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命と心の健やかなる成長のために!
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正しい生き方(No.30)

       敵を射止める「最大の武器」




ハンナは祈って言った。「主にあって私の心は喜び、主にあって私は角を高く上げる。私は敵に対して口を大きく開き、御救いを喜び歌う。・・・・
                                                【Ⅰサムエル記2章1節】


ハンナの霊的「レポート」
 今回ハンナが、主なる神に捧げた「祈り」の告白(2章1~10節)は、彼女の「信仰表明」であると同時に、神に提出した霊的「レポート」であり、今までの「信仰」の歩みに関する、彼女の赤裸々な「日誌報告書」とも言うべきものです。即ち①上よりの「信仰」を戴いてから、如何に神の「守り」と「導き」により、確実に歩んで来られたか、また②神ご自身が共に居られたからこそ、数々の奇跡(恵み)を得ることが出来、それ故に御名を高らかに褒め称えることが出来たか、③神の御顔が自分に向けられているからこそ、如何に自分の存在があり得たかなど、非常に優れた「祈り」のレポートです。


 このレポートは、ある面でハンナの特性である、不動の「信仰者」としての立ち位置を、主なる神に報告し、これは実に神の偉大なる御業によって、固く打ち立てられたものであり、自分はそのように造り変えられた!という、彼女の信仰の「叫び」です。彼女が今回表明した「私は角を高く上げる」とは、彼女が「今の自分」の姿(信仰姿勢)を、角を堂々と天高く上げた、凛々しい「牡鹿」の如くに、霊的に捉えているものと思われます。即ち如何なる者(敵)も、もはや自分を脅かし得ないなど、非常に堅固な不動の「信仰姿勢」を、あえて主なる神に提示しています。


 ハンナは三歳の小牛を、献げるべく神殿に赴いた際に、今回の「祈り」を表明した訳ですが、この彼女の「信仰告白」は、彼女の今後の歩みにとって、非常に重要な転換点となります。しかも我が子(サムエル)を、神に託した直後の表明とあっては、想像を絶する高き霊的次元に、彼女自身の「信仰」の立ち位置があり、もはや「我が子サムエル!」という、肉なる感情の次元にはありません。サムエルは、既に「神の領域」にあり、我が子を神に捧げることを通して、神がサムエルの「人生」を取扱い、偉大なる神の「ご計画」の中で、サムエルを民族の「救い」の為に必ず用いる!と、このようにハンナは確信できたからです。


神の喜び
 今回のハンナの「祈り」の言葉にある、「主にあって私の心は喜び、主にあって私は角を高く上げる。」とは、直訳すると「主なる神が私の心を、喜びで満ち溢れさせて下さった。それ故に私は最高に幸せ者である!」という意味になります。つまり物凄い「喜び」に満ち溢れた、感極まる感情の露出を、彼女はストレートに表明しています。ですから彼女にとって、この「喜び」が満ちている限り、もはや恐れるものは何もない!と、このように宣言しています。


 あくまで主なる神が、ハンナの人生の「主役」として、事(神の計画)を起こして下さったが故に、勝利した「今の私」がある!と、彼女は高らかに「感謝」の報告(祈り)を捧げました。実はハンナの今回の「祈り」に関して、重要となるキーワードがあります。それが「JOY(喜び)」です。しかも、それは神が与えて下さるもの、即ち「神の喜び」があったからこそ、如何なる「敵」にも勝利し、今の自分が存在し得る!など、「宝石」の如き賜物、それが「JOY(喜び)」であり、彼女はこの「神の喜び」を、高らかに讃えているのです。


 今回のハンナの祈りの、「出だし」とも言うべきポイントですが、彼女自身は主なる神から戴いた、この「神の喜び」が、人間的な次元にある武器ではなく、主なる神の霊的次元にある、最高の「武器」である!、又この最高の武器によって、ハンナ自身が闘い続けることができ、また勝利を得た!と、このように受け留めました。この偉大なる「神の事実」を、神に対してレポートすること、これが今回のハンナの「祈り」です。


 彼女は「祈り」のレポートの中で、「神の喜び」こそが最高のものであり、これは決して自分自身の内側から、感情的に生じる「喜び」ではなく、神が一方的に賜る「天の喜び」であり、これは如何なるものにも、打ち負かされることの無い、如何なる「敵」をも粉砕することの出来る、偉大なる賜物である!と告白しました。「私は敵に対して口を大きく開き、御救いを喜び歌う。」とは、直訳すると次のようになります。「私は敵を笑い飛ばす。神が私の味方となり、様々に助けて下さったが故に、何と私は喜びに満ち溢れていることか!


 彼女のこの表現は、「敵」を前にして恐れるのではなく、「敵」そのものを笑い飛ばすなど、非常にダイナミックな信仰に基づいています。最初の頃は、確かにペニナの「嫌がらせ」が多々ありました。しかし今回の彼女の「祈り」を見る限り、ペニナそのものを「敵」として捉えるのではなく、ハンナ自身の「霊」に働きかけ、ベニナの背後に居座る「敵」、つまりサタンの存在と、悪霊の攻撃を示唆しています。


敵を射止める「最大の武器」
 その敵の攻撃を、ハンナは如何なる武器によって闘ったのか、それが「最大の武器」となる、主なる神が賜る真実の「喜び」です!この「最大の武器」をもって、彼女は「敵」に打ち勝つことが出来ました。即ち「敵」の攻撃ばかりか、「敵」そのものを射止める「最大の武器」、それが「神の喜び」です。「神の喜び」こそが、私たちの信仰生活の原動力です。


 この「神の喜び」には、三つの霊的特徴があります。第一に①神から一方的に賜るものであること。第二に②サムエルを授かった時から生じたものではなく、サムエルを身籠る以前から、主なる神が彼女自身の信仰に応えて、惜しみなく与えているものであること。第三に③目に見えない「神の事実」を、信仰で確認したが故に賜ったものであること。


 私たちの「闘い」は血肉の次元にはありません!私たちは、サタンが仕掛ける様々な攻撃に対して、如何なる「闘い方」をすべきでしょうか?ハンナの信仰行動、特に今回のハンナの「祈り」から、霊的に参考とすべきです。即ち「敵を笑い飛ばす!」ことです。さー、私たちは「神の喜び」をもって、敵そのものを笑い飛ばしましょう!「お前に何が出来ようか!私は常に、主にあって心が喜びに満たされ、主にあって私は頭を高く、神のみに上げることが出来る存在である!お前が何をしようが、お前は既に敗北が決まっている!私に与えられるもの、それが神の勝利である!」と、高らかに「敵」を笑い飛ばす、この「神の喜び」を求めて参りましょう!


 「信仰」とは、目に見えざる事実を、既に得たものとして確認することです。とかく私たちは、「先」という次元に対して、心配したり恐れたりします。しかし「否!」です。目に見えざる事実は、主なる神が既に勝利して下さいました。イエス・キリストの「十字架」上で。イエス・キリストの「贖い」の御業を通して、私たちは既に勝利を得ています!創造主なる神が、全てを完成して下さいます!真実の神が全てを、相働かせて「益」として下さいます!ハンナは実際に信仰で行動し、「祈り」をもって表明しました。そして「敵」を笑い飛ばしました。私たちもサタンを常に笑い飛ばす、この信仰表明を告白して参りましょう!


 サタンは様々な次元の中に、私たちを「恐怖」で縛り、また「不安」や「心配(懸念)」などの次元を、私たちに見せつけようとします。しかし私たちは、「敵」の仕掛ける肉の次元を見ません。私たちが見るべき次元は、目に見えざる「神の事実」であり、私たちの唇は「神の喜び」を、高らかに称えることです。そして神が与えて下さる、この「最大の武器」を手に取り、素晴らしい霊的な次元を歩みながら、常に勝利して参りましょう!


 イエス・キリストの「救い」の御業が、あなたが歩む全ての信仰の道に、益々豊かに臨みますように。そして天より賜る「神の喜び」をもって、全ての「敵」を笑い飛ばす霊的次元の中で、日々「勝利」を得て行くことが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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