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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

復活の福音(No.17)

                      自分の十字架を負う




私に付いて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。
                                                                                                   【ルカ福音書9章23~25節】


「自分の十字架」とは?
 今回語られる「自分の十字架」とは、一体何を指しているのでしょうか?又それを背負うとは、どういう行動のことでしょうか?非常に矛盾した言葉を、イエス・キリストは私たちに対しても、霊的に投げかけているように思います。何故ならば、別の場面においてイエス・キリストは、「あなた方の重荷を全て、私に委ねなさい!」とも語られているからです。そしてイメージ的に、イエス・キリストと同様の「十字架」を担ぐとなると、オリンピックの重量上げ選手でもない限り、とても負い切れるものではありません。


 「十字架」による処刑方法は、ご存知のように「死刑」の中では、最も残酷な処刑と言える極刑です。当時のローマ帝国支配下にある「十字架刑」によれば、刑を受ける「囚人」自らが、十字架を担ぐことになっていました。つまり、自分の犯した「大罪」を背負うことを、一般の民衆に示すため、磔(はりつけ)にされる処刑場にまで、「十字架」を担いで歩いていくことが、「刑」の一部として含まれていたのです。


 それ故に、十字架による「死刑囚」は、他の「死刑囚」と違って、必ず担がなければならないものがある、それが重量のある「十字架」でした。イエス・キリストは、この最高の死刑場である「十字架」上を、聖霊様の「啓示」を通して常に意識しながら、神の「道」を歩んでいたのです。つまり、自分が「その時」至りて、全ての人々の「罪」の身代わりとして、十字架上で屠られる(処刑される)、その強烈なイメージが、いつも目の前にあったのです。


 では、私たちに課せられる「自分の十字架」とは、霊的に「何」を意味しているのでしょうか?「十字架」イコール、それは死刑場(屠り場)です!と言うことは、私たち自身も「死」というものを、身にまとわなければならない程、日々犯す「罪」にさいなまれているのです。これは良い意味ではなく、悪い意味で「死」の虜にされる程の霊的弱さが、私たちにあるのではないでしょうか!


 私たちはイサクの長子エサウの如くに、目の前にあるもの(目に見えるもの)を先ず手に掴み、その後に神の祝福(目に見えざるもの)を得ようと欲するなど、浅はかな行動を伴うなどの、罪深い「弱さ」があります。つまり毎日繰り返す「罪」故に、私たちは常に「十字架(死刑)」が、重くのしかかって来るのです。イエス・キリストは当然、私たちのこの霊的「弱さ」をご存知です。そして「罪」の支払う報酬が、最終的には「死」であることもご存知です。


「自分の十字架」を背負う
 イエス・キリストは、25節の御言葉の中において、実に不思議な手順をもって、「十字架」の奥義を説明しています。私たち「人間」の行動原理の中において、何かに座ったり、立ったりする行動の場合、「手」の動きが非常に重要となります。即ち、「手」が何かを掴んだり(握ったり)、手にする(得る、拾う)等の基本行動のことです。もしこの「手(両方の手)」が、何かあるものを大事に掴んでいる限り、別のものを得る(別の行動に移る)ことが出来ません。これは単純なイメージですが、「手」に掴んでいるものを捨てなければ、別のもの取ったり、背負うことは出来ません。


 エサウの場合は、目の前にあるもの(料理)が欲しくなり、一番大事なものを捨てたために、長子の特権(神の祝福)にあずかれませんでした。イエス・キリストが25節で言わんとすること、それは「私に付いて来たい(と思う)者」は、先ず「自分」を捨てることが大前提である!そうすれば、「別のもの」を手に掴んで背負うことが出来る!それが「十字架」であるということです。


 「日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」これが、今日語られる、イエス・キリストの「復活」の福音です!「自分」を捨て、その後に「自分の十字架」を背負いながら、イエス・キリストに従ってて来る時に、私たちはイエス・キリストと同様の十字架の道を、霊的に追体験することになります。ある時は「自分の十字架」が、重すぎて追い切れずに倒れたり、又ある時には自分の「罪」の深さが、さらに激しく迫られるなど・・・・。しかし「その時」に、聖霊様がキレネ人のシモンの如くに、倒れ伏した私たちを抱きかかえ、共に「十字架」を担って下さるなど、霊的な軌道修正をなさいます。


 24節以降でもイエス・キリストは、続けて不思議な手順を説明しています。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救う」と。仮に私たちが、エサウの如くに「この世」がもたらす、麗しいものを求めて歩んで行く時、それは霊的な「死」に至ります。ところが、イエス・キリストのために「自分の命」を捨てる、つまり今まで大事に掴んでいた、この世の「栄光」や「富」などを一切かなぐり捨て、父なる神が各自に託された、「自分の十字架」を背負う時に、私たちはイエス・キリストと同様に、「復活の命」の栄光にあずかることが出来るのです!


 イエス・キリストは「ペテロ」だけではなく、「私たち」一人一人の弱さをご存知です。一人一人の持つ、罪深い霊的特性を承知の上で、イエス・キリストは毎日ご自分の「十字架」を、私たちに対して示して下さいます。「その時」私たちは、殆どの者が霊的葛藤を覚えます。「いやーイエス様!それだけは勘弁して下さい。これは私の大事な願い、私にとって必要な計画です。又あなたに対する、この私の熱心な働き(奉仕、ミニストリーなど)、これらを全部捨てなければならないのですか?」と。


 ところが聖霊様は「その時」、霊的に修正されるのです。「あなたが今述べたものは、後から付いて来るもので、あなたの思いから発しているものです。神のことを一番に思うベきところを、あなたは順番を取り違えている!」と。そうです!私たちは、このような霊的「弱さ」をも捨てて、聖霊様が示して下さる、イエス・キリストと同様の、霊的な処刑場(死のフィールド)、即ち自分の「十字架」をイメージする必要があるのです。


 そうすれば、私たちは「主よ、あなたが為された、イエス・キリストによる贖いの場(十字架)へと、どうぞこの私を連れて行って下さい!私は今、大事にしているものが沢山あって、あなたの御前にへり下って、ひざまずくことの出来ない愚か者です。そして今も尚私は、この世の罪に縛られた状態にあります。しかし聖霊様が、私の側で働いて下さり、共にあなたの御前にひざまずく時、全てを捨て去ることが出来るようになります。そしてあなたが示して下さる、遂にイエス・キリストの十字架を、霊的に担いで行くことが出来るのです!」と告白できるようになります。


 これが、霊的にイエス・キリストと同化するという、神の「恵み」の道です。自分の「命」という、自己中心の生き方に立つ者は、自分の「命」を失うことになりますが、自分の「全て(存在を含む)」を、神に明け渡す(捨て去る)者は、イエス・キリストと同様の、父なる神の復活の「体」、復活の「命」、復活の「栄光」を授かることになります。これこそが「永遠の命」に至る、新しい「あなた(私)」の誕生のプロセスです。


義の奴隷として生きる


あなたはイエス・キリストの、素晴らしい「十字架」の刻印が押されている限り、父なる神が愛してやまない者、そして大事な御子(イエス・キリスト)に連なる、神の家族の一員です!「あなた方は、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。・・・・かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。・・・・あなた方は、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」
                                                                                                      【ローマ書6章17~21節】


 私たちは今や、「肉の力」によって生きる者ではありません!罪の奴隷でもありません!父なる神が与えて下さる、「永遠の命」によって生きる、神の子としての特権にあずかる身分です。あの弟ヤコブの如くに、あなたも日々、霊的な「死」を帯びる者として、イエス・キリストの十字架の「血潮」の守りが、豊かにありますように!そして更に、聖霊様が折に適った「助け」を与えつつ、あなたを日々聖めて下さることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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