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終末のエクレシア(No.7)

   「滅亡の危機」の最中にあっても




二人(斥候)は彼女に言った。「・・・・我々がここに攻め込む時、我々を吊り降ろした窓にこの真っ赤な紐を結び付けておきなさい。またあなたの父母、兄弟、一族を一人残らず家に集めておきなさい。」・・・・ラハブは「お言葉通りにいたしましょう」と答えて、二人を送り出し、彼らが立ち去ると、真っ赤な紐を窓に結び付けた。
                                               【ヨシュア記2章17~21節】


ラハブの「救い」という神の選び
 今回の記事の主役であるラハブ、彼女の信仰の中に見出される、主なる神の偉大なる「救い」のご計画は、今の時代においても、如何なる形(方法)で現されるのでしょうか?ご存じのように、彼女の職業及び身分は、当時の人々から見ても蔑まれるものでした。しかし彼女は、今回の奇跡的救出劇の時に、年齢が不詳ではありますが、恐らく二十代後半から、三十代半ばの一婦人ということで、女性としては社会的リーダー、もしくは経営者的立場の身分にありました。


 最終的に彼女は、自分の商売上の「館(屋敷)」に、多くの一族(親族)を集める訳ですから、彼女が所有する「館」が、かなりの大きさであることが伺えます。そして不思議なことに、このラハブの「館」を、神が事前に計画していたかの如くに、二人のイスラエル人斥候を、一時的にかくまう「逃れ(救い)の場」となります。


 実は今に生きる私たちも、ラハブと何ら変わり無き、「罪人」の身分です。私たちが救われたのは、私たち自らが意図(計画)したことではなく、主なる神が一方的に、私たちをお選びになり、そして神の「救い」に招いて下さった結果、私たちは神の「救い」に、あずかることが出来たのです。


 今回の記事から、私たちが先ず覚えるべき重要ポイント、それはイエス・キリストの「系図」から示される、ラハブの霊的位置づけです。イスラエルから見て、当然の如くにラハブは「異邦人(外国人)」であり、彼女たちは滅ぼされる側、つまりエリコ住民の一族でした。そのラハブを、主なる神は「救い」の源流としました。


 そうです!神の「救い」を成就する、その源となる人物として、ラハブをお選びになったのです。後々ラハブは結婚して、息子(跡取り)を授かりますが、その息子の名が「ボアズ」、つまり「ルツ(彼女も異邦人)」の夫となる人物です。ボアズの孫にあたるのが、ダビデの父エッサイになる訳ですから、ラハブの霊的位置づけが、如何に神の「救い」の源流となっているか、一目瞭然ではないでしょうか!


エクレシアの聖別
 実は今の「終末の時」に、主なる神は私たちキリスト者に対して、終末の「エクレシア」という、霊的デザインを示されます。しかしそれは、全てのキリスト信者に対して、等しく示されるものではありません。今後キリスト者は、恐らく「ホンモノ」と「ニセモノ」という、二つの霊的グループに淘汰されるでしょう。この霊的淘汰は、聖霊様を通して選び分かたれて行く、つまり「エクレシア」の聖別を意味します。


 「教会」が選び分かたれて行く過程で、実に多くのキリスト者が、小羊イエス・キリストから離れ、「この世」に倣う山羊(ニセモノ)として生きる、つまり「ホンモノ」が少数派になります。しかし、多くの教会が「砂上の楼閣」と化している、今の堕落した時代においても、イエス・キリスト以外に真の「救い」が無い!という信仰を、堂々と語る(証言する)真の花嫁が存在します。そうです!ミカエルを長とする神の軍隊は、確実に「新しい天」と「新しい地」を創造するべく、「真のエクレシア」と共に進軍しています。


 それと同時に、イスラエルから神の「救い」が起こり始めた時に、彼ら12部族から総勢14万4,000人、即ち12部族×1万2,000人の使徒たちが、全世界に出陣する時に、大迫害の中にあっても、霊的「大収穫(リバイバル)」の働きに携わります。その結果多くの人々が、至る所で神の「救い」にあずかる訳ですが、彼らは何処に行けばよいのでしょうか?それが霊的な「ラハブの館」、つまり「終末のエクレシア」です!


「ラハブの館」という神のデザイン
 「終末の時」に、如何なる神の「デザイン」が、エクレシアにおいて現されるのでしょうか?その鍵となる第一の重要ポイントが、①遊女ラハブという神の「選び(救いのデザイン)」です。これを常に覚えて下さい!私たちは、彼女ほどの「罪人」ではない!と錯覚していますが、神に対して時々「背」を向ける点では、同じように罪人です。多くの「罪」の因子を持つ、そのような私たちを、主なる神は「一粒の麦(種)」として、わざわざ選んで下さいました。その目的はラハブ同様に、イエス・キリストの「救い」を、滅び行く多くの魂(霊的フィールド)の中に、豊かに種付かせ、最終的に大収穫の「恵み」として刈り取るためです。


 第二の重要ポイントは、②ラハブは信仰行動として、何処に「赤い紐」を結び付けたのか?という点です。これは今に生きる、私たちの時代も同じです。私たちも、滅び行く魂が多く存在する、霊的な「エリコの街」に住んでいます。私たちエクレシアが、イエス・キリストの十字架の「血潮」を、唯一の「救い」のしるし(サイン)として、「エリコの街」に向けて掲示しないのであれば、それは「エリコの全滅」を意味します。それ程の覚悟で、私たちは「今の時」に生かされ(遣わされ)ているのです。


 「ラハブの館」は、「ユースホステル(簡易宿泊所)」に似通っています。ラハブは当初、「商いの場所」として建て上げました。しかし建てた場所が、城下街の中心地ではなく、城壁に隣接する「辺境地」でした。ところがそのこと自体が、神による「選びの地」だったのです。エリコの城壁が崩れ落ち、イスラエル軍が城内に攻め入る中、城壁周辺において、一つの建物だけが、倒壊を免れていることを、ある兵士がヨシュアに報告しました。


 するとヨシュアは、その兵士に問い質します。「もしかしたら、その建物の二階の窓には、赤い紐が括(くく)り付けていなかったか?」と。即座に兵士は返答します。「ヨシュア様、おっしゃる通りです。確かに赤い紐がありました。まるで何かを、訴えているかのように、赤い紐は風に揺らいでいました。」と。


 即座にヨシュアと二人の斥候は行動し、倒壊を免れた「ラハブの館」に到着しました。そして玄関口に立ち、ノックしながら次のように言い放ちました。「ラハブのご婦人よ、中で生きておられるか?私たちは約束通りに、あなた方を救出する為に参上した。」すると中から、女性の声が返ってきました、「はい!私たちは全員無事です。あなたは、イスラエルの長なるヨシュア様ですか?」と。


 この①「赤い紐」の位置(存在地点)、②主なる神の偉大なる「救い」の御業、そして③イスラエル軍の侵攻の在り方から見ると、まさしく主なる神が全てを働かせて、「救い」のシンボルとなる、「赤い紐」へと人々を結び付けて行く、偉大なる「計画」が、前もって用意されていることが分かります。そしてその「赤い紐」を見た時に、「神の事実」という不思議な方程式が、まさに「ラハブの館」において、明らかになったのです。


 「ラハブの館」は、実は神の「救い」を現すものであり、「滅亡」という危機の中にあって、「最後のシェルター」の如きものです。それは詩篇の言葉にある、「逃れの場」であり「御翼の影」です。私たちに様々な「災い」、例えば小さなものから、大きな「災害」に至るまで、色々な事が現実的に起こります。しかし覚えて戴きたいことは、主なる神の「御翼の影」があるから、私たちは今まで生き永らえているのです。主なる神はいずれ、ご自身の偉大なる「救い」の方程式を、私たちに対しても示されることでしょう。


 それは本人の信仰、即ち「イエス・キリストの贖いの血潮以外に、真の救いは無い!」と信じる、その信仰の結果として現れ出るものです。神の「救い」は、一方的な神の「選び」と「恵み(恩寵)」によるものです。またそれは、イエス・キリストの十字架の「血潮」、即ち霊的な「赤い紐」の存在があるからこそ、私たちが仰ぎ見ることが出来たのです。


 あなたには、イエス・キリストの「血潮」が、豊かに注がれています。イエス・キリストの「血潮」のサインが、「終末のエクレシア」において、主なる神のデザイン通りに現される時、相次ぐ「災い」の襲来という、「滅亡」の危機にあって、逃れられる(贖われる)のか、それとも滅ぼされるか?という、「救い」の分岐点になります。


二つの「命令」
 聖霊様は、今に生きる私たちに対しても、ラハブ同様に二つの「命令」を発しています。先ず第一に①一族を「館(終末のエクレシア)」に集めておくこと。そうです!イエス・キリストの御許に集まるだけで、主なる神の「救い」の方程式が始まるのです。第二に②窓の外側に「赤い紐」を結び付けることです。ラハブはこの二つの命令を、先に何が起きるのか分からなかったにも関わらず、見えざる「神の事実」を信じて、忠実に実行しました。


 彼女たちが、ひたすら「その時」を待ち、神の「救い」を祈り求めた結果、神の「リバイバル」が訪れ、イスラエルの民の行進の後に、遂に巨大地震が起きます。使徒行伝の時もそうでした。聖徒たちの熱心な「祈り」の後に、聖霊の激しい「炎」の訪れと共に、突然大地が震え、彼らは異言で語り始めたのです。そして「ラハブの館」から、彼女たち一族全員が救出された時から、神の「救い」がスタートします。そうです!「エクレシア」としての神のデザインが、彼女たちを通して始まりました。


 繰り返しになりますが、私たちが救われたのは、神の一方的な「選び」によることです。罪人に過ぎなかった「あなた(私)」を、神が直々に救い出して下さった目的は、神の「救い」を先ず「あなた(私)」に現し、そして「あなた(私)」を通して、この「終末の時代」の中にあって、滅び行く「魂」の救いの為に、①彼らをエクレシアに集めるべく、②「赤い紐」、即ちイエス・キリストの十字架の「血潮(サイン)」を、高らかに掲示するためです。


 そうです!私たちが大胆に、勇ましい「信仰」をもって、彼らに宣べ伝えるべき福音は、「イエス・キリストを信じなさい!イエス・キリストの十字架の血潮を、今直ちに受け取りなさい!そうすれば、あなたばかりでなく、あなたの一族全てが、神の救いにあずかることが出来ます!」という、単純なメッセージです。


 どうでしょうか?神の「救い」のデザインが、明確に見えてきました。私たちが更に神の「救い」の方向に聖別され、「ラハブの館」の如き、「終末のエクレシア」として形成させて行くのか、それとも悪魔サタンの誘惑に取り込まれながら、毒麦の如き世俗化された教会に淘汰されて行くのか、その分岐点になるのはイエス・キリストの、十字架の「血潮」です。これをどうか「最高の宝物」として、私たちは霊的にも物理的にも、「この世」に対して高く掲げましょう!


 私たちが大胆に、「確信」と希望に満ちた「誇り」を持ち続ける限り、あなたが「神の宮」、つまり「ラハブの館」として、今の「終末の時」に大きく用いられて行くのです。主なる神は、様々な「災い」と罪の「呪い」を除去するべく、色々な事を通して偉大なる「御業」を用意しています。神の「救い」のデザインは、一つの「石ころ」からでも、「へんぴな場所(田舎)」からでもリバイバルを起こされます。


 そうです!「滅亡」の危機の最中にあって、神がお選びになった、その「救い」のデザインは、「ラハブの館」と彼女の「信仰」でした。ですから主なる神が、あなたを「今の時」に生かし、様々な状況下にあっても、色々な方法をもって、神の「救い」を現すこと、これを是非信じ続けて、祈り求めて行きましょう!


 主なる神は必ず、「救い」のサインを現して下さいます。冬が終われば、春のサインが現れ出るように、神の「救い」の種が、いよいよ芽吹く季節が到来します。そうです!いずれ来る「大収穫」の時の為に、私たちは「賢い乙女」の如くに、聖霊の「油注ぎ」を受けながら、熱心に祈り続けて参りましょう!


 聖霊様は必ず、あなたを偉大なる神の「救い」の時に、「有用な器」として用い、神の「救い」を現すエクレシアとして、更に聖別し祝福されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年2月6日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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