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終末のエクレシア(No.10)

「優先順位」が変えられるエクレシア




私の子供たち、キリストがあなた方の内に形づくられるまで、私は、もう一度あなた方を産もうと苦しんでいます。
                                                     【ガラテヤ書4章19節】


「エクレシア」に対する聖霊の働き
 「優先順位」が霊的に変えられるとは、私たちの「信仰」の霊的方向性を、主なる神が正しく変えて下さることを意味します。その時に私たちは、変えて下さる方(主なる神)の「ご意思」に、素直に従うという謙虚さが必要です。今回紹介する「婦人」は、聖書に登場する偉大な女性信仰者たち、例えばサラやハンナ、ルツやエステルなどと比較して、その壮絶かつ波乱な人生の道のり(苦難の経験)に関して、彼女が一番ではないかと思われます。


 その女性とは、イエス・キリストの母マリヤです。彼女はイエス・キリストの、単なる母親(産みの親)を意味するのではなく、彼女の信仰の遍歴が、終末におけるエクレシアの、霊的雛型の一つであることを覚えて下さい。


 今回の御言葉は、ガラテヤのキリスト者に対する、使徒パウロが記した書簡の一部です。その言葉を直訳すると、聖霊様の「働き」が分かり易く示されています。聖霊様は私たちの中に、主イエス・キリストが、まるで身重の母親の胎にあって、すくすくと成長して行くように、キリスト者の信仰の中にも、イエス・キリストが、霊的に形造られることを願っています。


 実際に直訳すると、次のようになります。「私の子供たちよ、親しみのある言葉をもって、あなた方に再度、神の御心を伝えたいと思います。それはまるで、子を授かった母親が、胎内に宿す我が子に対して、愛のメッセージを発するようなものです。即ちあなた方の中に、キリストの良きご性質の全てが、豊かに成長し形造られるまで、私は痛みを伴う程の、強い願いをもって祈り続けています。」


 新約聖書の中で「エクレシア」は、キリストの花嫁、賢い乙女たち、などの表現で記されていますが、それと同時に聖霊の「働き」としては、イエス・キリストを「救い主」として信じた時から、エクレシアは母親の如くに、赤子(イエス・キリスト)を霊的に授かることを意味します。そしてイエス・キリストの豊かな「ご性質」が、エクレシアの中から①産み出され、また②形造られ、豊かに③成長して行き、最終的には④イエス・キリストの身丈にまで、麗しく完成されて行くこと、これが「エクレシア」に対する、聖霊様の強い「働き」です。


マリヤに起きた第一の変革
 イエス・キリストの母マリヤは、実は三度に渡る聖霊様の、霊的「変革(造り変えられること)」を通して、エクレシアの「雛型」となります。先ず最初の霊的変革は、彼女の人生において、まるで「ちゃぶ台」がひっくり返されるような、強烈な印象を受ける出来事が起こります。それはルカ福音書2章41~51節に記されています。


 怒る母親の言葉に対して、少年イエスが逆にマリヤに問い質す、理解不能かつ有名なセリフが、この記事に記されています。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家に居るのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(49節)イエス・キリストは私たちに対しても、「私は何処に居るのですか?」と常に問われています。母マリヤの場合は、自分の腹を痛めたイエスが、「神の子でもある!」という意識は、この時はさすがに失せています。


 しかし、イエス・キリストの語った、後半部分の「言葉」に、母マリヤは驚愕しました。「うん?私たちの息子が、いつも父の家に居るですって!父って誰のこと?もしかして父なる神様・・・・」と。ダビデも詩篇の中で、「一つのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。」(27篇4節)と謡っています。「父の家」に居るとは、父なる神と「ご一緒」することです。


 今までの「エクレシア」は、二千年に渡る長い歴史の中で、父なる神の居ます所に、果たして「ご一緒」していたでしょうか?そしてエクレシアに行けば、必ず父なる神の「臨在」があったのでしょうか?また私たちの「霊」の只中に、いつも父と一緒に居ることを、強く願うなどの飢え渇きがあったでしょうか?


 母マリヤは、イエス・キリストの霊的問いかけを通して、聖霊様の啓示を示された結果、「母」と「子」の関係(肉の繋がり)が断ち切られ、父なる神の「御子」と自分という、霊的な「関わり(交わり)」が新たに始まったことを、この時に悟りました(心に納めました)。「心に納めていた」(51節)とは、直訳するなら「まるで宝物の如くに、心の中に大切にしまうこと」です。ご存じのように「宝物(宝石、貴金属等)」は、見ているだけで「心」が豊かになります。それ程に「美しさ」と、「麗しさ」が相混じり合って、見る者の「心」を魅了するからです。母マリヤの人生は、この時から変革されました。果たして私の「宝物(イエス・キリスト)」が、これからどうなって行くのか?その事だけを大切にしながら、信仰の「歩み」を続けました。これがマリヤに起きた、最初の霊的変革でした。


マリヤに起きた第二の変革
 マリヤに起きた二回目の霊的変革は、ヨハネ福音書2章4~5節に記されています。イエスがマリヤに質問します。「婦人よ、私とどんな関りがあるのです。私の時はまだ来ていません。」(4節)と。「カナの婚礼」の奇跡は、最初の霊的変革から、何年も経っている訳ですが、マリヤの信仰が驚くほど豊かに、成長していることが分かります。今回イエス・キリストが、マリヤに対して返答した「言い回し」は、簡単に言えば「女の方よ、私はあなたとの関りよりも、今は神との交わりを優先したいから、申し訳ないが邪魔しないでおくれ!」となります。


 さすがに、息子イエスの今回の言葉は、母親と自負するマリヤにとって、強烈な「言い回し」でしたが、信仰者マリヤのその後の対応は、非常に優れたものでした。父なる神を常に優先するイエスは、今回も父なる神との「関わりの時」を、先ずは求めていることに、マリヤは気付き引き下がりました。そして下役の者に指示しました。「この方の言われることは、何がどうであれ、全てその通りにして下さい。」と。


 マリヤはこの時、母親と息子という肉なる「関わり」よりも、イエス・キリストと父なる神の「関わり」に従った結果、カナの婚礼の奇跡を体験しました。マリヤはその後、神の御子イエスの存在が、自分を「肉の次元」から切り離すものであり、神の偉大なる御業を拡大して行く、神の「救い」そのものである!ことを、強烈な印象を覚えながら、更に造り変えられて行きました。


 私たちキリスト者は、終末の時代に生きる「エクレシア」として、如何なるキリストの「御体」に形造られるのでしょうか?今後私たちの前に、理解できない出来事が起こったとしても、聖書の預言通りに「事」が進んでいることを、イエス・キリストの「視点」を通して、またイエス・キリストの「救い」の現れを通して、正しく見ることが肝心です。また私たちは、真の「喜び」をもって、「その時」を待ちましょう!即ち、新しい「天」と新しい「地」が、私たちの為に用意されることを期待しましょう!更に「イエス・キリスト」が、私たちの中に豊かに形造られる為には、聖霊様の「働き」に対して、全き信仰をもって従うことです。一人一人が神の「命の言葉」を、多くの人々に紐解き(霊的に説き)、そしてイエス・キリストの、豊かな「命の道標」を示す時に、「カナの婚礼」の如くに、神の偉大なる「救い」の御業が起きるからです。


マリヤに起きた第三の変革
 マリヤに起きる最終的な霊的変革は、マタイ福音書12章46~51節に記されています。この時の、イエス・キリストのマリヤに対する「言い回し」は、完全に彼女を「他人扱い」している言葉です。「腹を痛めた関係」、「育て上げた関係」、「躾けを教えた関係」などが、決して無意味なものではありませんが、「肉の次元」には無い、神の高き「霊の次元」にある言葉として、イエス・キリストは集まった人々に対して、新しい「神の家族」という霊的関係を、模範をもって示されました。


 即ち、イエス・キリストの「家族」と呼ばれる者とは、父なる神が望まれることを、御心通りに全て行う者のことです。ルカは、その時のイエス・キリストの言葉を、更に詳しく記述しました。「神の言葉を聞いて、その通りに実践して行く者こそが、イエス・キリストの母、兄弟と呼ばれる」と。この時点で、母マリヤは確信しました。「キリスト」と呼ばれるメシヤとは、父なる神の「家族」の中で、神の「救い」を現す長子(継承者)であり、父なる神の「御心」のみに、忠実に従う「神の子」である!と。


 最終的にイエス・キリストが示した、新しい神の「家族」の在り方を通して、マリヤの霊的変革が完成します。つまり神の「家族」とは、イエス・キリストを長子とする、共に仕え合う「神の子」の群れであり、その中にあっては誰が年長とか、誰が優先的であるか等の、三次元的「関わり」から解放された、新しい神との「交わり(関わり合い)」が、全てに優るものである!ことを、マリヤは素直に受け入れることが出来ました。


 今までの「エクレシア」は、この世にある三次元的「順位(位置付け)」を優先していました。例えば「大きく成長すること」を望んだり、「賜物が優れた者が第一人者」であるなど。しかし聖霊様の働きにより、使徒行伝時代に誕生した「エクレシア」は、マリヤが三度に渡って変革されたように、御子を長子とする「神の家族」という、新しい「御国の単位」を基準とします。


 そうです!私たちが新しい「エクレシア」として、今後更に変革されて行く時には、ただ福音宣教に出かけるだけで、そこに「カナの婚礼」の奇跡が起き、新たな「神の民」が加わり始め、新しいエクレシアが次々と産まれ出るのです。私たちは、イエス・キリストの「御声」に聞き従い、その通りに果たして行きさえすれば、如何なる「恐れ」も消え去ります!ただ拡大して行くだけです。


 私たちもマリヤの如くに、霊的な「優先順位」が、大きく変更されつつあることを、信仰をもって受け留め、常に意識して参りましょう!間もなく私たちの花婿なる方、イエス・キリストは来臨されます。「その時」には、天上の御国において、神の子たちの大家族が一斉に集められ、麗しい祝宴の時を迎えることになります。


 あなたが神の「御心」のみを求め、新しい「 神の子」として、霊的な優先順位が正しく聖められますように。またあなたの「信仰の目」が、イエス・キリストという、神の家族の「長子」に対して、更に向けられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年3月13日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 


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