てを、突き動かす聖霊様の「命の水」の如き働きを、悪魔サタンは面白くないからです。「真理」に目覚め、神の身元に立ち返って行く人々が増えるに連れて、サタンは牙を剥いて来ます。その結果、ステパノは同じ身内のユダヤ人から、迫害を受けるようになったのです。そうです!敵は「よそ(外部)」から来るのでは無く、以外にも「うち(身内や同族など)」から起こるのです。


 主イエス・キリストの来臨の時には、私たちキリストの花嫁と、花婿なるイエス・キリストとの、「再会の時」を妨害すべく、サタンとその配下の者たちが、盛んに迫害の手を延ばして来ることを、是非肝に銘じておいて下さい。しかし同時に、私たちは喚起の叫びをもって、信仰的に享受できることは、サタンが獰猛になればなる程、聖霊様も私たちに対して、上(御国)よりの力をもって、激しく「油注ぎ」を与えて下さることです!覚えて戴きたいことは、聖霊様はステパノのような、純粋に(真心から)自分の全てを捧げ尽くす、即ち霊的に「いつも空になっている器」の中に、聖なる「油」を惜しみなく注ぎ、かつ用いて下さることです。


何故「迫害」を経験するのか?
 「迫害」の芽は何故、次々と生じて来るのでしょうか?それはサタンが、創造主なる神に対して反逆した(神の御座を欲した)、ここに霊的出所(汚れの始まり)があります。その結果、サタンは父なる神の為すこと全てに対して、①対抗(敵対)心を抱き始めます。それと同時に、主なる神の御業が賛美されればされる程、②妬みが生じるのです。この二つの因子(毒種)が、「迫害」の芽を産み出すことになります。


 ステパノの場合も同様に、あるユダヤ教の新興派閥集団から、あからさまに①対抗心による妨害を受け、続いて②やっかみ(妬み)工作を受けます。実は「迫害」を受ける時には、次のような事が必ず起きます。それは前述したように、身内(近親者)から何の根拠(理由)も無い、大小の「憎悪」が始まることです。私たちがイエス・キリストを信じるということは、サタンの「罪」の支配下から離脱し、本来の正しいポジション、即ち創造主の「御座」の元に立ち返る訳ですから、否応も無くサタンは牙を剥き出しにして、私たちを迫害することは当然です。しかし、私たちの三次元的理解では、次々と襲うサタンの迫害に対して、正しい「理由(根拠)」が見えません。


 「私の為にののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなた方より前の預言書たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ福音書5章11~12節)先ずこの御言葉の中に、私たちが迫害を受ける第一の理由が、明確に記述されています。神の「御心」から見て、「あなた(私)」という存在によって、御国において偉大なる「喜び」が、迫害を受けた「あなた(私)」を通して、必ず起きるからです。そして「迫害」を受ければ受ける程、「あなた(私)」がイエス・キリストに、緊密に結び合されて行くからです。


 続いて第二の理由は、「私の名の為に、あなた方は全ての人々に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害された時は、他の町へ逃げて行きなさい。」マタイ福音書10章22~23節)に記されています。私たちは迫害が起きた時に、必ず「逃げ場所(避難所)」が用意されているからこそ、最後まで耐え忍ぶことができ、神の「救い」を全うできるのです。ステパノは、この偉大なる「神の事実」を、常に確認し自得していたからこそ、今回の緊急事態にも、神の平安を受けながら、恐れること無く堂々と対処できたのです。


 ところで、私たちがイエス・キリストの「証人」として、この世に遣わされる時に、そのメインとなる務めは、第一に「(証言を)語る」こと、第二にその「証言」に関する、明かな「証拠(神の事実)」を示すことです。そうです!私たちが「イエス・キリストの証人」であらならば、①イエス・キリストは何者なのか、②イエス・キリストと自分の関わり合いの状況、そして③今の尚、力強く働いて下さる方、④最終的に私たちを迎えるべく、再臨される真の「救い主」である!ことを、聖霊様が私たちの唇を用いて、明確に立証して下さいます。これを実証したのが、使徒行伝時代から登場した、ステパノの如き新しい神の「働き人」でした。


 さて、私たちキリスト者は今後、如何なる時代の中にあっても生き抜き、また逃れることの出来ない出来事を経験したとしても、聖霊様が私たちを必ず、「キリストりの証人」として仕立て、出陣の備え(霊的訓練)を用意して下さいます。その時に、私たちが「キリストりの証人」である!と、認識させられる霊的サインが、「迫害」を次々と受けるか否か?になります。


 聖霊様が分与して下さる霊的な「力」は、私たちが「証言(復活の福音)」を語ることで、この世が立ち向かうことの出来ない、御国の次元を開き(拡大し)、必ず迫害者(敵)の武器(世的な詭弁)を、ことごとく論破することになります。ステパノは、聖霊様が教え示す「知恵」によって、神の言葉を説き明かし、迫害者(敵)の「霊」をも、主なる神の御心の次元へと、力強く引き上げる程の、神の「真実の愛」に満たされ証言である故に、彼らは結局論破できませんでした。そうです!私たちの「戦い」は、血肉によるものではなく、霊的な領域にあるサタンに対して、神の武具である①霊の剣(言葉)、②信仰の大盾、③救いの兜を装着して戦うのです。


ステパノが追い求めた「逃げ場所」
 結論になりますが、主なる神が必ず用意して下さる「逃げ場所(避難所)」とは、何処にあるのでしょうか?「女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が1260日の間養われるように、神の用意された場所があった。」(黙示録12章6節)この記述の中にある「女」とは、「エクレシア(キリストの花嫁の群れ)」を指します。確かに終末期の彼ら(聖徒たち)は、迫害を受けた後、一旦霊的な荒野(砂漠)に逃げることになります。しかしそこ(荒野)は、1260日間(三年半)彼らを養うべく、神ご自身が元々準備している、聖なる「シェルター」があるのです。


 「迫害」が再び来た時に、私たちは希望が更に増します。何故なら、いよいよ花婿が再臨される、「その時」が更に近付くからです。ステパノは、今から語る「証言」如何によっては、その直後に来る「死(石打刑)」を覚悟していました。しかし彼は、「証言」を語るのを止めませんでした。聖霊様が、空になった彼(神の器)を用いるからです。


イスラエルよ、言え。主が私たちの味方でなかったなら、主が私たちの味方でなかったなら、私たちに逆らう者が立った時、その時、私たちは生きながら、敵意の炎に呑み込まれていたであろう。その時、大水が私たちを押し流し、激流が私たちを越えて行ったであろう。・・・・驕り高ぶる大水が。主を讃えよ。主は私たちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のように、私たちの魂は逃れ出た。網は破られ、私たちは逃れ出た。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。【詩篇124篇】


 この御言葉には、私たちの霊的戦いにおける、「勝利」の方程式が記されています。聖霊様は私たちキリスト者を、ねんごろに愛し練り聖めながら、必ず霊的シェルターを用意して下さいます。ですから、たとえ迫害が激化しても、真実の花婿イエス・キリストが、昨日も今日も、いつまでも変わることの無い、偉大なる「救い主」として、私たちを見捨てず、見放さず、急いで「あなた(私)」を、花嫁として迎えに来られるのです。


 そして最後の(完成した)「逃げ場所(永遠の避難所)」が、天の御国に用意されています。どうぞあなたが、聖霊様の用意する「命の水」を、空のステパノのように注いで戴き、イエス・キリストの「証人」として、この「終わりの時代」にあって、大胆かつ力強く証言することの出来る、天の「知恵」に満ち溢れますよう、主イエス・キリストの勝利の聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年8月20日のメッセ-ジ)


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