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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.27)

            その名は「神のもの」




一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
                                          【Ⅰサムエル記1章19~20節】


神との契約の「テーブル」に着く時・・・・
 あなたは自分が願い求めていた、祈りの「答え」が得られる過程で、先ず第一に①どのように思い、そして次に②どのように行動しているか?この二つのポイントに絞って、私たちは今回の記事に見られる、ハンナとエルカナの信仰行動に関して、聖霊様から教え示して戴きましょう。


 先ず第一の重要ポイント、それは「霊の次元」の祈りをもって、神との間に霊的な印を押したエルカナとハンナ、この二人の信仰行動の結果、実は重要な神の奥深い、霊的「取扱い」と「ご計画」が、彼ら夫婦を通してその後生まれ出る、初子「サムエル」の中に現れ出ていることを、私たちは改めて知ることが出来る!という点です。


 「霊の次元」の祈りを捧げることは、ある面神が用意する「テーブル(契約調印の場)」に、私たちが信仰をもって臨むことです。さてハンナは、神が用意した「テーブル」に臨んだ時、①如何なる「思い」で席に付き、次に②如何なる行動を取ったのでしょうか?先ず私たちが知るべきこと、それは彼女が「神の次元」に、自分の「思い」の全てを委ねている!という点です。その結果「霊の次元」が開かれ、全てを神の「御心」の中に託す(委任する)、そのような霊的「信頼(確信)」に至っています。


 このように霊的確信を得た彼女は、次の具体的行動として、神と直接契約を交わし合っているからこそ、神との「契約」に基づく神の「祝福」を、必ず受け取ることを信じて、「その時」に向けて、ひたすら準備したのです。そうです!夫エルカナとの間に、「愛」の交わりが再開したのです。


 ところで「祈り」という行動は、ある面「契約」を交わす際の、最終手続きである「署名捺印」に似通っています。ご存じのように「契約」の調印には、前提として「信用(クレジット)」が、双方の「思い」に無ければ成立しません。互いに「信頼(信用)」し合うことを、具体的な行動として示す行為、それが「署名捺印」です。同様に「祈り」をもって、ハンナは霊的な「署名捺印」を実行しました。


 その結果、如何なる「神の事実」が、彼ら夫婦に与えられたのでしょうか?まるで新婚夫婦の如くに、エルカナは妻ハンナを愛し求め始めます。そして「神の時」満ちて、遂にハンナの「胎」が開かれ、新しい「命」が宿った(贈られた)のです。これは主なる神の、素晴らしい「ご計画」の始まりを意味します。


二つの選択肢
 神との「契約」を交わす際に、私たちが覚えておくべき重要ポイントがあります。それは二つの選択肢が、霊的に用意されるという点です。私たちが具体的に祈る「項目」には、どうしても皆が経験することですが、私的な「願い(希望)」や私的「意思(欲)」などをもって、祈りを捧げようとする点が見られます。つまり第一の選択(魂の次元)です。これは致し方ないことですが、このような私的「祈り」は、主なる神の「御目」に、私的な「取引き」に映ります。しかし第二の選択である、「霊の次元」の祈りを捧げる場合、それは神との「契約」で得られる、神の「祝福」や「賜物」の全てを、「神から戴いたもの」、即ち「神のもの」として、全面的にそれを神の「ご計画」の為に用いる!など、私的な「目的」に用いません。


 例えばエジプトを脱出し、荒野で干からびそうになったイスラエルの民に、日々与え続けられた「マナ」は、まさしく神の一方的な「恵み」の賜物でした。日々与えられるものが、余りにも素晴らしい、神の「甘美」な食べ物であった為、彼らは大事な信仰の選択、つまり「霊の次元」の祈りを、この時に捧げるべきでした。そうです!主なる神は、決して変わることなく、彼らの歩む道の「先」に、私的な「心配」や「恐れ」ではなく、全面的に神を「信頼」する!という、「第二の選択」の時(機会)を、常に用意して下さいました。


 その全面的な「信頼」が、最終的に「私の全てを神に明け渡し、戴いたものを棒げ尽くします!私の命の全ても、あなたのものですから。」と、信仰表明できるのです。これが「霊の次元」の祈りを進めることであり、これは神との「全き信頼」に基づく、信仰上の調印となります。ですから、「霊の次元」の祈りを選択したハンナは、夫との間に授かった「初子」を、「神のもの」として捧げる!という、霊的決断に至ることが出来ました。これは恐らく、ハンナ自らの決断ではなく、夫エルカナと霊的に一致した「祈り」の結果、神の「祝福」の領域にサムエルを託す!という、両親の一致した霊的決断です。


「サムエル」の命名の奥義
 続いて第二の重要ポイント、それは「彼ら夫婦は、初子を出産したその日に、サムエルと名付けたのか否か?」という点です。実はこの霊的疑問に関して、私たちが聖書から正しく知ることで、ある重要な信仰法則があることを、改めて知ることになります。本来、生まれた子に対して命名することは、どの親であっても、例えば男子であるならば「逞しく成長し、元気に~してほしい!」、また女子であるならば「容姿端麗に成長し、将来は結婚して幸せな家庭を築いて・・・・」などと、そのような親の抱くイメージから、「希望」と「祝福」に満ち溢れる名前を付けます。


 しかしハンナとエルカナの場合、彼らは如何なる「思い」をもって、出産した「その日」に命名したのか、それとも信仰表明として、まるで霊的な啓示を事前に得たかの如くに、即「サムエル」と命名したのか、非常に興味をそそられる記事が描かれています。実は聖書には、その疑問に対する「答え」となるもの、即ちヒントが記されています。それは20節の記述(表現)に見られます。


 ご存じのように『サムエル記』は、後々預言者となるサムエル本人が、イスラエルの歴史書として編纂し、この時代に生きた自らの役割を中心に、神の偉大なる「ご計画(歴史)」を記したものです。今回の記事を著す過程で、サムエルは聖霊様の霊感を戴きながら、ふと母親(ハンナ)の「言葉」を思い出しました。「あなたの出生は、他の子たちと違って、実に素晴らしい誕生の時だったわね。神の不思議な計画の中で、既に神が用意していた特別な存在として、今の時に生まれ出た存在、それが坊や!あなたなのよ。あなたは、私たちが長年必死に願い求めて、遂に授かった神の器だから、これを決して忘れないでね。」と。


 「主に願って得た子供なので」(20節)にある、「~なので」という接続詞と、「得た」という過去形の表現から、実はサムエル自身が幼少の頃、両親から何度も聞かされてきた、自分の誕生にまつわる、「奇跡のエピソード」の中に、ある重要な信仰法則があることを、聖霊様による霊感から気付きました。その信仰法則とは、20節を詳訳すれば見えてきます。「母が長年真実の神に願い求めて祈り、ようやく神の御心が開かれ、神が彼らの祈りの応答として、(初子を)遂に授けて下さったからこそ、彼らは我が子にサムエルと命名した」となります。


 つまり、彼らは自分の信仰行動が、明らかに神に対して、「全き信頼」をもった正しい行動であり、それと同時に「得た(戴いた、授かった)」からこそ、尚更初子は「神のもの」として、捧げ尽くす次元にあるんだ!と謙虚に受け留め、その信仰表明の形として、「サムエル」と命名した!と解釈するのであれば、実はこの表現の「裏側」には、出産した「その日」に、ふと人間的に命名したのではなく、彼らが「霊の次元」において、既に神の「応答」を戴き、事前に「サムエル(神の名を現す者)」という霊的名称が、彼らの信仰に描かれていたことが伺えます。


 また「サムエル」という名前の由来を辿れば、彼らが命名した「時系列」が浮かび上ります。実は「サムエル」という名前は、「サム(シェーム)」と「エル(エル)」という、二つのへブル語に由来します。意味としては「神の名」ですが、神ご自身の名称のことではなく、神の「ご性質」そのものを現す名です。ですから、彼らにとって神の「ご性質」は、まさにハンナの胎の中で、すくすく成長し膨らみ続け、これを目前に見る度に、彼らは神の名を賛美する訳です。そして遂に「その時」、赤子が生まれ出た瞬間に、「あー主なる神は、何と偉大なる素晴らしい御業を、我が子の中に現して下さったことか!神の名をいずれ現す、我が子を神のものとして、感謝して捧げます!」と、夫婦共々喜び叫んだのではないでしょうか。


 ここで覚えて戴きたいことは、神と「契約」を交わす際に、ハンナは「魂(肉)の次元」から「霊の次元」へと、祈りという霊的な印鑑を変えました。その結果、彼女には「信仰」という、上(天)からの賜物をもって、神に「全て」を託す(明け渡す)ことが出来ました。それ故に、夫エルカナと共に「シェーム・エル」という、神との直接的な「契約」手続きを、既に交わしていた!という、驚くべき彼らの信仰行動が垣間見えます。つまり初子を出産した暁には、神の「ご性質」を現す程の、素晴らしものが見えて来る!と、このように確信しているのです。


 私たちの場合は、果たしてどうでしょうか?私たちが現在(今)、被る(経験する)様々な出来事の中に、実は主なる神が私たちに対して、現そうとしている「ご計画」が、麗しい神の次元の中に、ご自身の栄光ある「御名」をもって、まさに完成しようしている!と、このような信仰イメージで受け留める時に、私たちの「霊の耳」に、次のような聖霊様の「御声」が届くでしょう。「あなたは神から愛されている、とても大事な器であり神のものです。そして大事な神の息子、娘です。ましてやキリストの聖なる花嫁です。」と。


 つまり私たち自身に、「神のもの」という新しい霊の名が、聖霊によって名付けられているのであれば、私たちの信仰は飛躍的にレベルアップします。あなたにも聖霊の「認証」、つまり聖霊様ご自身が霊的に説明する、様々な麗しい「神の事実」を通して、イエス・キリストの者である、即ち「真の花嫁」という、霊的に新しい名前が、天(御国)において既に記されています。


 ですからこの素晴らしい奥義を信じて、私たちは霊的な「サムエル」として、エルカナとハンナの信仰行動と同じように、真実の神に対して更に、「霊の次元」の祈りを捧げて参りましょう。あなたが捧げる霊的な「祈り」が、「神の国」の次元を更に拡大し、神の「祝福」の領域へと、豊かに導くものでありますように。あなた自身が既に「神のもの」として、日々歩む信仰者である!ということを、信仰に堅く立って祈り続けることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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