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Terminal Sound(No.23)

K・バルナバ

     「三日目に」臨んだ神の角笛

 

 

 

三日目の為に準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られたからである。民の為に周囲に境を設けて、命じなさい。『山に登らぬよう・・・・境界に触れぬよう注意せよ。・・・・必ず死刑に処せられる。・・・・角笛が長く吹き鳴らされる時、ある人々は山に登ることが出来る。』・・・・三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営に居た民は皆、震えた。・・・・角笛の音が増々鋭く鳴り響いた時、モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。・・・・主は彼に言われた。「さあ、下って行き、あなたはアロンと共に登って来なさい。但し、祭司たちと民とは越境して主のもとに登って来てはならない。主が彼らを撃つことがない為である。」

          【出エジプト記19章11~24節

 

神の「角笛」の働きを知る

 「角笛」とは、英語でトランペット(trumpet)と言い、「音(サウンド)」を発する楽器(道具)です。今回の記述に見られる「音(サウンド)」は、実際に人の造った「角笛」から、発せられたものではありませんが、天空から聞こえるサウンドが、「角笛」に近かったことが伺えます。そして神ご自身が発する、その「角笛」サウンドには、実は明確なサウンドの本質(意味・目的)があり、神のトランペット音が発せられた場合、何らかの「事(神のイベント)」が、必ず進み行くことになります。

 

 ところで天の御国において、トランペットが吹き鳴らされる時、それは物凄く麗しい、御国の「サウンド」に造り上げられます。それ故に私たちキリストの花嫁は、「その時」を待っているのです!そして私たちの唇も、霊的な賛美を高らかに捧げることで、御国のトランペットとして、遂に用いられて行くことになります。

 

 ご存知のように、「音(サウンド)」は一つの情報です。例えば自然界においては、梅雨が開けると同時に、一斉に蝉が高らかに鳴き始めますが、これを人が聞いた時に、「あ、暑い夏が(また)来た!」と認識する場合、これが一つの情報(知らせ)になっています。

 

 その前提に立って「音(サウンド)」には、実は三つの働きが伴います。先ず第一に、①音源(音を発する主体)の存在を、「知らせること」が第一の働きです。第二にその発せられた音の、②音色(音質、音量含む)如何によって、その「音質(音の意味)」が様々に変化すること、これが第二の働きです。最終的にその音は、③シグナル(信号情報)になっていること、これが第三の働きです。例えば赤子が、激しく泣き続ければ、それは「乳」が欲しいのか、或いはオムツを替えて欲しいか等、一つのシグナル(サイン音)になっています。

 

トランペットが発するシグナル

 この音が持つ、三つの働きの流れを、正しく理解する(汲み取る)ことが、私たちに求められている訳ですが、今回の記事に見られる、シナイ山から発せられた、トランペットのシグナルには、如何なる意味があるのでしょうか?


 シグナルを発することは、その音の「意味合い」を、正しく受け取り、そのシグナルに聞き従うことが求められます。しかも神の発するトランペットの場合、これには人がシグナルに対して、順番通りに聞き従うことで、神の「命の領域」に入る事が出来る!という、素晴らしいプロセスが必ず伴います。

 

 今回の記事から示される神のシグナルには、二つの重要ポイントがあります。第一に①死を招く事が無いよう、身を聖めることです。「神の領域」である聖所(至聖所を含む)は、近付いただけで死にます。その理由は至ってシンプル、即ち私たち人の側に、「罪」という汚れがあるからです。それ故に、全ての人々が身を聖めること、これを優先的に為すことです。その結果、彼らが第一の信仰行動に移ったことで、シナイ山から神のサウンドを受け取りました。

 

 彼らが身を聖めた後に、第二に②近付いて(至聖所の奥まで)入ることです。この時(旧約時代)は、全員が入る訳ではなく、大祭司(アロン)だけが、死を身に受ける「身代わり」として、至聖所の奥深くに入ります。この間イスラエルの民は、外部にて待つことになります。然り!イスラエルの民全てが贖われるべく、大祭司の「命」が要求されること、これが第二のシグナルの意味です。

 

「三日目に」臨んだ神の角笛

 この時に重要となる、トランペットの発する「神の時」が、「三日目に」(11節)です。旧約聖書には、この「三日目に」の言葉が、多く記述されているように、これは「神の時」に関する、重要な規定(掟)となります。しかし、新約時代に生きるキリスト者にとって、「三日目に」という御言葉は、イエス・キリストの「復活」、即ち唯一の「救い(贖い)」が、確立される重要な「神の時」となります。

 

 私たちは、イエス・キリストが「三日目に」為された、この重要な出来事(復活の奇跡)を覚える時、あのマグダラのマリアが「三日目に」体験した、奇跡のシグナルを再確認する必要があります。彼女は「三日目に」、死者(イエス・キリストの亡骸)を弔うべく、悲しみに沈んだまま墓場に赴きました。そこには番兵も見当たらず、大きな墓石も脇に転がっていたので、思わず中に入りました。 しかし中に居た御使いから、驚愕すべき情報(神のシグナル)を知らされます。「あなたの愛する主は、ここに居ない。イエス・キリストは復活された!」と。

 

 彼女は信じることが出来ないまま、墓場の庭園に佇んでいました。すると庭園の関係者とおぼしき者が、彼女に近付いて「マリアよ、私だ!」と、御国の音声(王のシグナル)をもって、彼女の「霊の耳」に進入しました。この二つの偉大なるシグナルを受け取った彼女は、直ちに信仰行動に移りました。恐らく真っ先に、このシグナル(復活の知らせ)を届けた相手が、一番に落ち込んでいたペテロ、そしてイエス・キリストが一番に愛したヨハネでした。

 

 これからの日本が、如何なる方向に突き進むのか、私たちは知る術(時のシグナル)もありませんが、聖霊様は私たち日本人キリスト者に対して、御使いと同様にトランペットを手にして、「神の山に登る者たちよ、いざ来たりて、神のシグナルを受け取りなさい。集まって来る神の勇者に、私は御国の油を豊かに注いで、人をすなどる神の漁師として遣わす。その時にあなた方は、世の大海原に網をおろすだけでよい!」と、大いなる「鬨のサウンド」を発して下さいます。

 

 間もなくしたら、主イエス・キリストは再臨されます。その直前には、大天使ミカエルの大号令が、御国のトランペットと共に発せられます。私たちは、主イエス・キリストを忠実に信じる、「小さな(少規模の)民」かも知れません。しかし私たちは、それでも御国のトランペットが、全世界に渡って鳴り響く、栄光ある「その時」を待ち望んでいます。聖霊様がいよいよ、大号令の発信を為される「神の時」が、目前に迫っています。

 

 「三日目に」復活された、主イエス・キリストの偉大なる、「救い」の事業を、私たちも「唇の果実」をもって、トランペット(勝利の賛美)を携えて、聖霊様と共に吹き続けましょう!私たちと共に進軍される方、主イエス・キリストは、もはや「世」に打ち勝ち、悪魔サタンの軍団を踏みにじり、勝利の御旗を掲げておられます!どうぞ、あなたも神の「角笛」を吹き鳴らして、ひたすら前進し続ける者でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(202576日のメッセ-ジ)

 

次回は・・・・Terminal-Sound(2/27掲載)です。

  

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神の定めた今(No.1)

K・バルナバ

     神が与える「サクセス」の年

 

 

 

主よ、私はあなたを呼びます。速やかに私に向かい、あなたを呼ぶ声に耳を傾けて下さい。

          【詩篇141篇1節

 

「神の秤」から今を捉える

 今回の御言葉を詳訳しますと、「主よ、私はあなたを呼び求めます。どうぞ(まさに)今(の時)、この私を助けて下さい!私があなたを呼び求める時に、どうぞ耳を傾けて下さい。」となります。これは神に対する、ダビデの直ぐなる日々の「祈り」でした。彼が表明した、信仰上の緊急コールである「今!」は、私たちが考える(計る)ような、三次元的な、「人の秤」にはありません。

 

 「今」という概念を、私たち人は「考える(秤にかける)次元」で、様々に図ろうとします。しかし神が命じる(求める)「今」は、「既に決定した(ご計画にある)次元」にあります。 この相違点を、明確に再認識しなければ、私たちは「時」の概念を、否定的に捉える等、常に不信仰の次元に陥ります。

 

 そういう意味で私たちが覚えるべき、今回の御言葉から示される、第一の重要ポイントは、人の「秤(はかり)」ではなく、創造主なる神の「秤」をもって、私たちは一つ一つの「事象(時の流れ)」を、神が支配される霊の次元から、正しく捉える必要がある!という点です。

 

 では神にとっての「今」と、人にとっての「今」には、如何なる相違点があるのでしょうか?私たちは、遥かに懸け離れたその「違い」を、先ずは正しく①知ること、そして②神の定めた「今」を待つこと、最終的にその結果(完成の時)を③見ること、この三つのプロセスが重要となります。

 

 しかし私たちは、この神の法則を頭で理解するだけで、罪の性質が依然として残っている為、①(現実を)見ることを先ず行います。そして否定的な側面ばかりが、次々と生じて来た時に、②待つことを放棄します。そして最終的に神の次元を、愚かにも③自分で考えるなど(神の御心を正しく知ること無く)、神の「今」にある、正しい「時の流れ」を、肉の次元で捉える始末です。

 

 覚えて戴きたいことは、神にとっての「今」は、早いか遅いかの二次元には無く、神の強固な「ご意思」によって、既に「定められているもの」です。故に、私たちが持つべき信仰姿勢、即ち神の「今」に相対する態度は、ひたすら「その時(が必ず来ること)を信頼して待つ」だけで良いのです。神の「今」が来た時に、私たちは喜び勇んで「主よ、まさにあなたが定めた、今の時に受け取りました!」と告白することが大事です。

 

 ダビデは幼少の頃より、羊飼いの仕事を為す(果たして行く)中で、謙虚に神の「今」を学習しました。神が彼の「霊の耳」に、「今だぞ!」とシグナルを発したにも関わらず、仮に聞き従わなかった(聞き逃した)場合に、とんでもない損害(事故)を被る、つまり羊の「命」が、野獣の餌食になる訳です。しかし神の「知恵」を戴きながら、信仰的に成長した少年ダビデは、聖霊様を通して、不思議なガイダンスを受けることで、豊かな牧草地に導かれたり、また「今は動くな。岩陰に羊たちを隠せ!」などのレッドシグナルを、その都度受けます。すると神の「今」が至る所に、既に「成功」として用意されていることを、日々学習して行ったのです。

 

神が与える「サクセス」

 「成功(サクセス)」とは、何かの競技(競い合い)に勝って報酬(賞)を得たり、また一生懸命に、自分が頑張ったから成績(営業利益)が上がったなど、目に見える次元での「価値」に、その基準を置こうとしますが、ダビデが求めたサクセスは、あくまで神の「今」に対して、日々素直に聞き従った結果、今の自分と羊たちの生命及び健康が、豊かに守られているもの!と、謙虚に受け留めていました。

 

 そういう意味で、神が与えて下さる「サクセス」とは、一体如何なる次元にあるものか?この点について、私たちは聖書から知る必要があります。創世記24章12節には、主人アブラハムから遣わされた、一人の忠実なしもべ(執事)の祈りが記されています。「私の主人に、約束の誓いを果たすべく、今日のこの時(日)に、私に対して主なる神よ、あなたの成功をお与え下さい!」(私訳)と。つまり彼は、神の為される(約束の成就)次元を、神の「サクセス」と受け留めています。

 

 主なる神がアブラハムに命じられる、全ての事(指示・事象)の中に、神が必ず「その通りになる!」、つまり神の「サクセス」を用意して下さっていることを、彼は常に会得していた(見て、信じて、従う)のです。ダビデは、創造主なる神に祈れば、「今のこの時に必ず、助けて下さる!」と、即ち神の「サクセス」が、速やかに介入することを信じていました。そしてアブラハムのしもべの場合も、神のサクセスが現れ出る、「その時」を待ちました。現れたのがリベカだったのです。しかし未だ、神の答えとなるリベカの証言(応答)は聞いていません。

 

 リベカの実家に到着し、事の事情(経緯)を証言した後、遂にイサクとリベカの結婚の段取りまで、話しが進む訳ですが、いよいよ夕暮れ時になり、しもべはリベカを連れて、明日カナンへと出立する旨を告げました。するとリベカの家族は、「まだゆっくり滞在して下さい。リベカも心落ち着かないでしょうから。」と、しもべを引き留めようとします。

 

 それに対する、しもべの返答(信仰の決意表明)が、56節に記されています。「ご家族の皆様方、私を引き留めないで下さい!主なる神が私の旅に対して、唯一の成功(a sucsess)を、神ご自身が既に与えて下さったのですから(違えることは出来ません)。」(詳訳)と。この場合の「唯一の成功」とは、イサクの妻となる「唯一の花嫁」、リベカの存在です。リベカは、この時に「私は、夫となるイサク様の元へ、明日出立します!」と即答しました。

 

サクセスの「一年」を目指して

 神の為される全ての働きに対して、速やかに、然り「今!」従い通した、リベカの信仰の応答は、新しい一年(2026年)において、私たちに問われる信仰姿勢です。様々な「現実」を見て、人間的に「人のサクセス」を追い求める一年なのか、それとも「神のサクセス」が、唯一の花婿なるイエス・キリストを通して、この私にも必ず与えられる(顕される、示される)ことを、正しく①知ること、そして②神の定めた「今」を待つこと、そして最終的にその結果(完成の時)を③見ること、これが私たちに求められる、神の「サクセス」の一年となります。

 

 私たちの真の花婿なる方、主イエス・キリストは、唯一の「救い主」です。リベカは、将来の夫となるイサクを、見ずして「真の花婿」と受け留めました。しもべはアブラハムの元に帰り、直ちに「事の経緯」を報告した後に、イサクの元に赴いて、次のように進言したことでしょう。「若君様、今回の成功は、誰のものでもありません。主なる神が、アブラハム様の信仰を通して、既に与えていたものですから、リベカ様をあなたに委ねます。これからは、リベカ様に働く聖霊様の導きに従って下さい。神のサクセスが、必ず用意されていること、これを夫婦で一致して、豊かに受け取って行って下さい。」と。

 

 私たちは新しい一年に、何を期待して、信仰の歩みを継続して行くのでしょうか?創造主なる神が定めた「ご計画」、即ち私たちを通して為される、神の偉大なる「サクセス」が、豊かに拡大されて行く一年となりますように。その為には、神が定める「今!」という、神の時を見逃さないように!どうぞあなたが、いつ花婿なる方、主イエス・キリストが再臨しても万事抜かりなく、心して待つことの出来る「真の乙女」として、日々聖められて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(20251228日のメッセ-ジ)

 

次回は・・・・Terminal Sound(2/17掲載予定)

 

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特別メッセージ

K・バルナバ

     「未来」に微笑む母マリア

 

 

 

天使は、彼女(マリア)の所に来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」・・・・天使は(更に)言った。「マリア、恐れることは無い。あなたは神から恵みを戴いた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。・・・・彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることが無い。」・・・・天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・・」・・・・マリアは言った。「私は主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように。」
          【ルカ福音書128~38節

 

「聖霊」に導かれたマリアの生涯

 今日のメッセージの主役は、イエス・キリストの母親マリアですが、今回は「母親」というより、一人の女性の持つ「信仰」の変遷にスポットを当てます。聖書には、彼女の生い立ちや性格など、彼女に関する記述が全く無い訳ですが、彼女の「信仰」を紐解くキーワードは、神の御霊なる「聖霊」です。然り!彼女の人生は、常に「聖霊」によって導かれ、「聖霊」による取扱いを受けた結果、様々な場面(状況)において、イエス・キリストの「働き」に、重要な役割を果てしています。

 

 そうです!彼女は聖霊様の不思議な導きのもと、イエス・キリストの「誕生」の時から、十字架上の「死」の時に至るまで、常にイエス・キリストを見守り、イエス・キリストの「命の言葉」に伴う、その麗しい「救い」の御業(働き)に従いました。そして最終的には、復活後のイエス・キリストに再会することで、彼女の人生の全てが、神の子イエス・キリストとの関係に、揺るぎ無い一体化の中で、組み合わされていることを、遂に確信するようになります。

 

 このように聖霊様の導きのもと、イエス・キリストの「母(親)」から、一人の「働き人(キリストの証人)」として、造り変えられたマリアの信仰の特質は、何処から生まれて来たのか?この点について、私たちも聖霊様から、詳しく教えられる必要があります。全ての鍵は、必ず聖書に記されています。

 

マリアの三つの霊的特質

 箴言31章の25節には、彼女と同様の信仰特質が「力と気品をまとい、未来に微笑みかける」などと、分かり易く描かれています。これを更に詳訳すると「①彼女は力強く、②皆から敬われる程の気高さに満ち、③彼女は未来(先のこと)に対して、一つも恐れる(心配する)こと無く、むしろ微笑むことが出来た。」となります。

 

 ご存知のようにマリアは、聖霊によって懐妊したことで、実は聖霊様が彼女の全てに渡って、力強く働かれ、聖なる気高さ(品性)に満ち溢れさせ、先のことに関しては一切、三次元的判断に頼ること無く、天の次元から啓示される知恵をもって、余裕のある「笑み(喜びと感謝)」を、絶えず主なる神に捧げました。父なる神は「新しい契約」を、御子イエス・キリストを通して、創始する(スタートさせる)に当たり、一人の乙女(エクレシアの雛型)を選ぶ、その祝福の前提が、聖霊様の内住(マリアの中に住み、彼女と共に歩むこと)でした。

 

第一の特質-力強さ-

 彼女は突拍子もない、かつ不可能な「神の事実」を、天使ガブリエルから知らされた時、その内容を否定しようとしましたが、天使が発した天の「啓示」を聞いた時から、自分の霊の只中に「何か」が始まっていることを、聖霊様の力強い臨在によって感じ取りました。ところで「力強い」とは、如何なるイメージの言葉でしょうか?物理的な「力強さ」は、私たちが肉体的に捉えやすい、「筋力」や「持久力」など、外側に現れ出るエネルギー(出力)の概念です。

 

 しかし聖霊様が私たちに臨まれる際の、霊的「力強さ」とは、創造主なる神が働かれる際の、「無」から「有」を産み出す(創出する)「天の御力」のことです。然り!マリアは、主なる神の「新しい力」を、聖霊様を通して与えられた結果、神の「御力」を着せられ、次第に力強い信仰が育まれた訳です。「弱い者に、勇士だ!」と命じられる、聖霊様が私たちに臨まれる時、私たちは「天」よりの力を注がれて、

力から力へと進み行くことが出来るのです。

 

 マリアは一瞬、ガブリエルの更なる言葉に躊躇しました。「私には、何の力も無いのに・・・・。」と。しかし彼女は、聖霊によって新しい「命(神の子)」が、胎の中で成長するのを覚える度に、「これは只事では無い!まさしくこの子は、イエス・キリスト(救い主)となるだろう!」と、信仰で受け留めました。聖霊様が私たちの霊の只中に、注ごうとしている「御力」は、あなたが「イエス・キリストにありて!」という信仰です。イエス・キリストが、あなたの「霊」の中に宿っている限り、人間的には不可能な領域(次元)の中に、「神の国」を拡大して下さる!のです。

 

第二の特質-聖なる気品(気高さ)-

 「皆から敬われる程の気高さ(聖さ)」という、マリアの二番目の特質は、何から来ているのでしょうか?それも「聖霊様」ご自身です!聖霊様が、我が息子(イエス・キリスト)を、どのように造り変え、最終的には「十字架」上にまで、贖いの生贄として屠られたこと、これら全てが聖霊様の偉大なる「働き」に、イエス・キリストが導かれていることを、母マリアは見逃しませんでした。それ故に彼女は、いつしか「母親」の立場からではなく、一人の「キリストの花嫁」として、「イエス・キリストと同じ聖い霊なる方、聖霊様を、この私にも与えて下さい!」と、必死に飢え渇き求めたのです。

 

 イエス・キリストは十字架上から、最後の「叫び」を発しました。「もう事は成就(完成)した!」と。その瞬間マリアは、全てを聖霊様を通して悟り(確信し)ました。「肉なる戦い(情的な抵抗)が終わり、聖霊様による新しい霊的戦いが、イエス・キリストの復活から始まる!」ことを。そして「その時(復活の朝)」を待ったのです。「その時」も神の御使いから、重要な「知らせ」を聞くことになます。「死者は、ここにはいない!神の子イエス・キリストは、既に復活した!」と。

 

第三の特質-未来に微笑む信仰-

 然り!私たちも「聖霊様」によって、天の御力が強め(増し加え)られ、聖なる「気高さ(品性)」に覆われて行くのです。最終的には完成した「新しい人」として、あなたは「明日(未来)は心配する必要が無い!」と、高らかに賛美できるようになるのです。「明日(未来)」を心配する、その意識の根底には「(~が無ければ)死ぬかもしれない。」という、三次元的思考に由来します。これは「罪」の意識がもたらす、最大の「呪い」の一つです。この罪の意識(恐れ)に、常に縛られている人の口元には、微笑み(喜び)ではなく、憂いや鬱(うつ)が付きまとうのです。

 

 「今」を美しく、聖く飾って(整えて)下さる聖霊様は、「明日(未来)」に対しても、更なる天の次元をもって、必ず「カナン(乳と蜂蜜に満ちた所)」へと導いて下さいます!いよいよ時が、真の花婿なるイエス・キリストが、再臨される最終段階に至っています。この「今の時」に、私たちに必要とされる信仰、それがマリアの霊的特質です。聖霊様によって与えられる①力強さと、②いつも身にまとう聖なる気品、そして③「その時(花婿との再会の時)」に向けて、口元に笑みを絶やすこと無く、高らかに賛美を捧げる、この三つの聖なる特質を、私たちも着せられようではありませんか!

 

 私たちは聖霊様によって、「イエス・キリスト」の霊を宿した次元から、更に飛躍した天の次元をもって、イエス・キリストを公に顕すなど、イエス・キリストの「証人」として、力強く「神の国」を宣言して参りましょう。あなたが、聖霊様によって正しく導かれ、聖霊様の聖なる「守り」の中で、御国まで安全に前進できますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2025127日のメッセ-ジ)

 

次回は・・・・新シリーズ『神の定めた今』(2/7掲載)です。

 

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