二つの「信仰挨拶」
主の箱が出発する時、モーセはこう言った。「主よ、立ち上がって下さい。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は御前から逃げ去りますように。」その箱が留まる時には、こう言った。「主よ、帰って来て下さい。イスラエルの幾千幾万の民のもとに。」
【民数記10章35~36節】
信仰の基本的「挨拶」
私たちの普段の生活には、人間関係を成り立たせる、決まり文句のような「挨拶」があります。朝時から先ず「お早うございます!」、そして昼時には「こんにちわ!」、夕暮れ時に「今晩は!」、また商売(営業等)に携わる人は、関西風の「毎度(おおきに)!」などと。私たち人間関係において、様々な挨拶があるように、主イエス・キリスト、父なる神、聖霊様に対しても、「信仰挨拶(サウンド)」を発することが、実は非常に重要になります。
その最大の理由は、私たちと主なる神の「関係」において、即ち創造主なる神こそが、私たちの唯一の「主権者(親)」であり、私たちは「被造物(子)」として、常に相対する時(関わる際)に、挨拶の言葉(信仰のサウンド)を添えて、自由に交わるよう招き入れられているからです。その際に、二つの「信仰挨拶」を発すること、これが今回の記事に示されています。
一つ目の挨拶は、「主よ、立ち上がって下さい!あなたが行かれる所に、私たちもお供し(従い)ます。」という信仰表明です。二つ目が「主よ、(ここに)来て下さい!」という、実に単純な宣言です。 例えば、私たちが普段以上に、歓喜の声をもって叫ぶ(はしゃぐ)時には、不思議なアクションが伴います。それが思わず「立ち上がる」行動です。ここのアクションは、私たちが生まれつき持つ、本能的な感情反応の一つです。霊的には、創造主なる神が完成された、私たち本来のフォーム(あるべき姿)の中に、聖霊様を通して豊かに現れ出る、最高の美(麗しさ)でもあります。
私たちに必要な、主なる神に対する信仰上の「挨拶」は、①どのような時に用いるべきか?そして挨拶をすることで、果たして②何が起きるのでしょうか?この二点について、聖霊様から教えて戴くことが求められます。だからと言ってこの挨拶は、単なる「お題目」を唱えれば良い!という次元にはありません。これは私たちが毎日欠かすことの出来ない、重要な信仰の表明です。然り!私たちの信仰の歩みの「先(前方)」を、誰が進み行かれているのか?これを毎日欠かさずに、「霊の眼」をもって正しく、かつ着実に捉えることの出来る者は、この挨拶を「命の言葉」と共に、告白することが出来ます。
しかし如何せん、私たちは信仰の挨拶を、時々省略してしまう、即ち助け主なる聖霊様と交わすべき、言葉(祈り)による「挨拶」を、ついつい忘れてしまう(世の事に忙殺される)のです。覚えて下さい!聖霊様は、私たちの信仰の歩みにおける、重要なメイン・ドライバー(指導教官)であり、単純なガイダンスをもって導きます。「前進しなさい!」、「止まりなさい!」と。その時に私たちが為すべき事は、直ぐにドライブ(動く)ことではなく、「主よ、あなたが先に行かれて立ち上がって下さい!そうすれば必ず、全ての事柄が解決(勝利)しますから。」と告白(挨拶)して、万物(万事)の主権者が、全能なる創造主である!こと、この正しい信仰的位置付けが、先ずは重要となります。
主の箱が進み行く限り
今の日本の現実、あなたはどのように、正しく見ているでしょうか?この世の人々は、「先」の見えない恐怖と不安の中で、必死に日々の糧(主食のお米)を手に入れようと、日々駆け巡っています。しかし私たち「神の民」は、そんな三次元に生きる者ではありません!たとえ現実がどうであれ、私たちの「先」を行かれる方は、万軍の主(創造主なる神)であり、唯一の「贖い主」である御子イエス・キリストが、私たちの歩みの全てを、行軍のセンター(中央部)から見守り続け、確実に勝利の道へと引導して下さいます。そして何よりも素晴らしいことは、私たちの傍らには常に、百戦錬磨の大将軍(最高指令官)なる聖霊様が、陣頭指揮を取って下さるのです。
主の箱を担ぐ者が六歩進んだ時、ダビデは肥えた雄牛を生贄として献げた。主の御前でダビデは力の限り踊った。・・・・ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びを上げ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。
【サムエル記Ⅱ6章13~15節】
この記事には、私たちの三次元的判断力では、とても理解できない行動が、ダビデ及び民の行進に見られます。つまり全体が六歩(約2m)前進する毎に、祭壇を築き「生贄」を屠り、賛美と共に礼拝を捧げるのです。 主なる神が命じられる時には、前進するスピードが「人の時」を超えて、人が理解できない次元の中で、「神の事実」が進み行くのです。それは決して、「神の民」を苦しめる為ではなく、人の「歩み」が主なる神によって、堅固に打ち立てられていることを、正しく学ぶ(知る)為に他なりません。
ダビデは、一度目の失敗(ウザの死)から学び直しました。万軍の主が「先」を行かれ、王を含め「神の民」は、遜って神の「契約の箱」に従う、即ち神の御心に「聞き従う」ことこそ、最高の生贄(真の礼拝)である!ことを。ダビデは六歩(約2m)前進する毎に、神に対する賛美(霊的サウンド)を捧げました。「主が我らと共に進み行き、万軍の主が立ち上がられた!我らは喜び踊りもって、高らかに主の御名を称えようではないか!」と。
結論になりますが契約の箱、即ち神の「命の言葉」が、私たちの「歩み」と共に進み行く際には、私たちは信仰の「サウンド」をもって叫ぶ訳ですが、その時に必要となる、私たちの側からの挨拶(信仰姿勢)が、「主よ、あなたが先ず立ちあがって、先にお進み下さい!」と、謙虚に告白することです。そして前進する中で、聖霊様がその都度「ちょっと立ち止まりなさい!今は神の御心(正しい進路)を求める時です!」と、霊的シグナルを発せられたら、私たちは即「主よ、しもべは今ここにおります(座しています)。あなたの御心を示すべく、この場に来て下さい!」と、第二の挨拶を述べることが大事です。
主なる神が、全て(万事の流れ)の「主権者(至高者)」として、私たちを常に導かれる方である限り、私たちは全面的に「忠誠(全き従順)」を表明することが肝心です。それ故に私たちは、今後の信仰の「歩み」においても、この二つの「信仰挨拶」を表明する限り、私たちの歩みの「先」にあるものは、イエス・キリストによる「勝利」、イエス・キリストから来る「サクセス(祝福)」です!
他の使徒たちとは別に、パトモス島に取り残された使徒ヨハネは、生涯を懸けてこの重要、かつシンプルな信仰挨拶を発し続けました。「私の愛する花婿なる、主イエス・キリストよ、早く来て(帰って来て)下さい!」と。そして今に生きる私たち日本人キリスト者、即ち真の花嫁(エクレシア)は、次のように大声で発する時です。「万軍の主、王の王なる、私の主イエス・キリストよ、今この日本に、立ち上がってお進み下さい!私は神の兵士として、命を懸けて従軍致しますので。あなたが進み行かれる所には、必ず勝利と栄光の御旗が、既に打ち立てられています!」と。
どうぞあなたの信仰の「歩み」に、万事を益(良きこと)として下さる、聖霊様の確かな「保証」が、天上から豊かに増し加えられますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2025年8月24日のメッセ-ジ)
次回は・・・・Terminal Sound(4/27掲載)です。
英語版(エステル処方)は以下から!