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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

言葉の革命(No.36)

                         舌がもたらすもの




舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は「不義の世界」です。私たちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。・・・・舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で、父である主を賛美し、又、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から、甘い水と苦い水が湧き出るでしょうか。私の兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。
                                                                            【ヤコブ書3章5~12節】


「舌」の二つの働き
 ご存知のように「舌」という器官には、大別すると二つの働き(機能)があります。先ず生物学的に見るならば、「舌」は味覚神経が集中するところであり、この「舌」を通して私たちは、様々な食物を「味わい知る」ことができます。この「味わい知る」という第一の働きは、あらゆるものを求める作用の一つです。


 例えばアフリカの未開地に住む人々に、先進国の人々が好んで食べる「ファースト・フード(ハンバーガー類)」を見せたところで、彼らは何の食欲も起きません。何故なら、彼らはそれを一度も食べたことがない、つまり「味わい知る」ことを経験していないからです。知らない人々にとって、それは自分の文化的背景から判断して、未知のおぞましいものに写るなど、すぐに拒絶反応を示します。この「味わい知る」という働きが、「食す」という領域ばかりでなく、他の「求める」という働きの要素として、いかに重要な役割を担っているのか?この点について知る必要があります。


 次に、父なる神は「舌」の器官に対して、第二の「話す(語る)」という働き(機能)を与えています。この第二の「舌」の働きは、例えば「ラ、リ、ル、・・」のRないしL音、「サ、シ、ス、・・」のS音、「チャ、チュ、チョ」のch音などの「舌音」、つまり「舌」を使って発音する場合に、非常に重要な役割を果たしています。「舌」はある面で、「音」を出す(流す)「管(くだ)」のような働きをしていることが分ります。


 この「舌」は、「甘い音」を出す時もあれば、「苦い音」を出す時もあるなど、二種類の「音」の働きがあります。「泉の同じ穴から、甘い水と苦い水が湧き出る・・・・」(11節)と記されていますが、私たちの唇(舌)から、「甘い水」と「苦い水」の両方が出て来ます。


 又「舌禍」という言葉がありますが、これは自分の「舌」から出た言葉が元になって、他人を怒らせ傷つけたりすることで被る「禍い」のことです。これは夫婦喧嘩によく見られることで、自分がそういうつもりで語っている訳でもないのに、伴侶を怒らせ傷つけたりしてしまう、その結果(数日間)相手から口も訊いてくれないという始末。


 又他人の流した言葉、例えば中傷や悪口によって、自分が受ける「禍い」もあります。この場合、入口となるものは「耳」の器官に当たりますが、以上のように自分の「舌」がもたらす「禍い」と、他人の「舌」からもたらされる「禍い」の二種類を、「舌禍」と言います。


「舌」は制御不可能
 何故、私たちは自分の「舌」を制御できないのでしょうか?これは全て、人間の悪しき罪(行為)の結果、自分の「舌」を完全に制御できる者が、一人もいなくなったからです。ご存知のようにアダムとエバが、父なる神との「親しい交わり」の目的のために創造された時、悪しき被造物の象徴サタンは、空中の支配権を掌握する者として、この地を支配していました。それと同時にサタンは、大胆不適にも神の聖なる領域「エデンの園」を、自由に通行できる存在でもありました。そしてサタンは、父なる神が一番愛しておられる「人」に近づくため、「蛇」という生物(爬虫類)の姿になって登場します。


 ところで、爬虫類の一番最大の特徴が、この「舌」に現れていることをご存知でしょうか?爬虫類の「舌」は、その長さが異様と思える程とても長く、カメレオンや蛙のように、「舌」を俊敏な速度で伸ばし獲物を実際に捕獲するなど、武器として用いる方法は例外として、殆どの爬虫類がこの長い「舌」をもって、レーダー探知機のように獲物を「捜し求める」など、方向探知としての役割を担っているのではないかと推測します。


 そして私たちが、爬虫類を他の生物と比較して気嫌う理由は、外見よりもその「舌」の長さと、動かし方にあるからではないでしょうか!実はサタンが選んだ生物が、「舌」に特徴を持つ一匹の蛇であり、サタンはこの蛇の「舌」を用いて、アダムとエバに語りかけてきました。つまり、蛇の「舌」からサタンの「意志」が現れ、彼らの「思い(意志)」の中に「言葉」となって流れ込み、ご存知のようにサタンのもたらした「舌禍」により、彼らは罪を犯すことになったのです。


 「舌」は、ある面で水道の「出口」のような働きをするものである、この意識を私たちは常に持つべきです。私たちの「意識」に、この「舌」をもって自由に語ることができるから、止めることも簡単にできる!などの「思い込み」が、多少なりにもないでしょうか?特に、「言葉」を巧みに操る「話し家」にとって、「私は、話すことに自信があります。人を誉めたり建て上げたりすることは得意であり、カウンセリングもできますよ!」、或いは「他者から言われる様々な言葉にも、決して私はたじろぐことなく、余裕をもって対処できますよ!」などの思い込みが、多くあるのではないでしょうか?しかしヤコブは、「舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。」(5節)と、「舌」の持ち合わせる危険性を指摘しています。


 「舌」は、確かに「小さな火」のような器官ですが、大言壮語することによってそれが大きくなり、大きな森を焼き尽くす程の「炎」になる力を持っています。最初は消えかかった、くすぶる程度の「火の粉」が、ある時に突然「大きな炎」となって燃え拡がり、山林を全焼させるほどの威力があることを、私たちは知っています。


 例えば、自分が正確に判断しないまま、ある「噂」を何気なく聞いてしまったが故に、自分の霊的フィールドを汚し、最終的には焼き尽くされてしまうなどの経験は、誰にもあることでしょう。そして「この世」には、一つの誤った「風評」が流布されることにより、巨大な金融機関を倒産に追い込んでしまうなどの、実例があることも知っています。如何に「舌」という小さな器官が、他者を「古い言葉」の支配下に拘束しながら、見事に欺き霊的に破壊していくかを物語っています。


 人の「舌」がもたらす、思想(哲学、宗教、主義など)の歴史が延々と続き、各時代毎に脈々と流れ人々を支配しています。この「古い次元」にある「舌」の支配を、完全に断ち切ることができる唯一の手段は、主イエス・キリストの十字架から流れ出る、貴い「血潮」を注がれたキリスト者が、聖霊を通して新たに与えられる手段、つまり「新しい舌」をもって語ることです。私たちは、「舌」のもたらす禍いが如何に「この世」を支配し、又人々の「五感」から「霊」に至るまで毒しているか、このことに対する激しい「憤り」と「悔しさ」を持つべきです。


 そうです!過去に死んだ人々の「古い舌」が、今に生きる人々を霊的に縛り続けている、このような現実に対して私たちは、もっと激しい「霊的憤り」をもって、父なる神に直訴しようではありませんか!そして何よりも私たちは、この世の「古い言葉」に縛られた人々を、「新しい舌」をもって霊的に解放する役目があるのです!


 水道の出口を、自由にコントロールできる器具を、一般的には「水道栓」と言いますが、これは別名「蛇口」とも言います。この水道栓のように、自分の語る言葉を自由にコントロールできる!と錯覚している人々がいます。しかし、この錯覚を引き起こしている者はサタンであり、私たちが自分の「意志」を自由に取り扱い、自分の「肉の力(五感全て)」で全てを動かそうとするよう、サタンは必ず仕向けます。


 「善悪の木」の実を食べた結果、私たちは「自由意志」で行動しようとするなど、悪しき癖が生じました。自分の「意志」で常に考え、自分の「意志」で神を信じ、信仰さえも自分の「意志」の中から生まれたものであるなどと、錯覚するようになりました。そして、小さな奉仕から神に礼拝を捧げる行為に至るまで、神に対する全ての働きを、自分の「意志」で行わせようと仕向けるのが、サタンの働きです。彼は、常に私たちの信仰にも働きかけ、「あなた自身の中から生まれる、あなたの信仰によって、あなたは何でもできるのです!」などの、人間的な教え「可能性思考(Posibility thinking)」を増大させようと企てて来ます。


 又、かつての日本において、「あなたは先ず、素晴らしい四次元的ビジョンを描きなさい!あなたがそのイメージに基づいて、神に祈りつつ信じるのであれば、必ずそのようになります!又、勝利者として成功します!」などのセミナーが、キリスト教界の中にも多く見受けられました。或いは、「あなたの可能性は、あなたの中にあるのです。その可能性を引き出すために、祈り求めましょう!」などの牧会指導理念、これらは全てサタンが喜ぶ、「自己中心」主義の教えであり、「自由意志」から生まれ出たものです。「あなたの中にある」、「あなたはできるのです!」などと誘導する教えは、全てサタンを喜ばす「古い舌」です。


 しかし、パウロは明確に神の「御心」を優先する、つまり「神の意志」から導かれる教えによって、「私の弱さ」、「私の無力さ」、「私から何もできないこと」、「私は何も持っていないこと」など、これらを誇るように勧告しています。ところが「この世」の教えは、自己啓発セミナーに見られるように、「自己中心」主義を啓発することによって、あたかも自分の中に「偉大な力」があると思い込ませますが、これは一種のマインド・コントロール、つまり「古い舌」のもたらす禍いに過ぎません。


 ヤコブは明言しています。「舌を制御できる人は一人もいません。」(8節)つまり、アダムとエバの罪の結果、自分の「舌」を完全にコントロールできる者は誰もいません。ですから、聖霊様は私たちが今まで錯覚していたものを改めて、「舌は、私たちの力ではコントロールできない、水道の出口である!」と、このように意識改革するよう命じています。


 では、アダム(エバ)は罪を犯す以前、自分の「舌」をコントロールできたのでしょうか?彼らは、父なる神と「親しい交わり」をするために創造され、彼らの「五感」から「霊」に至るまで、聖霊様が完全に覆っていたので、聖霊の「意志」によって自分の「舌」を、完全にコントロールして戴く「恵み」にあずかっていました。つまり、聖なる御霊が完全に支配していたが故に、彼らは聖霊によって自分の「舌」を、父なる神との「親しい交わり」だけに用いていました。彼らは、唯一の目的「神をより深く求め、より味わい知る」ために、「舌」を使用していたのです。このことは、霊的に重要な教訓を私たちに示しています。


 ところで、「異言」の発音の特徴について考察しましょう。「異言」の発音の流れは、「m音(マ、ミ、ム・・)」、「b音(バ、ビ、ブ・・)」などの、上唇と下唇を重ね合わせて発音するより、むしろ「R音」や「L音」、そして「S音」を中心とした発音、つまり「舌」を用いて発音することが多いこと、これが明らかな特徴ではないでしょうか!


 これらは「舌」の動きの加減によって、発音が滑らかに流れ出るものであり、まるで水道栓から流れ出る「水流の音」のようなものです。アダムとエバに与えられた本来の「舌」が、「霊(天)の言葉」を語る機能を与えられていたと仮定しますと、「聖霊のバプテスマ」に伴って与えられる「異言」も、本来の「霊の言葉」に近い発音をしているものと推測できます。このように私たちの「舌」は、元々「神をより深く求め、より味わい知る」ために、創造されたものであることを覚えて下さい。


舌の変革の方向性
 「舌」は今後、如何なる方向に造り変えられるべきでしょうか?はっきり申し上げて、自分の「肉の力」で「舌」をコントロールできませんし、「舌」の用い方をマニュアル(手順書)通りに、より良き方向で改定し直すことも不可能です。では、どうすべきでしょうか?その方法論を考える(意識する)よりも、無駄な「肉の努力」を全て放棄し、自分が「コントロールする」のではなく、ある方に「コントロールして戴く」、即ち「舌を明け渡す」という意識改革が必要です。例えば「眼」の欲は、どのようにしたら遮断できるでしょうか?「見えなくする」ことで、コントロールできます。しかしこの「舌」に関しては、「話す(語る)」という役割において如何に困難を覚え、他の器官に比べて一番コントロールできないものであるかを、殆どの人々が痛感しています。


 ところで、「舌」という漢字の左のつくり(部分)と右のつくり(部分)に、ある文字(象形)を合成しますと、実は驚くべき「舌」の持つ意味合いが、二通りに現されてきます。例えば「」という漢字は、「」と「」を合成したもので、文字通り「舌」の持つ基本的な特徴を現しています。「言」とは、自分の「意志(心)」を現す言葉であり、自分の考えている「意志(心)」を、「舌」をもって表現する(出す)ことが、「話す」という行為に他なりません。


 先ず第一の驚くべき特徴は、「」の右つくりに「(いん)」を合成しますと、「」という漢字になります。この「乚」という象形文字は、元々左つくりがこの「乱」の場合、「舌」を意味する象形文字ではありませんが、治まりの尽きにくい「口の言葉」に対して、「抑える形」を造ったり、「治めること」を表す文字です。しかし、ご存知のように「治」と「乱」は、互いに対立する概念であることから、私としてはこの「乚」という象形文字が、何となく毒蛇の持つ「牙」、或いは「釣針」をイメージする「象形」に見えます。


 この「乱」という文字は、良い意味で用いられることは余り無く、この「乱」が発生する時には、決して「一致」をもたらすことがなく、人を「不愉快」な状態にし、時には「怒らせ」「傷つけ」たりします。人と人との間にある「平和な状態」に、この「乱」がやって来るだけで、その「和」は破壊されます。サタンのもたらすものは全て、「かく乱」を引き起こすものであることを覚えて下さい。例えば、私たちと神を引き離そうとすること、これがサタンの「乱」の働きです。ですから私たちの「舌」に、サタンのもたらす自己中心(エゴ)という「自由意志」を合成しますと、自分の本来あるべき「意志」ばかりか、他人の「意志」まで乱していく、汚れた「悪しき言葉」が流れ出て来るのです。


 それに対して、第二の驚くべき特徴(これは聖霊様が導かれる、麗しい神の言葉へと変革された後に流れ出る、最大の働きにつながるものですが・・・・)について考察しましょう。「乱」という文字が、「舌」の右つくりにサタンの「意志」を合成したのに対し、逆に「舌」の左つくりに聖霊の「意志」を合成したら、如何なる文字になるでしょうか?ところで「本来の人」アダム(エバ)は、前述したように聖霊様に覆われていたが故に、彼らの「舌」は完全に制御されていました。それなら、私たちも自分の「舌」を本来のポジション、つまり聖霊様の「完全な支配(制御)」にあずかるよう、聖霊様に来て戴きましょう!


 聖霊様の働きの象徴は幾つかありますが、聖書の中で一番多く記述されているものは、「水(Water)」や「川(River)」としての働きです。この「水」という文字は、「(さんずい)」のつくりで置き換えられるものです。では、この「」に「」を合成してみますと・・・・、そうです!「」という素晴らしい文字になります。この「活」という象形文字の場合、元々右つくりに「舌」ではなく、「轡(くつわ)」という文字が合成され、「勢いのある様子」を意味する言葉を指しています。「生ける水」という御言葉は、「活水」という日本語で使用されていますが、英語では「Living water」と言い、まさしく命に溢れるもの、命にみなぎる「活きた水」のことであり、「活」とは「力ある命に溢れた状態」を現す言葉です。


 余談になりますが、漢字には実に神の「意志」を現す象形文字が、数多く存在することに気付かされます。例えば「船」という漢字、これは「舟」が「小さな舟」を現す文字であるのに対し、「大きな舟」を現す文字として作られた漢字が「船」です。何故、「八」つの「口」が合成されたのでしょうか?私はこの「八つの口」とは、ノアの家族八人を意味する文字、つまり「船」とは「ノアの箱舟」を現す言葉であり、恐らく甲骨文字(漢字の起源文字)を作った民族が、西方民族との交流により口頭伝承されて、大いなる思想の影響を受けたために生まれた、合成文字ではないかと推測します。


 このように、私たちが自分の「舌」を全面的に聖霊様に明け渡した時、つまり「舌」の持つべき本来のポジションに、「聖霊様(氵)」が来て戴いた(霊的に支配された)時から、私たちの「舌」が「活きる(living,alive)」ようになることを覚えて下さい!私たちが、この「舌」という領域において勝利する方法は、これ以外にあり得ません!「異言の祈り」によらなければ、何一つ勝利できなかったという経験は、「聖霊体験」をした全てのキリスト者が語る、共通の「証言」です。


 「舌」を制御できる方は、「聖霊様」お一人であることを、常に覚えようではありませんか!私たちの「舌」という「水道栓」から、聖霊様の麗しい「命の水」だけが流れ出るには、私たちの「自由意志」を放棄(捧げ尽く)し、聖霊様に完全に制御して戴く以外にあり得ません!聖霊様がコントロールする時には、私たちは「水道栓」を握ることも許されず、只ひたすら聖霊様のご命令に従って、ある時には「語るのを止めなさい!」、「今、語りなさい!」などと適切な指令が与えられます。ですから、私たちが聖霊様のコントロールの下にある限り、「舌」のもたらす「禍い」は決して起こり得ず、むしろ人間の三次元の領域を越えた、「知恵の言葉」や「預言の言葉」などが、人を「活かす」重要な働きとなって流れ出て来るのです。


 私たちの「舌」を、自己中心的(自分本位の)意志から、身勝手に使用するのであれば、それはサタンの出口「蛇口」として、「古い言葉」や「悪しき言葉」、又「人」を霊的に殺す言葉などしか流れ出て来ませんが、聖霊様に「舌」を完全に明け渡す時に、それは「聖霊の栓」として完全にコントロールされた、神の国を建て上げる「霊の舌」へと造り変えられます!それ故、私たちの「舌」を「聖霊の栓」として捧げ尽くし、「活きた舌」へと変革されるよう祈り求めましょう!聖霊様の「生ける水」を豊かに流す、通り良き「管」に造り変えられることを求めましょう!聖霊様によって完全に取り扱われ、聖霊様が自由にお使いになる、「霊の舌(栓)」へと造り変えられましょう!


 そうすれば、あなたの「舌」は必ず主なる神だけを賛美し、霊と真をもって礼拝を捧げる「舌」、そして他者の徳を建て上げる「舌」、更に自分の「意志」が聖霊様に支配され、神の「御心」と一致する「意志」、つまり「霊的な舌」へと再創造されていくことでしょう!そして、最終的にはアダムとエバが求め続けた、父なる神との「親しい交わり」を、もっと「味わい知りたい!」と望む、本来の「舌」が持つ「霊的飢え渇き」を起こさせる味覚レベル、つまり神ご自身を「味わい知る」素晴らしい「舌」が、あなたの「舌」に必ず完成されていくことを、主イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン!


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