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Terminal Faith(No.23)

「聖霊」と「知恵」に満ちたステパノ




その頃、弟子の数が増えてきて、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子を全て呼び集めて言った。「私たちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。・・・・あなた方の中から、聖霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。・・・・」一同はこの提案に賛成し・・・・信仰と聖霊に満ちているステパノ(他の六人)・・・・を選んで、使徒たちの前に立たせた。・・・・
                                【使徒行伝6章1~6節】


「聖霊」と「知恵」に満ちたステパノとは?
 ご存じのように、使徒行伝時代に登場したステパノは、突然に使徒たちの一員として現れ、また早々に「世」を去って行く(召天する)、そんなイメージの神の「働き人」、そして殉教者の代表格です。彼は如何なるプロセスをもって、聖霊様に導き出されたのでしょうか?彼の出生(生い立ち)に関して、何の記述もありませんが、ギリシャ語を話すユダヤ人でした。しかも彼は、生粋のユダヤ教徒ではなく、「聖霊」に満ち溢れた人物、またソロモン王の如き、人知を超える程の優れた、天的な「知性」を有しているキリスト教徒でした。


 ステパノ同様に「迫害」や「試練」、そして「困難」と様々な「障壁」などは、「終末の時代」に生きる、私たちキリスト者にとって、当然の如くに遭遇するものとして、私たちは覚悟しておくべきです。そうです!大嵐の最中、私たちは「イエス・キリスト号」という、最終船(ターミナル・エクレシア)に乗船して、いよいよ出航の時を迎えているのです。


 しかし覚えて下さい!「迫害」が起きれば起きる程、私たちは聖霊様に導かれて、至る所に散らされて行きますが、散った先々で神の国の「福音」を大胆に語って行く、これが聖霊様の宣教戦略です。そうです!私たちは「逃げても良い!」という覚悟で、聖霊様と共に生きることが肝心です。聖霊様はパラクレイトスなる方、即ち片時も側近くに居て、共に付き添いながら、私たちと共に働いて下さる、素晴らしい「船頭役」だからです!


 ステパノに与えられた「知恵」、そして偉大なる船頭役、聖霊様の「御力」は、今に生きる私たちにも、天からの賜物として与えられるのでしょうか?然り、求める者には無代価で、「命の水」の如くに注がれます。今回の記事から示される、第一の重要な奥義は、「聖霊」と「知恵」に満ちた七人の「器(弟子)」は、今の時代において、霊的に何を意味しているのか?という点です。黙示録においても、「七つの燭台」が示され、これは「七つの教会」を指しています。


 聖霊様が偉大なる働きを為される時には、この「七つ」というキーワードをもって、私たちに教え示す次元があります。彼ら七人に共通する特徴は、「聖霊」と「知恵」に満ち溢れていることです。「聖霊」に満ち溢れるとは、如何なる状態のことでしょうか?私たちの「霊」「肉」「魂」が、イエス・キリストの「熱情の愛」に、どれだけ捉われているのか、その基準となるものが「聖霊に満ち溢れていること」です。


 続いて「知恵」に満ち溢れるとは、聖霊様が満たして下さる、天よりの「啓示」と「洞察」をもって、聖霊様が必要とする「時」と「場所」と「人(対象)」に、豊かに流す(注ぐ)状態に整えられることです。そういう意味でステパノは、この「聖霊」と「知恵」に満ちた、非常に優れた(スマートな)霊的特性を有していたことが伺えます。


ネグレクトというサタンの「罠」
 ところで、この時に起きたキリスト者どうしの「トラブル」とは、如何なるものだったのでしょうか?生粋のユダヤ人信者に対しては優先的であったものが、ギリシャ系ユダヤ人信者に対しては、日々の食糧分配に関して、「軽んじられ(negrect)」(1節)る状態が発生したことです。ご存じのようにネグレクトとは、一般的に「虐待」や「いじめ」などを指していますが、元々は「ないがしろにする(重要なものとして扱わない)」という意味です。これは自己中心思考から生じる、霊的な「罪」の一つです。


 その結果サタンが、彼らの間に「分断」という罠を仕掛けました。教会には多くの信者が集うことで、必ず世的な「党派(分派)心」や、組織的なセクト主義が発生します。その中にサタンが、巧妙に「分断の種」を蒔いています。しかし聖霊様の場合は、サタンの霊的ネグレクトを、ことごとく破壊して(聖別して)、分断ではなく「キリストの元に一つとする」、そのような「霊的な実」を結ぶことに、私たちを駆り立てます。


 ここで覚えて戴きたいことは、聖霊様がイエス・キリストの元に、私たちを「一つ」とされる時、そこには必ず麗しい「神の国」が確立されることです。イエス・キリストは、迫り来る大勢の群衆が、空腹を覚えられた時、彼らに対して「憐みの念」を抱かれ、弟子たちに命じて彼らを組単位(50~100人)に分け、その後弟子たちに「パン」と「魚」を、単純に信じて分配するように命じました。


 イエス・キリストは、僅かな「パン」と「魚」を祝福し、創造主なる神の権威で祈り、それを裂いて弟子たちに手渡しました。そして弟子たちが命じられた通りに、組分けされた群衆たちに、公平に分配しただけで、「神の国」の奇跡が起きたのです。この時の奇跡を、まざまざと覚えていた使徒たちは、今回の緊急事態に際して、共に「聖霊」の権威の元に祈り合うことで、神の「知恵」を戴きました。その結果、「七人の器」が選出されたのです。


互いに配慮し合う
 「ネグレクト」という言葉は、信仰的に重要なキーワードではありません。サタンは「個人」の信仰に働きかけ、「先ずはあなたが、他人よりも恵まれることで、他の人々を引っ張る原動力となるのです!」などの、「励まし」の如きメッセージを与えますが、聖霊様の場合は違います。聖霊様は必ず、天上の「知恵」を授け、私たちをイエス・キリストの、麗しい「御心」に先ず向けさせ、各々が競い合うのではなく、イエス・キリストにとって全ての「パーツ」が、公平かつ等しく重要なものであるのか、そこに焦点を当てます。これが今回の記事から示される、第二の重要な奥義です。


 そうです!「ネグレクト」の反対語は、互いに配慮し合うこと、即ち英語で「コンサーン(concern)」と言い、先ずは意識レベルから「相手(他者)を自分の事以上に、常に(四六時中)思いやること」です。「全てが一つの部分(パーツ)になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。・・・・神は見劣りのする部分を、いっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです。あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」【Ⅰコリント書12章19~27節】この御言葉は、エクレシアにとって重要な「霊的要(心臓部分)」を、分かり易く示しています。


 これからの時代、多くの日本人が生きる「希望」を喪失し、これからどう生きるべきか、その大事な「道標」を見出せない、つまり「明確な光」無き時代の中にあります。そのような霊的危機の時代の中で、日本人キリスト者の多くが、オンライン化された礼拝システムに組み込まれ、「集まる」ことに渇きを覚えない、自己満足的な礼拝者が増加しました。しかし覚えて下さい!使徒行伝時代のリバイバルの原動力は、聖霊様に満たされ、聖霊様の導きのもとに集った(呼び集められた)、キリスト者の霊的「交わり」、即ちコイノニアにあります!


 悪魔サタンは、私たちキリスト者が更に、悪しきネグレクトの種を蒔き続け、自分だけが満たされて、この世的な光(イルミナティ)を受けることに、甘い囁きをもって誘惑しています。しかし聖霊様は、盛んに「叱咤激励の声」を発しています。「権勢に拠らず、能力に拠らず、我が霊に拠りて、絶えず前進しなさい!」と。そうです!純粋に信じて、疑わずに進み行く者に、聖霊様は働かれるのです。社会から、世的なシステムから、人間関係から、地域的つながりから、ネグレクトされた(虐げられた)人々が、これからの日本において続出することでしょう。


あなたも一人の「ステパノ」として
 しかし「聖霊」と「知恵」に満たされた、霊的に目覚めたキリスト者たちが、彼らの元に出かけて行き、イエス・キリストの「福音」、即ち創造主なる神の「真実の言葉」が、彼らの純粋な信仰行動により、福音が至る所に届けられる時に、ダイナミックな「神の国」の訪れが、イエス・キリストの御名のもと、地上に再現されるのです。そして「大収穫の時」を、私たちは迎えることになります。その時に必要とされる神の「働き人」が、まさしくステパノ・タイプのニュー・コワーカー(同労者)であり、「終末のエクレシア」の群れです。


 キリストにあって互いに配慮し合うこと、これがエクレシアの存在意義です。聖霊様から見て、一人一人が「キリストの体」に組み込まれた、無くてはならない重要なパーツです。この奥義を、常に意識しながら、私たちが出かけて行く「大収穫の時」には、ネグレクトされた(虐げられた)人々が、イエス・キリストに立ち返って行くことになります。


 どうぞ「あなた(私)」が、「知恵」と「聖霊」に満ち溢れ、イエス・キリストに対する「熱情の愛」をもって、互いに仕え合いながら、真心から配慮し合う、一人の「ステパノ」として成長できますよう、主イエス・キリストの勝利の聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年7月30日のメッセ-ジ)


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