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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.25)

       「戦い」の火蓋が切られた




そこで、彼らは人々を唆し・・・・民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて・・・・訴えさせた。・・・・最高法院の席に着いていた者は皆、ステパノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。
                            【使徒行伝6章11~15節】


「迫害」の先駆けステパノ
 ステパノの人物像に関して、詳細なデータが記録されていませんが、彼が人生の最後において、如何なる「戦い」に導かれ、殉教(死)に臨むにあたって、死を恐れること無く、神の賜る「勝利」の栄光を掴んで行ったのか、ここに力点を置きながら、筆者(ルカ)は記述したと思われます。


 ステパノは純粋に神の「言葉」を紐解く上で、イスラエルに対する神の「救い」の歴史を、淡々と語り伝えただけにも関わらず、何の理由(根拠)も無く処刑(石打刑)されました。只一つの理由があるとすれば、それはサタンの霊的妬み、例えば「この者を生かしておいては、我らの計画がストップしてしまう!」などの、明かに創造主の「御心」が、地上に拡大するのを妨害する為です。


 しかし聖霊様の場合は、サタンの迫害工作を見越した上で、ステパノを神の「戦い」の先駆け(急先鋒)として、後に続く私たち(後続隊)の為にも、雛型的な使徒に任じたのではないでしょうか!ですから私たちは、ステパノに起きたのと同じプロセス(流れ)で、理由無き迫害を被ることになりますが、同時に神の「勝利」の栄冠にあずかることを、良い意味で覚悟しておきましょう。


ステパノの「戦い」
 今回の記事から示される第一の重要ポイントは、ステパノの「戦い」が、今に生きる私たちの為に、聖霊様が前もって用意したものである!という点です。そうです!聖霊様は私たちキリスト者を、神の「兵士」として整え、日々訓練し、神の「勝利」を掴み取る一軍として、直々に選び召し出しています。敵は必ず「偽証人」(13節)を立てて、戦いを挑んで来ますが、私たちの場合は永遠に真実なる方、イエス・キリストの「証人」として戦うのです。


 ところでイエス・キリストの「証人」は、何を語る(証言する)のでしょうか?①イエス・キリストが、紛れも無い「神の子(皇太子)」であり、②全ての人々の「罪」の贖いの生贄として、十字架上で屠られた唯一の小羊であること、そして何よりも③イエス・キリストは、三日目に「死の淵」より蘇られた、復活の「救い主」として、④御子を信じる全ての者に、「永遠の命」を無代価で提供して下さること、これを堂々と証言するのです。


 真のキリスト者は、自分が戦うべき場所が何処にあり、そして証言する「時」と「場」が、如何なるプロセスで用意されているのか、それら全てを聖霊様から知らされるのです。そしてステパノの場合は、自分が最後に戦うべき場所が何処にあるのか、それを分かった上で戦い抜きました。サタンの妨害工作の手口は、いつも同じパターンです。①多くの人々を唆し、②偽りの証人を立て、③「キリストの証人」を屈服させることです。


「戦い」の最終ゴール
 第二の重要ポイントは、「その時」に私たちは、必ず「Back to Mark chapter13 !(マルコ福音書13章に立ち返る)」ことです。たとえ最終的な場所が、「屠り場」であったとしても、そこにおいてキリストの「福音」が語られ、この世の事実には無い、明かな「神の事実」が、間違い無き「真実(真理)」として、聖霊様が私たちの唇を借りて、最終弁論として証言して下さるのです。


 私たちのゴールは、イエス・キリストとの「再会の時」です。ステパノは分かっていました。「再会」イコール、自分が「この世」から召される!こと。そして自分が「イエス・キリスト」を語るだけで、恐らく処刑されることを。しかし彼は、最終ゴールのイメージ(焦点)を、麗しい花婿の「御顔」に向けて、霊的照準を合せていたが故に、「死」は単なる通過点にしか映りませんでした。


 結論になりますが、ステパノの「その時」とは、いよいよ聖霊様が用意する「最終弁論」を、キリストの代理人(大使)として語ることでした。語る前の彼は、偽証罪で訴え出ている、多くの敵集団を前にして無言を貫きました。しかもその顔は、敵を恐れて怯むことが全く無く、さながら天使のように、凛々しく端整なものでした。「主よ、いよいよ時が来ました。あなたとお会いする、その素晴らしい時を前にして、私は最後の証言(メッセージ)を語りますが、聖霊様が共に居て下さることを、心から感謝致します!」と、無言で祈りつつ。


 イエス・キリストも私たちの為に、十字架上の「死」という、身代わりの「生贄」となって、父なる神の「救い」を示されました。ステパノは、断わる度に使徒たちから、師イエスの「生き様(死に様)」の証言を聞きました。そして彼は聞く度に、「私もお会いしたい!あなた方が羨ましい。イエス様が復活為されて、栄光の父の御座に帰られるシーンも、現実の眼で見ているからです。イエス様が私の為にも、また帰って来ることを知ってはいますが、私は早いこと、あなたにお会いしたいのです!」と、飢え渇きが更に激しくなりました。


 敵は、私たちがうろたえて、恐れるかどうかを、じっと見ています。しかし恐れないで下さい!サタンと敵どもが、たとえ私たちを監視したところで、私たちが見上げて、慕い求めるべきお方は、イエス・キリストだけであり、イエス・キリストは常に、私たち花嫁を見守り続けて下さいます。聖霊様が私たちに臨まれる時、私たちは偉大なるイエス・キリストの「証人」として、至る所に導かれることになります。いよいよ「その時」が近付いています。


 「地上において、キリストのような人生を送ろうと、不完全ながらも最善を尽くそうとするならば、迫害も受けるでしょう。迫害を受け、それがもたらす痛みと苦しみにも関わらず、前進しましょう。迫害を喜びましょう。それは神があなた方の信仰を強め、神に近付く為に、迫害を益として用いられることを知りながら、その迫害を平安に受け入れることを意味すると、私は信じています。あざけられ、友人や家族からも見放され、仲間外れにされ、嘘のターゲットにされ、また偽りの攻撃に晒されることは、楽しい事ではありません。もしあなたが、イエス・キリストの信者であるなら、敵からあなたを守りつつ、迫害を通して、あなたを導いて下さる故に、あなたは常に平安でいられます。あなたが平安でいられるのは、主の御名の為に苦しみ、迫害に耐えていることを知っているからです。イエス・キリストと共に生きる所には、天国での永遠の命と、新しい天と地が待っています。底なしの穴と火の池のある地獄で、永遠に過ごすことを選ぶのは、本当に狂った人間だけです。敵の為に祈りなさい。全ての人の為に祈りましょう。そしてイエス・キリストを賛美し、礼拝し、敬いなさい。イエス・キリストは、あなたへの愛から、あなたに救いと、永遠の命を与えて下ったのです。」(リン・ウッド氏のテレグラムより抜粋)


神が私をあなた達より先にお遣わしになったのは、この国にあなた達の残りの者を与え、あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせる為です。私をここへ遣わしたのは、あなた達ではなく、神です。【創世記45章7~8節】


 「残りの者」が、私たちの日本にも用意されています。それは主なる神が取っておいた、神の素晴らしい「働き人」です。彼らがイエス・キリストに再び信仰を回帰し、聖霊様に導かれたステパノの如くに、「死」を恐れず出陣する「その時」、イエス・キリストの「救い」にあずかる、多くの日本人が興されます。私たちが「今の時代」に先に生かされ、聖霊様により訓練されているのは、神の偉大なる「救い」に至らせる為です。


 そうです!大いなる神の「救い」が、必ず日本に訪れます。たとえ迫害を受けても、私たちは「その時」の為に準備しましょう!イエス・キリストの麗しい御顔と相まみえる、素晴らしい「交わりの時」が、更に高い次元で整えられ、私たちが御言葉を読む時にも、御霊にあって祈る時にも、聖霊様が正しい方向へと、常に導いて下さいますよう、主イエス・キリストの勝利の聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年8月27日のメッセ-ジ)


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