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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

復活の福音(No.19)

                              二つの真実




はっきり言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
                                                                                               【ヨハネ福音書5章24~25節】


霊的チャレンジ
 聖霊を通して語られる今回の御言葉は、私たちに対して一つの霊的チャレンジを与えています。即ちイエス・キリストは、この僅か二節の御言葉をもって、大いなる豊かな「事実(真実)」を、二つ述べている訳です。そして私たちは、この二つの重要な神からの「メッセージ(真実の御言葉)」を聞いた時に、如何なるチャレンジを受けるのでしょうか?


 一人一人受け留め方が違ってくる訳ですが、ある者は「アーメン(その通りです)!私も偉大なる神の福音を携えて、人々に語ってゆきます!」と応じたり、またある者は「そうだ!仮に私たちが、殉教する程の迫害に遭遇したとしても、絶対にイエス・キリストを裏切らない!死んだ後は、必ず御国において、神の復活の恵みの座にあずかりながら、大いなる天の遺産を受け継ぐのだ!」、或いは逆に「現に体は生きていも、霊は死者の状態に近い程、霊的病いにもがき苦しまなければならない!」と訴える等、様々な反応を示します。


 このことを覚えた時に私たちは、如何にイエス・キリストの「復活の福音」が、大いなる霊的覚醒を呼び起こし、死者を「復活の命」へと、あずからせることの出来る「天の力」が、実は私たちにも託されている!即ち私たちキリスト者が、霊的に死に行く(滅び行く)魂に対して、「今、ナザレの主イエス・キリストの御名により、あなたの霊に命じる!イエス・キリストの復活の御名によって、今、死から命へと移りなさい!そして今、あなたは甦るのです!」と、父なる神の復活の言葉を大胆に宣言する時に、イエス・キリストの「命の言葉」が、死に行く魂の「霊的フィールド」に種蒔かれ、死者ラザロの如くに「死の扉」を打ち破り、死の旅路から必ず生還する!ことを、是非信じて下さい。


二つの真実
 イエス・キリストが語られる、今回の二つの「真実」は、まさに「今がその時である!」と宣言している重要なメッセージです。仮に今回の御言葉が、イエス・キリストが再臨される、「最後の時」に起きる事象であるならば、あえて「今」という副詞を強調する必要はありません。今回のイエス・キリストの「命の言葉」は、まさしく「今」の時代に、霊的にも物理的にも死につつある、全ての人々の「救い(贖い)」には、欠かすことの出来ない「復活の福音」なのです。


 イエス・キリストによる「永遠の命」を授かり、神の「愛」に立ち返った私たちキリスト者は、今までの「敵」をも愛し、何としてでも「滅び(死)」ではなく、「復活」という回復の時に、彼らが立ち返ることを願って止みません。ならばイエス・キリストが語られる、今回の二つの「真実」のメッセージは、私たちにとって有用な福音となることを信じて下さい!


 私たちが、イエス・キリストによる二つの「真実」を携え、「この世」に遣わされて行く時、必ずそれは起きる(成就する)!のです。ましてや霊的に「死」の旅路へと向かう人々が、更に増加する時代にあって、「ストップ!今は、あなたが死の旅に出かける時ではありません。イエス・キリストは、過去の人物ではありません!今まさに、あなたのために働かれる、生ける真の救い主です!イエス・キリストの御名により、今来た道から戻り、狭い道(真理に至る道)かも知れませんが、私と共に立ち返り、神の復活にあずかりましょう!」と、大胆に復活の福音を語る、これが私たちイエス・キリストの証人としての務めです!


 そして私たちが前提として、覚えなければならない神の「事実」は、如何なる「死」をも滅ぼす神の「命の言葉」は、イエス・キリストによる「贖い」の御業、即ち子羊(イエス・キリスト)の貴い血潮の犠牲によって、既に完成されている!という点です。そして神の「命の言葉」は、イエス・キリストという御名を、「唇」で告白した時に初めて成就する!この前提を、私たちは是非信じ続けましょう!


 先ず第一の「真実」は、「死から命へと移っている」(24節)というメッセージです。私たちキリスト者は、「この世」に生きる人々の如くに、「死」に行く者ではなく、既に「死」を乗り越えて下さった、イエス・キリストによる新しい「復活の命」を得て、更に「完成の時」を目指しながら、新しい「永遠の命」に生きる者です。それ故に、この第一の「真実」である希望のメッセージを、「この世」に生きる人々に投げかけることが、私たちの務めでもあります!


 続いて第二の「真実」は、「その声を聞いた者は生きる」(25節)というメッセージです。かつての日本は、「大家族」という集合体(群れ)の中で、各自が互いに声を掛け合うことで、共同体意識を共有していました。ところが今や、「核家族」が大半を占めるに至って、今の若者たちを精神的に捕らえているもの、それはコンパクトな「機械(マシーン)」です。つまり「携帯型端末機器」等を使用して、互いの「情報」や「意志」を交換している故に、そのコミュニケーションにおいては、「音声(人の生の声)」が存在しません。


 このように人の「声」でさえ、閉鎖的になっているのであれば、神の「声(福音)」を聞き分けることの出来る者は、殆ど皆無に近いことでしょう。宗教アレルギーの人々が増加する日本において、もし私たちキリスト者が、「唇」を閉ざしてしまったら、神の「声」は彼らに行き届きません。私たちの「霊」の只中にある信仰の原点、即ち「死から命へと移っている」神の声は、果たして彼らに対して無効なのでしょうか?


 いいえ、決してそうではありません!私たちが更に、神の「声」を明確に聞き分け、彼らに対して大胆に「福音」を宣言する時に、霊的に「死」に行く人々は、必ずその「声」をキャッチし、霊的に復活することが出来るのです!そして「今」だからこそ、聖霊様は私たちに対して、大いなる信仰のチャレンジを与えて下さっているのです。私たちに与えられている、聖霊による「唇の炎」は、啓示、預言、異言の解き明かし、知恵の言葉等を通して神の「声」となり、人々を霊的に復活させることを、是非信じ続けましょう!


第三の「真実」を託された者として
 私たちは必ず、普段の生活の中において、聖霊様の導きを通して、遣わされる「その時」が来るでしょう。「その時」に私たちは、先ず「一礼」をもって神を待ち望み、自分が出会う人々に対して「主よ、どうぞ教え示して下さい!この人々の中に、霊的な死の病いにある者がいないでしょうか?私もあなたの御声を携え行き、そのような彼らに対して、福音を語る務めがあるのですから・・・・。その聖なる務めを、今果たさせて下さい!」と祈り求めることが重要です。


 私たちが今後、体験して行くであろう第三の「真実」は、あなたの「手」と「足」、そして「唇」に委ねられています!「今が、まさにその時である!」と宣言された、イエス・キリストのメッセージは、私たちにも投げかけられている、重要な「預言」であることを、どうか信じて下さい!そして、あなたは「その時」至りて、大胆に「イエス・キリストの御名により、今立ち上がりなさい!あなたは今、イエス・キリストの復活の御業により、今生き返ることが出来るのです!」と、「上」よりの信仰をもって宣言できる、キリストの証人に仕立てられることでしょう。そうです!あなたは良きサマリヤ人として、霊的に死に行く者を介抱し、回復させる務めがあるのです。


 イエス・キリストの大いなる復活の「恵み」と、復活の「命の言葉」が、あなたの日々の信仰の歩みの中において、また信仰的に語る「唇」の中において、聖霊様が「奇跡の時」と「恵みの時」、そして「証しの時」として、豊かに実現ならしめて下さることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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