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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.30)

   「命」に至る道と「死」に至る道




あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、私はお前たちの前に命の道と死の道を置く。・・・・私は、顔をこの都に向けて災いをくだし、幸いを与えない、と主は言われる。この都はバビロンの王の手に渡され、火で焼き払われる。」ユダの王家に対して。「主の言葉を聞け。ダビデの家よ、主はこう言われる。朝ごとに正しい裁きを行え。搾取されている人を虐げる者の手から救い出せ。・・・・
                                               【エレミヤ書21章8~14節】


二つの「道」
 今回の御言葉は、非常にタイムリーな内容であり、また「希望」を与える神のメッセージです。私たちが歩む「信仰の道」は、神が私たちを苦しめるなど、テストの如きものではありません!また「呪い」や「苦難」を課すことで、霊的な実験をしている訳でもありません。


 確かに今日の世界情勢を見る限り、私たちは大変な苦難(試練)を強いられています。しかしそれは、悪魔サタンによる、悪しき「実験」ではありません。あくまでそれは、神ご自身が用意したものではありませんが、むしろその試練を通して主なる神は、私たちキリスト者が本来行くべき、正しい方向性を示しながら、じっくり観察されているものと思われます。


 私たちが仮に、誤った道に行った場合には、主なる神は聖霊様を通して、様々に「気付きの時」、また霊的に「軌道修正する時」、そして「恵みの時」を与えながら、正しい「真理の道」へと導いて下さいます。その場合に、私たちが常に覚えておくべき重要ポイントは、「二つの道」が用意されている点です。その「二つの道」とは、第一に①死に至る道であり、第二に②命に至る道です。「死に至る道」に関しては、神が故意に用意しているものではありません。この道は人間自らが、罪故に選び取っている道です。


 しかし第二の「命に至る道」は、主なる神が与える「唯一の道」です!とかく私たちは、肉の「欲」の虜になる部分がある故、様々な道を選択しがちです。しかし主なる神が用意する道は、「一つの道」だけであり、私たちが「命に至る道」を受け取る時は、「今」です!「多くの者が躓く!」と、イエス・キリストが明言された道、それが今の「恵みの時」です。しかし神の「救い」に至る道は、余りにも狭いため、多くの者が躓くのです。


 ところで今、テレビ等で盛んに流される、日本政府の広報(宣伝)を見る限り、例えば「あなたの周りの方の命を守る為に、あなたの勇気ある行動(積極的なワクチン接種)に期待します!」などの謳い文句は、太平洋戦争末期に「あなたの息子さんが、お国のため、天皇陛下のために、命を奉じて戦って戴ければ、この国は必ず救われます。ですからあなたの息子さんの、勇気ある志願に期待します!」の言葉に、何となくそっくりと思われますが、如何でしょうか?これは一種の「同情」を掻き立てる、政治的「圧力(プロパガンダ)」です。


 「ワクチン」そのものは、一つの「液体(薬)」に過ぎませんが、これを唯一の「救い(希望の道)」と説きながら、様々に宣伝(接種キャンペーン)していますが、これは終末に至る一つの「兆し」です。即ち、将来的に世界的災いの最たる「呪い(戦争)」を克服し、奇跡的に「世界平和」を造り上げる、反キリスト(偽りのメシヤ)に対して、膝を屈める政治的キャンペーン、その「走り」です。仮に私たちが、彼らの言う「同情論」に絆(ほだ)されて、人間的な「救い」を受け入れてしまったら、私たちは直ちに霊的なバビロンへと、捕囚(隷属)されることになります。


「霊的バビロン」から逃れ出よ!
 今回の記事から、私たちが学ぶべき第一ポイントは、「霊的バビロンから逃れ出なさい!」という点です。あなたが「霊的バビロン」に捕囚されない為には、今あるバビロン的なしこり、つまり世に対して後ろ髪引かれる部分、「この世」をついつい頼るなど、そういったものから完全に逃れ出るには、「今は恵みの時!」という、神の最大の「救い」の時を、決して逃さないことです。


 この「霊的バビロン」とは、主なる神の「御心」に反する、全ての「汚れ」や「悪」、そして心の拠り所とするもの、つまり霊的な「偶像」のことです。あなたの心の中に、神の「御心」以外のものを、霊的な「拠り所」としている部分がありませんか?「この世」にしがみ付きながら、必死に努力しよう!という思いは、一つの「霊的バビロン」です。


 さて、私たちの前には「二つの道」がある訳ですが、「命に至る道」は神が用意しますが、「死に至る道」の場合は、人が自らが選択するものです。「命に至る道」は、必ず「永遠の命」を保証する、神の唯一の道です。イスラエルの民は、どちらの道を選択したのでしょうか?神によって生き永らえる道か、それとも現実に甘んじながら、最終的にバビロンと共に滅びる道の、どちらかです。


 今日の「バビロン」とは、具体的に何を指すのでしょうか?それは「One World Order(新世界秩序)」です。そうです!彼らが目論む「世界政府」は、一つの巨大な流れを画策し、全ての人々を「反キリスト」の足元に、跪かせようとします。そんな「今の時」に、私たちは「この世」の流れから、様々に苦しめられているように見えて、実は逆に「バビロン」から逃れ出ることで、霊的に勝利しているのです!


 「今の時」を必死に耐えながら、神の「御心」に従って、「命に至る道」を歩む者は、聖霊様の「御声」に聞き従うことで、あとあと「あ!この道を選択して良かった。彼らと同じ様に、世の流れに組しなくて良かった。しかし多くの人々が、災いに苦しんでいる訳ですから、主よ、この私を遣わして下さい!彼らの病い・苦しみに対して、イエス・キリストの血潮を注ぎます。」と告白するなど、必ず遣わされる時が来ます。


明らかな「違い」
 主なる神は私たちに対して、唯一の「命に至る道」を与える訳ですが、この「真理」に至る「正しい道」と、悪魔サタンが「偽り」をもって、様々に造り上げる「死に至る道」、この明らかな「違い」を、私たちは再度知っておくべきです。「イエスは言われた。光は、今しばらく、あなた方の間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分が何処へ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」(ヨハネ福音書12章35~36節)


 「命」と「死」に関する明らかな「違い」は、そこに「真実の光」があるか無いかという点です。「命」は必ず希望を与えます。そしてそれは「終わり」無きもの、つまり私たちを永遠に「正しい道」へと導きます。喩えて言うなら「永遠の灯(真実の光)」の如きものです。この「真実の光」がある間に、私たちは暗闇から追いつかれないように、更に「真実の光」を追い求める、即ち「真実の光」と共に歩むべきです!


 この「真実の光」とは、イエス・キリストのことです!イエス・キリストは、ご自身の「命」を十字架上上に、私たちの「罪」の身代わり(生贄)」として、完全に捧げられました。この栄光ある方は、復活された後に、多くの弟子たちの目の前で、確かに昇天されましたが、光の働きが終わった訳ではありません。この後、真理に至る「啓示の光」として、聖霊様が弟子たちの「霊」に臨んで下さいました。そして、今に生きる私たちにも灯して下さいます。それは何の「燈火」でしょうか?


 具体的には、私たちがこれから①何処に行くべきか、②どのように歩むべきか、③どのように生きて行くべきか、この三つの為の「燈火」です。今の苦しい時代にあっても、私たちは確実に唯一の「隠れ家」、イエス・キリストの御元へと導かれるのです。故に私たちが「光の子」となるべく、光のあるうちに光を信じて、前進する必要があります。


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住むところが沢山ある。もし無ければ、あなた方のために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなた方の為に場所を用意したら、戻って来て、あなた方を私のもとに迎える。こうして、私の居る所に、あなた方も居ることになる。私が何処へ行くのか、その道をあなた方は知っている。」・・・・「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことが出来ない。・・・・(ヨハネ福音書14章1~6節)


 素晴らしい私たちの花婿なる、主イエス・キリストは、必ず戻って来ます。しかし私たちは、この時の弟子たちの如くに、何故かしら「イエス・キリストが去る(いなくなる、共におられない、~から見捨てられる)」等の、否定的な概念(思い患い)ばかりに、心が捉われるのでしょうか?そして今の時代であれば、例えば「神よ、何故あなたは、私たちを救い出して下さらないのですか?」などの、「不安」な思いに駆られますが、それが私たちの現実の「弱さ」です。


 しかし覚えて下さい!私たちが忘れてはならない、重要な「真理」があります。この「真理」に至る道、即ちイエス・キリストの道を歩く者は、いずれ来たる「その時」に、父なる神が「再臨の主」として、イエス・キリストを私たちのもとに遣わし、「花嫁」の私たちを出迎えて下さる!という、偽り無き「神の事実」です。余りにも大変な状況が、今後も尚継続するとしたら、主なる神は悪魔サタンの「計画(策略)」よりも、先んじてイエス・キリストの「救い」の計画を、私たちの「働き」を通して早めて下さいます。


 私たちの「祈り」の叫びが上がると同時に、霊的に覚醒したキリスト者が、聖霊様を通して圧倒的な「油注ぎ」を受けることにより、多くのキリスト者が立ち上がり、キリストに「命」を奉じて、「死」を恐れなくなります。そうです!「生きるのも、死ぬのも主キリストのため!」と、強く告白し続けた使徒パウロの如くに、「死」の先にある神の「御国」、即ち「命に至る道」を歩んで、私たちは前進するのです。


 聖霊様は、必ず私たちの歩む「先々」で守り導き、いずれ来たる「霊的大収穫」の時に間に合う、優れた収穫人として、私たちを霊的に整えて下さいます。そうです!「今の時」は、あなたの為にあるのです。ですから、恐れずに前進しましょう!あなたの歩む道は、常に「命に至る道」です。あらゆる「この世」の方法論に妥協しないで下さい。少しでも妥協しますと、それは霊的に後ずさりすることになります。あなたが花婿なる方と、早く相まみえることを臨むのであれば、「聖なる油」をもって祈り続け、真理(イエス・キリスト)に至る「燈火」のみを手にして、真っすぐに歩み続けましょう!


 この明らかな「違い」を、私たちは「今の時」に見ています。あなたが「正しい道」を、常に歩んで行きますように。これから何が起きたとしても、「その時」に間に合うよう準備しましょう。花婿なる主イエス・キリストに、遂にお会いする「その時」に向けて。ケリテ川のほとりで、干からびそうになったエリヤのもとに、烏という「助け」を遣わした方は常に真実です。あなたを「正しい道」へと、必ず導いて下さいます。


 是非、聖書の「命の言葉」に堅く立ち、イエス・キリストに至る「唯一の道」を、あなたが踏み外すことが無きように。また聖霊様が豊かに力強く、あなたの信仰の「歩み」に臨んで下さいますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年8月29日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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