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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.31)

                     ここに連れて来なさい!




・・・・ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、言った。「主よ、息子を憐れんで下さい。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れてきましたが、治すことができませんでした。」イエスはお答えになった。「・・・・その子をここに、私のところに連れて来なさい。」そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、その時子供は癒された。・・・・
                                                                                             【マタイ福音書17章14~20節】


「真の主治医」なる方
 このストーリーの中で、イエス・キリストが明確に命じられた、「ここに、私のところに連れて来なさい。」(17節)の御言葉は、イエス・キリストの「救い(贖い)」の御業により、イエス・キリストの「御名」を信じる私たちにも、同様の御国の「権威」をもって命じることのできることを、先ず覚えて下さい!私たちが信仰をもって、このイエス・キリストの御言葉を告白しながら、私たちが出会うであろう人々に対して、或いは私たちが被る、様々な「問題(困難)」に対して命じること、これは重要な「信仰の行動」の一つです。


 イエス・キリストが、弟子たちに命じられる御言葉は、非常にシンプルなものでした。「来なさい!」、「求めなさい!」、「受け取りなさい!」、「叩きなさい!」など、幼子が理解できるレベルの、単純(ストレート)な言い回しです。今回イエス・キリストが命じられた御言葉は、弟子たちに対して語られたものではありません。悪霊憑(つ)きの、「てんかんの病い」に苦しむ一人息子のことを、長年悩み苦しむ父親に対して言われた言葉です。恐らくこの父親は、悪霊憑きに見える息子を、公衆の面前に出すことが、恥ずかしく(恥と思い)心痛ましいこともあり、近くの隠れ場に息子を待機させていたものと推測できます。


 覚えて戴きたいことは、今回の病気のケースに苦しむ家族構成は、たった二人だけの、いわゆる父子家庭です。ですからこの父親にとって、家族としての最後の頼み(希望)は、この一人息子でした。父親が生きていく上で、息子の存在は大いなる「慰め」と、精神的な「支え」でもあった訳です。私たちの愛する御子イエス・キリストは、実は私たち「キリストの家族」にとっても、真の「ホーム・ドクター(主治医)」であること、これを常にイメージして下さい!「この世」の医者は、生死をさ迷う救急患者でない限り、診療時間が終了したら、「明日、また来て下さい!」としか言いません。


 不信仰な弟子たちに、この時一番必要とされる信仰の行動が、全ての「救い」をもたらすイエス・キリストを、この家族の元に連れて来ることでした。私たちが時々愚かな行動に走る、「現実逃避」という霊的病いにも、実はイエス・キリストを連れて来ることが肝心です。たとえば「自殺願望」という、精神的に追い込まれる(逃げる)人々が、急増する今の日本社会全体において、唯一の希望となる御言葉が、まさに「ここ(イエス・キリストの御元)」ではないでしょうか!


 「てんかんの病い」は、今日の医学技術においては、大きな難病ではありません。しかし、私たちが時々被る「精神の病い」から「霊的病い」、この中に悪霊が働き始め追い込まれますと、「死」につながる危険性があるのです!それ故に、今回のイエス・キリストの「ご命令」を、私たちは決して忘れてはなりません!「希望」があるからです。私たちの「真の主治医」なる、「救い主」イエス・キリストを、いつも私たちの「霊」にお迎えして、イエス・キリストに対して、全面的に依り頼むという、霊的な「関わり方(親しい交わり)」にあずかりましょう!


私たちの「ここ」にも・・・・
 私たちの信仰生活においてばかりではなく、「現実の生活(現場)」においても、イエス・キリストの御元に参り、イエス・キリストをお迎えして、イエス・キリスト(真の主治医)を、私の「ここ(現場)」に連れて来る!という、「信仰の言葉(告白)」を、今あなたの「霊」と「魂」に命じて下さい!


 「ここに連れて来なさい!」とは、「ここ(あなたの現場)」に、イエス・キリストを連れて来るという、聖霊様が私たちに促している、具体的な「信仰の行動」です。実際、この父親はイエス・キリストから、直々に命じられた瞬間、「分かりました!」とも返答せず一目散に走り去り、近くで待機している「息子」の所に行き、イエス・キリストの御元に「息子」を連れて来たのです。


 すると、何が起こったのでしょうか?決して、またたくまに「癒し」が起こった訳ではありませんでした。マルコとルカの記述によれば、イエス・キリストを見た瞬間に、その息子に取り付いていた悪霊が、弟子たちが祈った時よりも、恐ろしい表情(現象)をもって、イエス・キリストに立ち向かって来たのです。しかし、イエス・キリストは聖霊に導かれながら、悪霊に対する激しい憤りをもって命じました。「耳も聞こえさせず、口も語らせない悪霊よ、お前に今命じる。自分の居た所に、ただちに戻れ!」と。


 「全て」の名に優る御国の権威を、この地にもたらすことの出来る、イエス・キリストの「救い」の御名により、悪霊は息子からただちに退散しました。その結果、今まで「聴覚」および「言語」機能が奪われていた状態が、たちどころに機能を回復し、思わず父親に対して「父さん、ぼくはたった今、苦しみから助かったよ!」と、言葉を発したのです。すると、神の為される偉大な「救い」の御業を見て、皆は驚愕しました。


 イエス・キリストは今日に生きる、私たち「キリストの家族」に対しても、聖霊様を通して、次のようにチャレンジして下さいます。「私は真の医者で、真理に至る道そのものです。その私を、あなたは何故コールしないのですか?私はすぐに駆けつけ、あなたが問題とする(患っている)、あなたのここ(現場)に来て、父なる神の救いの御業を現そう!」と。それに対する私たちの応答は、この父親の信仰の行動の如くに、「イエス様、そうです。私のここにあなたが必要です。是非来て下さい!今この場に来て下さい。あなたを私の最高の主治医として、ここにお迎えしますから。」と、大胆に宣言することです。


 私たちの主イエス・キリストは、「私は昨日も今日も、そして将来においても、いつでもあなた方と共に居ます!」と約束される以上、あなたのことを放っておきません!あなたの「真の主治医」として、あなたの元に急いで駆けつけ、あなたの「ここ」を、たちどころに回復して下さいます。それ故あなたが、「信仰の言葉」をもって、「真の主治医」を霊的にコールする時、命の源、そして救いの源なるイエス・キリストが、最高のホーム・ドクターとして、あなたの「霊(神の宮)」を訪れ、麗しい「救い」の御業を現して下さることを、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!


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