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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

復活の福音(No.4)

                    永遠の救いの御しるし



主はカインに言われた。「いや、それ故カインを殺す者は、誰であれ七倍の復習を受けるであろう。」主はカインに出会う者が誰も彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
                                                                                                                 【創世記4章15節】


 アダム(エバ)の犯した「罪」故に、彼らから生まれた長男(カイン)と次男(アベル)は、互いに兄弟喧嘩をすることになりました。本来であるならば、兄弟は互いに妬み合うことも無く、助け合うことか自然に出来る、麗しい家族としての関係です。


 アベルは殺された側ですから、第二の罪(殺人)を犯してはいませんが、その犠牲となったことを考えれば、人類にとって「戦争」という名の、悲劇のストーリー(歴史)の始まりではないでしょうか?これは決して、カインが望んだことではありませんでした。今日では裁判により、「死刑」判決が下されない限り、カインは死罪には至りませんが、「死」には「死罪」をもって償うという法律(例.ハムラビ法)が、これより確立されることになります。


「死」を滅ぼす
 私たちは、「アダム(本来の人)」の子孫ですが、それと同時に「カイン」の子孫でもあります。ご存知のように、本来の人であるアダム(エバ)は、「罪」を犯しさえしなければ、今でも父なる神の最高作品でありました。彼らの犯した「罪」故に、カインと同様の霊的に呪われた血筋が、私たちには脈々と受け継がれています。


 父なる神が最初の人(アダム)を創造される際に、当然アダムが「罪」を犯すことを知っていた上で、陶器師が失敗を何度重ねても、その度に「土」をこね直して、「作品」を完成していくプロセスと同様に、アダムの子孫を霊的に軌道修正しながら、その罪を子羊の「死(身代わり)」を通して贖いました。そして遂に私たちは、子羊なるイエス・キリストを通して、新約の「救い」という恵みにあずかったのです。つまり最後のアダムなる、イエス・キリストによる「十字架」上の、貴い「死(はん祭)」によって、私たちは「死」より贖い出され、今度は霊的に最後のアダムの子孫として、贖われた民として歩んでいるのです!


 そうです!私たちは霊的には、父なる神の「恵み」の導きにより、アダムの子孫として「この世」を歩んでいるのと同時に、カインの末裔として、サタンのばら蒔く「罪」の種の中をも歩まざるを得なく、そして「敵」は私たちの「肉」に働きかけて、様々に攻撃していることも事実です。彼らは常にそそのかします。「お前は、アダムの子孫であると言っているが、何を言っているのだ!お前はただの、カインの末裔(罪の子孫)に過ぎない罪人だ!所詮罪の作品として、主なる神によって破壊されてしまうだけだ。」などと、愚かな「罪」の現実を見せながら・・・・。


 カインも、自分が「殺人(大罪)」を犯した時に、いずれは自分が「死」の罰を被ることを覚悟しました。カインの「罪」は、神の側から見ても重罪に値しますが、人の「法」に照らし合わせても、「死罪」に相当します。このカインの「死罪」を、父なる神は如何なる方法で、滅ぼし尽くす(贖い出す)に至ったのでしょうか?そしてカインに付けられた「しるし」とは、如何なるものであったのか?非常に興味ある奥義が、実はこのストーリーの中に、霊的に描かれているのです。


 「しるし」とは、英語でマークと言います。そして神が「マーク」をカインに付けた以上、それは他者の肉眼から見ても、明確に分かる(認識できる)ものです。父なる神はその「マーク」をもって、カインの「死」を滅ぼすという、偉大なる恵みの処置を施しました。ところで人の「法」において、「死罪」を帳消しにすることの出来る「力(資格、権限)」とは、如何なる方法によって得られるのでしょうか?それは、例えば大統領や国王などの国家元首が、特殊な場合に下す「恩赦」でもなく、父なる神の側からの一方的な「恩寵」という方法、つまり「贖い」の方法によって為されるものです。


復活の福音
 主なる神はカインに対して、次のように宣言されました。「カインを殺す者は、誰であれ七倍の復習を受けるであろう。」それ程に主なる神は、罪人であるカインを、霊的孤児とはなされませんでした。ここに、父なる神の私たちに対する、「贖い」の雛形が描かれています。カインを呪ったり害しただけで、その加害者は神から七倍の「罰」を受ける、つまりカインの受ける罪の「代償(身代わり)」が、この言葉から約束の保証として、カインは存命中ずっと戴くことになります。だからと言ってカインが、「聖なる者」とされた(認められた)訳ではありません。神の事実としては、カインは依然として罪人であっても、父なる神の「恩寵」によって贖われている(神の保護下にある)のです!


 カインの「罪」を贖う父なる神の力は、人の「法」の力(権威)を超越したものとして、彼を「死」より救い出す決定力となりました。私たちの中で、カインの犯した「罪」よりも軽い!と言い切れる者は、一人もいません。しかしイエス・キリストは、私たちの中にある恐ろしい「罪」をも贖うべく、何度も何度も「十字架」上から、救いの血潮を注いで下さっています。そうです!イエス・キリストの「贖い」が存在するが故に、私たちもカイン同様に、「罪」の災い(呪い)が及ぶことは無いのです。


 ですから私たちは、カインの「死」を滅ぼしたのは、父なる神の一方的な「恩寵」であること、これを決して忘れてはなりません。そして父なる神の、一方的な「恩寵」を可能ならしめたのは、御子イエス・キリストという贖いの子羊が、十字架上で「命」を奉じられたという、偉大な御業によるものです。


この十字架によって、世は私に対し、私は世に対して磔(はりつけ)にされているのです。・・・・私は、イエスの焼き印を身に受けているのです。
                                                                                                   【ガラテヤ書6章14~17節】


 カインに付けられた「しるし(マーク)」とは、如何なるものであったのでしょうか?パウロは、「イエス(イェシュア)」という焼印が、自分には明確に刻印されていると宣言しますが、この「焼印」の霊的意味を、私たちが正しく知ることによって、私たちが如何なる身分のキリスト者として、この世を歩んでいるのか?また私たちの「肉眼」には見えなくとも、霊的にはイエスという「しるし」が付いていることを、再認識することになります。


 「焼印」の第一の重要な働きは、各々の身分(アイデンティティ)を、すばやく認識するために付けられていることです。第二の働き、それは各々の所有者(オーナー)が、誰であるかを知るためにあることです。これは17節の御言葉の中に、具体的に記述されていますが、詳訳すると「私の体に、しるしとして付けられた焼印は、私がイエスの奴隷(所有物)であることを、明らかに証明するためのものです」となります。


 カインの「しるし」同様に、私たちに刻印されている、「イエス」という焼印は、如何なる環境においても、如何なる世的権力下にあっても、如何なる経済状況に生活していても、如何なる「敵(迫害者)」の中にあっても、私たちを常に守り導く、父なる神の「贖いの力」を発揮する(有効にする)ものです!つまり、私たちに刻印されている「しるし」のデザインは、私が思うに「十字架」である!このように受け留めましょう。


 イエス・キリストの十字架の「贖い」の御業故に、私たちはイエス・キリストのものとなっていること、そして常に十字架の血潮によって守られ、父なる神の「贖いの力」によって、私たちは「世」から救われている!つまり御国の国籍を持つ身分のキリスト者です。


「不滅の命」を現す
 私たちに押されている聖なる「刻印(焼印)」は、「不滅の命」のしるしでもあります。つまり決して滅ぼされることが無く、「この世」に打ち負かされること無く、「この世」の経済状況によって、決して左右されることが無い程の、大いなるイエス・キリストの、十字架による死の「御業」と「復活」の力が、私たち信じる者にとって、常に有効なものとして、永遠の保証を与えるマークなのです。


 イエス・キリストという、聖なる「刻印(焼印)」を押された者は、「この世」の如何なる権威(権力者たち)に対して、決して膝を屈めること無く、王の王である神の子羊イエス・キリストに、永遠に膝を屈めることが出来る、「その日」を待ち望みつつ、毎日を歩んでいます。そうです!私たちは、いつ如何なる時にも、イエス・キリストの刻印を身に帯びる者として前進し、最後の闘いに臨んでいるのです。


 イエス・キリストの、大いなる「復活」の御業が臨む時、そしてイエス・キリストの「十字架」という、聖なる刻印が明るく輝き出される時、あなたの信仰生活の上に更なる父なる神の「救い」が、約束の保証として実現されることを、主イエス・キリストの御名で祝福しお祈りします。アーメン!


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