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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

特別メッセージ

    「タメニ」から「トモニ」へ




・・・・イエスはある村にお入りになった。すると、マルタ・・・・が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足元に座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしの為にせわしく立ち働いていたが・・・・(イエスに)言った。「・・・・(妹マリアに)手伝ってくれるようおっしゃって下さい。」主はお答えになった。「マルタ・・・・あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことは只一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
                                    【ルカ福音書10章38~42節】


聖霊様の重要な「働き」
 今回のタイトルにある、「タメニ」は「~の為に」、そして「トモニ」は「~と共に」という意味です。そして今回の重要(大事な)ポイントは、私たちの信仰行動や生き方が、「~の為に」という意識から、「~と共に」という意識へと、180度変革される必要がある!という点です。


 ご存じのように、主なる神の「命の息」であり、聖なる「働き」を推し進められる聖霊様は、旧約聖書の1章から既に登場します。創造主なる神が、混沌とした「暗闇」に対して、「光よ、出でよ!」と命じた、まさにその「命の言葉(息)」を通して。即ち「真の光」なる方、主イエス・キリストの「現れ」を確認した後、聖霊様は次なる「命の言葉」、つまり父なる神の「天地創造」という、大プロジェクトの「勅令(指令)」を受け取ることになります。


 と言うことは、聖霊様という方は、常に主なる神と共に居て、神の「ご計画」が創始され、遂に完成に至る際の、「担い手」或いは「監督」、またある時はキリスト者と共に、霊的な戦いを率いる「総司令官」として働かれるなど、重要な働きを司っています。またイエス・キリストの「聖い霊」として、キリストの「救い」を完全に現わすべく、キリスト者と共に(傍らに居て)働いて下さいます。


 今回の記事には、聖霊様の最大の「働き」が、具体的に描かれています。イエス・キリストの「聖い霊」として、聖霊様がキリスト者と共に働かれる時、その働きのイメージは、生ける水の如き「清流」を思い浮かべますが、それは「清い」イメージというより、「聖い(汚れが一切無き)」流れとして働かれます。これが聖霊様の最大の「働き」、即ち全てを「聖くする」ことです。ちなみに「聖水」とは、不純物が成分的に全く存在しない、いわゆる「純粋(真水)」のことです。


 それに対して悪魔サタン及び悪霊は、神の「聖さ」を人間的基準にまで貶め、神の「聖書」の御言葉自体も、三次元的判断レベルで解釈するなど、霊的「不純物」を侵入させようと目論みます。例えば「あなたは信仰的に、十分良き働きをしています。イエス様の為に一生懸命働いているから、更に頑張って行きなさい!」などの「内なる声」が聞こえた場合、それは私たちの「肉の業(力)」を駆り立てる、悪霊の発する「偽りの声」です。


 しかし聖霊様は、神の永遠の「聖さ」の中に働かれる方ですから、イエス・キリストの「聖さ」の中に、私たちが常に留まり続け、神の「聖さ」の中に覆われなければ、直ぐにも「汚れ」を容認するなど、「弱い私(あなた)」があることを、常に認識させる(知らしめる)「助け主」です。サタンは「これも大事だけど、あれもやってごらん!」と、私たちに優しく誘ってくることでしょう。しかし大事なことは、只一つです!


「良い方」を選択する
 今回の記事を、人間的な二元論から解釈しますと、それこそサタンの思う壺です。つまりマルタとマリアの信仰を、どちらが優れているかなどの比較論です。あくまで聖書の記事は、聖書の御言葉をもって解釈することが原則です。ですから今回の二人の信仰に関しては、読み手の判断で解釈するのではなく、イエス・キリストが彼女たちのことを、個々に如何なる霊的助言を与えているか?その視点から読み解くべきです。例えばイエス・キリストが、マルタに明言した「マリアは良い方を選んだ。」とは、「マルタよ、あなたは愚かな選択をした」ことを示唆している訳では無い!ということです。


 覚えて戴きたいことは、イエス・キリストは二元論的に「Aは有罪、Bは無罪!」などと、裁判官として世に来られたのではなく、世の「罪」を取り除く神の小羊として、全ての人々の「救い(贖い)」の生贄として来られたのです。ですからこの時も、実はマルタに対して裁くのではなく、重要な「福音」を彼女に直接伝える為に、彼らの家を訪問されたのです。


 さてマルタはこの時、何故せわしく動き回っていたのでしょうか?実は全ての人に、サタンがもたらした宗教的縛りがあります。特に「~の為に」という意識は、誰の中にも存在する一つの「縛り」です。例えば「イエス様の為に頑張ります!」、「イエス様の栄光の為に、私は一生懸命に伝道します!」などと、殆どの場合が人間的な「肉の思い」を駆り立てるなど、そこには必ず宗教的「縛り」があります。私たちの信仰行動の「目的意識」が、「~の為に」という方向に傾いている場合、それはサタンの「罠」に、既に陥っていると言えます。「~の為に」という意識は、私たちが為すべき「正しい方向」から、少しずつ逸脱しながら、一番大事な意識を見失うことになります。


 それに対して聖霊様が一番に、私たちに臨んで天よりの「聖なる意識」を注ぐ時、それは「イエス様の為に」から、「イエス様と共に」という、麗しい聖い関係へと建て上げます。妹マリアの意識の根底にある、彼女の霊を捉えて離さない思いは、「イエス様と共に(一緒に)居たい!」と欲する、純粋な飢え渇きでした。この「聖なる意識」を、常に思い起こさせる方が聖霊様です。


 そうです!私たちは聖霊様の「助け」を通して、主イエス・キリストとの「親しい交わり」の恵みにあずかり、顔と顔を近付け合う程の、緊密かつ強固な信仰を戴く時、それが「イエス様と共に(一緒に)」という、麗しい「聖い関係」にあずかるのです。私たちの「霊」の中に、アダム(エバ)の犯した「罪」以来、延々と「汚れ」がまとわり付く原因は、「為に」という意識(考え)の方が、「共に」の意識より優れて見えるからです。


 私たちが「為に」という意識に縛られ生きる場合、例えば安息日にある人が「あなたは何の為に礼拝を捧げているのですか?」などと質問した際に、あなたは如何なる返答をしますか?その返答の殆どが、やはり「イエス様の為に」という、宗教的意識に縛られていないでしょうか?しかし聖霊様の場合は「あなたの人生は、イエス様無しにはあり得ません!この麗しい方の身許に、主の日である聖日に赴き、麗しの花婿イエス様と共に過ごしたいと思いませんか?」と、私たちの霊的渇きを呼び起こして下さいます。


 サタンは、私たちが「~の為に」という行動さえしていれば、私たちを褒めちぎりることでしょう。しかし聖霊様は、私たちに対して「もっと更にイエス・キリストを求め、イエス・キリストと共に歩みなさい!あなたは生ける神の宮として、イエス・キリストとの一体化にあずかりなさい!」と、霊的に叱咤して下さいます。覚えて下さい!「為に」の信仰行動では、イエス・キリストの「恵み」にあずかることはありません。それ故に、あなたも「良い方(共に)」を選択して下さい。


 マリアは、イエス・キリストとの食事を、何故大事に思ったのでしょうか?それはイエス・キリストと、顔と顔を近付ける程の、近接した距離間の中で「共に過ごせること」が、彼女の最大の喜びだったからです。イエス・キリストの唇から、物凄い程の「麗しさ(甘美な言葉)」が流れ出て、彼女の霊的渇きを満たすからです。そうです!私たちの愛する花婿イエス・キリストは、無代価で「命の水」を、渇き求めて来る全ての者に与えて下さいます。


 どうぞあなたが、聖霊様の最大の「願い」である、神の麗しい「聖さ」の中にあずかり、御子イエス・キリストとの「親しい交わり」の中で、霊的な「神の宮」として、共に建て上げられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年6月25日のメッセ-ジ)


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