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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

復活の福音(No.2)

                 キリストは世の光である!




初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、・・・・神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
                                                                                                 【創世記1章1~4,14~18節】


 イエス・キリストが「世を照らす真の光である!」という福音は、私たちキリスト者が、「信仰の道」を歩む上での、足の灯火としてばかりでなく、霊的な「暗闇」のフィールドに暮らす、この世の人々に対して、私たちを通して現されるキリストの「栄光の訪れ」が、どのような形でもたらされていくのか?この点を大切にしながら、私たちが着実に携えて行くべきものでもあります!


「死」を滅ぼす
 先ず私たちが知るべきポイント、それは霊的な「暗闇」というフィールドです。当然私たちは、この「暗闇」のフィールドを、(肉体が)死なない限りは体験出来ません。そこは「光」が、全く存在しないフィールドであり、生物が育つことの出来ない、冷たき死の世界です。そして「光」が、決して照射されることの無い所ですから、全てが「暗闇」に覆われ、何も見えてこない(現れ出ない)深淵の世界です。これは想像しただけでも、恐ろしい世界(空間)です!宇宙にあるブラックホールが、これに似通っているのかも知れません。そこは、永遠に「暗闇」が果てしなく拡がる、宇宙の底なし沼です。


 この「暗闇」のフィールドが、宇宙全体を覆っていた状態の中に、父なる神は何故(どういう意味付けをもって)、「光」を生じせしめたのでしょうか?実はこの問いが、「死を滅ぼす」というテーマに結び付くのです。「光」という存在(物体?)は私たちにとって、常なるものとして受け取っていますから、寒い冬から春にかけるシーズン以外は、余り有り難味を感じませんが、「光」の存在は私たちに対して、何をもたらしているのでしょうか?


 先ず第一の命令として、父なる神は「光」に対して、まるで「人」を呼ぶかの如くに命じました。「光よ、この暗闇の世界に、今直ちに出て来なさい!あなたが出現することによって、暗闇の世界に大いなる良きことを、今からもたらしなさい!」と。すると「光」が、「待ってました。父よ!私が出て来る時ですね。私が今、行くんですね。では行って参ります!」と応じるや否や、瞬時にある出来事(事実)が起きました(生じた)!つまり「光」が、まさしく出現した瞬間に、「暗闇」が引いた(去った)、しかもその去り方は、「光」の出現と同時だったことです。


 「光」が出現したことで、私たちは暖かな日差しを受け、元気が出て動きが活性化します。つまり心身共に生き返る気分を味わいます。そのため父なる神は、「光」に対して第二の命令を発せられました。「(地を)照らせ」(5節)と。光を様々に「照らす」ことによって、実は「恩恵」が生じて来ます。「光」は出現するばかりではなく、照らすことによって様々な「恵み」を与え、あらゆる対象物を生き返らせます!


 日本ばかりでなく、今日の世界を覆っている、「暗闇」という霊的覆い(雰囲気)は、父なる神が「真の光」を、再び地にもたらす(照らす)ことによって、つまり御子イエス・キリストの再臨を通して、打ち破ろうとしているのです。「その時」が近づいていることを、悪魔サタンは十分に理解しています。それ故にサタンは、更に「暗闇」の深淵を蔓延させ、この世の人々を霊的に支配しようと必死です。その結果、人々の「心」は冷え切り、互いに慈しみ合う「愛」が薄れ行き、暗い言葉だけが流行するようになります。


 確かに2009年から2010年にかけて、アメリカを中心に(日本でも)、「チェンジ(革新)」という言葉が流行りました。この「Change」という言葉だけに期待していた人々は、果たして「何」を得たのでしょうか?それは「新しい指導者が登場しても、何も変化が生じなかった!」という失望感だけです。


 しかし、私たちキリスト者の「霊」の内側(最中心部)には、永遠の輝きをもって照らし続けて下さる、「真の光」なるイエス・キリストが、いつも共に居て下さいます。イエス・キリストが与えて下さる「命の言葉」が、「復活の福音」に他なりません!


復活の福音


さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。・・・・私は、世にいる間、世の光である。」こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
                                                                                                   【ヨハネ福音書9章1~3節】


 このストーリーに記されている、「命」の再生をもたらす復活の福音は、「私たちは、私をお遣わしになった方の業を、まだ日のある内に行わねばならない。誰も働くことの出来ない夜が来る。私は、世にいる間、世の光である。」(4~5節)の御言葉です。そして、イエス・キリストのこの「福音」は、私たちに対して大いなるメッセージを与える、預言的な言葉でもあります。


 イエス・キリストは永遠の輝きをもって、さんさんと照らして下さり、死のフィールドに支配されていた私たちを、瞬時に復活させて下さる程の、大いなる「真の光」です。しかし、主なる神は全ての物事に対して、「始まり」と「終わり」を位置付け、ご自身の「計画」にも「完成の時」を定めておられます。それ故私たちの霊のフィールドにおいて、今(現在の時)輝きをもって働いて下さる、イエス・キリストの恵みの「光」は、ご自分が地上に再臨される時には、「完成の時」としてシャット(閉じる)されることを覚えて下さい。そうです!「光」のある(輝きを放つ)時に、私たちは働く務めがあります。何故なら、働くことの出来ない「夜」が来るからです。


 この盲人は、「光」の存在を全く認識出来ない、「暗闇」に生きる人物でした。それ故周囲の人々は、彼のミゼラブルな人生の根本原因を、「先祖」や「血筋」の呪いという、人間的測り(尺度)から判断するだけでした。ところが、私たちキリスト者は知っています。「この方(イエス・キリスト)は、この卑しき私たちを贖って下さった、その貴い恵みをもって、如何なる悪しき暗闇のフィールドにあっても、真の光を照らして下さる。それ故、かつて霊的に盲目であった私を、復活の恵みをもって贖って下さった方は、あなたをも死の滅びより贖い出し、真の光をもってあなたの人生に、必ず訪れて下さいます!イエス・キリストは、今も尚世の光として、あなたの元を訪れて下さることが可能です。あなたの出生(生い立ちや歩み)がどうであれ、あなたはイエス・キリストを信じることで、救われるのです!」と宣言できることを。イエス・キリストが、「世の光」として世に来たこと、それには意味があります。その「意味」とは、「神の業が、この人(全ての人々)に現れるためである」(3節)ということです。


「不滅の命」を現すため
 父なる神は「死」を滅ぼすべく、即ち「暗闇」という、全き「死の世界」を破壊するために、「真の光」という、永遠に輝き続ける「救い」の恵みを、照らして下さる御子(イエス・キリスト)を、この世にお遣わしになりました。それ故、イエス・キリストの「救い」の御業を、「不滅の命」として現すために、今も尚働いておられます。


 イエス・キリストは、この盲人に命じました。「私は父なる神の御業を現すために、天から遣わされた者である。それ故、あなたは私の言葉を信じ、その通りに実行しなさい!」と。そこで彼は、「分かりました。あなたの言うとおりにします!」と言ってから、シロアムの池に行き、自分の目を洗いました。すると、たちどころに彼の視力が復活し、「光」が彼の目(瞳)の中に差し込んできました。そうです!「この時」彼の視力ばかりでなく、彼の「霊」の只中に、神の「栄光」の訪れが出現し、彼は再び「我が家」に帰り着いたのです。


 私たちが受け留めるべき信仰は、ここにあります。私たちが、永遠の「真の光」を受けた以上、「暗闇」に苦しむこの世の人々(霊的盲人)に、「真の光」を携え行き、上よりの信仰をもって、彼らの「霊の眼」の上に、「真の光(イエス・キリスト)」を霊的に塗る(照らす)時に、彼らは再び帰って来るのです。そう!イエス・キリストの御元へと。


 あなたも、「世の光」を照らす使徒として、この世に遣わされている以上、あなたはイエス・キリストの、「復活の福音」を純粋に受け留め、イエス・キリストの「不滅の命」を現す、重要な働き人(担い手)なのです!今!あなたの前に、大いなるシロアムの奇跡が用意されることを、主イエス・キリストの御名で祝福しお祈りします。アーメン!


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