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Terminal Sound(No.25)

K・バルナバ

     二つの「銀のラッパ」

 

 


主はモーセに仰せになった。「銀のラッパを二本作りなさい。それは打ち出し作りとし、共同体を呼び集めたり、宿営を旅立たせる為に用いなさい。二つとも吹く時には、共同体全体があなたの元に、臨在の幕屋の入口に集まる。一つだけ吹く時には、イスラエルの部族の長である指導者(族長)があなたの元に集まる。

          【民数記10章1~4節

 

二本の「トランペット」の意味

 今回の御言葉に記述されている「ラッパ(トランペット)」、それは動物の角を用いて作られた、いわゆる「角笛」ではなく、金属製の「銀のトランペット」です。主なる神が、実際にモーセに対して、この金属製のトランペットを作製する際に、「打ち出し作り」としなさいと、具体的な作製方法を命じられましたが、金と銀を比べた場合に、実は銀の方が①打ち叩いて、②適度な厚さで伸ばし、③立体的な形状に仕上げる等、制作する上で利便性に優れていることから、銀を「打ち出し作り」とした事が伺えます。

 

 続いて主なる神は、銀のトランペットを作製するに当たり、具体的な数として「二本」と指示されましたが、この数字にも意味があります。これは本数を意味するというより、トランペットから流れ出る、サウンドが「二通り」ある、つまりAタイプとBタイプのサウンドの、「違い」を聞き分ける為に、「二本」のトランペットを作製したのではないでしょうか。

 

 ここから示される単純な「真理」は、二通りのパターンから吹き鳴らされる、その音(サウンド)の違いは、「誰もが分かる(聞き比べる事が出来る)!」という点です。ご存知のように「音(サウンド)」は、ある面で「サイン(シグナル)」を発します。つまり「信号」としての情報です。今回の記事には、二種類の「信号」情報が、具体的に指示されています。銀のトランペットを「一本」で鳴らす場合と、「二本」で鳴らす場合に、その「信号サウンド」が、明確に二通りのシグナルになるからです。

 

二通りのシグナル・サウンド

 今回の記事から示される、二つの重要ポイントに関して、先ず①何故トランペットが、「銀」をもって作られたのか?という点です。「金」「銅」「鉄」ではなく、「銀」を用いること、これには深い理由があるのでしょうか?銀は、日本語で「しらがね」とも言います。金(こがね)の次に、麗しい「色彩」を表現するもの、それが銀です。 恐らく主なる神は、銀の物理的な価値や、制作する上での利便性も重視したかも知れませんが、私は銀製のトランペットが吹き出す、その「音色(サウンド・カラー)」が、他の金属の音色よりも、独特の特色があったからでは無いかと推測します。

 

続いて第二のポイント、②何故銀製のトランペットを、「二本」作ったのか?という点です。前述したように、主なる神は「一本」で吹き鳴らす場合と、「二本」で同時に吹き鳴らす場合の、二通りの「音響」を発することで、明らかな「違い」をサインとして示す為です。具体的に3節において、「一つ」で吹き鳴らす時には、各部族のリーダー(長)のみが、大祭司の「宿営」に集結するサインであること。そして「二つ」で同時に吹き鳴らす時には、イスラエルの全家が「幕屋」に、同時に集結する(召し出される)サインです。

 

つまり銀のトランペットが鳴る時、それはある面で、主なる神の「召集(Calling)サウンド」であり、自分の「命」の全てを捧げて、神の御前に「出る時」です!今の時代は、聖霊様が私たちに対して、次のような「召集(Calling)サウンド」を、常にかつ盛んに発しておられます。「主なる神の御前に出て来なさい!主イエス・キリストとの、親しいし交わりの場に座しなさい!神はあなたを、直々に呼んでおられるから。」と。その時に私たちは、信仰の父アブラハムの如くに、「主よ、私はここ(あなたが居ます所)におります!」と、喜んで出る(座す)のです。

 

聖霊様は何故、「一本」のシグナル音ではなく、「二本」のシグナル音を、別々に発するのでしょうか?それは私たちの側に、罪から生じた「肉のサウンド」、つまり悪魔サタンの発する、甘い声(偽りのサウンド)に魅了(誘惑)され易い特性があるからです。そういう場合に聖霊様は、二通りのシグナル・サウンドをもって、私たちに警告的なサインを、分かり易く発するのです。「そっちの水(世の水)は苦いよ!」と。

 

覚えて下さい!聖霊様だけが、私たちを「金」のように、そして「銀」のように、霊的に「打ち出して」、聖い器へと造り変えて下さいます。しかし私たちは、罪の性質が残存する為に、実は聖霊様の「打ち出し造り」に、様々に抵抗する所があります。それでも聖霊様は、私たちに強く臨まれ、執り成して働かれます。「あなたはもっと、更に聖い器へと造り変えられ、最高に麗しい銀の器に、最終的には宝石の如き貴い器へと、造り変えられ、そして完成されることを、主なる神は望んでおられるのです!だからこそ私は、あなたを常に打ち出す(叩く)のです。」と。

 

故に私たちは、聖霊様の召集サウンドに、ためらわずに聞き従いましょう!あなたを「有用な器」として、個人的に召集する(召し出す)場合には、一本のトランペット・サウンドで十分です。それに対して、全てのキリスト者たちが、万軍の主の御前に膝を屈め、霊と真によって礼拝を捧げる場合には、二本のトランペット・サウンドが響き渡ります。 迫害が目前に迫る、今の「終わりの時」に、使徒パウロは次のようにアドバイスします。「集まる(召集に応じる)ことを、決して禁じてはなりません!」と。

 

召し出されたエクレシアとして

エクレシアは何故、呼び集められた神の民(兵士)として、今の時にコールされるのでしょうか?今回の記事に登場する銀のトランペットは、①呼び出す「召集ラッパ」です。それに対して、民数記10章5節以降に登場するトランペット(角笛)は、②出陣を知らせる「出陣ラッパ」です。「出陣」とは、戦い(戦さ)に臨むことです。「終末の時」にも尚更、私たちの信仰の耳にとって、この二通りの召集サウンドが、聞き逃してはならない、重要な出陣サウンドとなります。

 

こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストの元に一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストの元に一つにまとめられるのです。キリストにおいて私たちは、御心のままに全ての事を行われる方のご計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いている私たちが、神の栄光を称える為です。

【エペソ書1章10~12節

 

 このパウロの力強い御言葉(手紙)には、私たちが「今の時」に、①如何なるサウンドによって集められ、②何処に向かって進軍(出陣)し、③如何なる戦いに臨んで行くのか、その重要な指針が、霊的かつ具体的に描かれています。然り!私たちキリスト者は、たとえ一人一人が、小さな個体(バラバラな器)に見えても、イエス・キリストの元に集結した、大きな「一つの体(軍勢)」です。最終戦場は、いよいよ「日本国」にも、偉大なる「豊作の時」として用意されています!

 

 あなたが一人の日本民族として、今の「終わりの時」に生かされ、いよいよ霊的出陣の時に、聖霊様の「召集サウンド」を真っ先に受け取り、「さー、喜び勇んで集まろう!イエス・キリストの元に、一つとなって身を捧げよう!」と告白し、大胆に前進(出陣)できますよう、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2025727日のメッセ-ジ)

 

次回は・・・・Terminal Sound(3/27掲載)です。

  

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神の定めた今(No.2)

K・バルナバ

     神の定めた「今」の始まり

 

 

 

初めに、神は天地を創造された。

          【創世記1章1節

天地万物は完成された。第七の日に、神はご自分の仕事を完成され、第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に・・・・第七の日を神は祝福し、聖別された。

          【創世記2章1~3節

 

一年の「始まり」に当たり・・・・

 出エジプト記40章2節には、日本人に毎年馴染みのある、「一年の計は元旦にあり」と、似通った習慣が記されています。私たちキリスト者も、新しい年の「始まり」に当たり、神の幕屋(至聖所)において、神との親しい「交わり」、即ち「真の礼拝」を第一とする(霊的に優先する)こと、これが一年の「祝福」のスタートとなります。

 

 「人の時」に追われ、「人の望み」に縛られますと、一年が「あー、大変な一年だった!」と嘆くことになります。しかし私たちが、創造主が定めた「神の時」の中に、自分の身を置くことで、神の麗しい「祝福」の流れに、一年間あずかることが出来ます。

 

 私たち人の描く「時」の概念は、「点」と「線」という、二次元の世界にあるもの、即ち「始まり(始点)」と「終わり(終点)」を結ぶもの(線)、それが「時間(人の時)」と捉えます。ところが神が定めた「神の時」は、球形を描きながら動くもの、つまり永遠に続く四次元的な概念です。覚えて下さい!私たちは神が定めた「今」の中に、全ての面で生かされ、かつ守り導かれているのです。さてあなたは、この新しい年(2026年)を、どう生きるべきでしょうか?

 

 だからと言って、私たちは慌ててはなりません。私たちは「何」に望みを置き、如何なる「神の計画」を、聖霊様によって確立して戴くことが、一番に求められるのです。「神の時」は既に始まっており、完成に向かって進んでいます。ですから覚えて下さい!神が定めた「今の時」には①始まりがあり、そして②完成が用意されているのです。

 

神の定めた「始まり」

 創造主なる神は、万物を創造されるに当たりて、即ち創造の「初め」となるポイント(創始点)、それが1章1節の記述です。読み手の私たちは、この記述を「神が創造を始められたのは、いつからですか?」と捉えますが、これは「時節」を表す言葉ではなく、むしろ「ご自分の手の業を、開始される(現わされる)に当たって」と捉えることが、大事なポイントとなります。

 

 ところで主なる神は、天地万物を「何」の為に創造されたのでしょうか?それは、最初の人(アダム)の為にです。ですから全てが、アダムの為に創始するに当たり、主なる神が既に「神の今」を、定められたことが分かります。そして神の定めた「今の時」は、今も尚継続しているのです。神はご自分の「手の業」を、一旦休められたことが、2章1~3節に記されていますが、人(アダムとエバ)は愚かにも、サタンの策略により、神の定めた「今の時」から逸脱します。

 

 ではこの時点で、創造主なる神の「ご計画」は、破綻したのでしょうか?否!むしろ更なる「神の時」が、偉大なる「救い」のプロジェクトとして、再開(継続)しているのです。実は聖書には、「今(Now)」という記述が、 三百数十か所に渡って記されています。その全ての記述が、「神の今」を表す概念ではありませんが、聖書全般に渡って、「神の今」と「人の今」が、様々に交錯し合って、父なる神と被造物(人)の関係修復が、神の「救い」へと繋がっていることが分かります。

 

 実は旧約聖書において、「今」という記述が最初に登場するのは、最初の人(アダムとエバ)が犯した後の事になります。具体的な記述としては、「今は、手を伸ばして・・・・」(創世記3章22節)です。この「今」は、神のご意思から定めた「今の時」ではなく、人が罪を犯した結果、遂に「人の時」として始まった「今」のことです。この時から人は、サタンと同質の思い(肉の欲望)、即ち「神のように成る!」ことを、様々に計るようになります。

 

 然り!サタンは人を用いて、「神の今」を次々と破壊し、「人の今」をもって、「サタン王国」の君になることを、地上に目論見始めたのです。 それ故に創造主なる神は、一旦彼らを「エデンの園」から出し(世に移動させ)、「人の時」を分離(聖別)したのです。その結果、彼らは「エデンの園」という、神が被造物に与えた「永遠性」からはずれ、地上で「終わりの時」を迎える、つまり「死す(死に支配される)」、「人の時」の有限的サイクルが始まります。

 

 この時から人は、「今~しておかなければ・・・・」、「今を逃したら・・・・」、「今~したから・・・・してしまった!」等と、様々に有限的な「死(終わりの概念)」の支配の中に、自分を閉じ込めるようになりました。 しかし創造主なる神が、罪を犯す以前のアダム(エバ)に賜った、「神の時」にある「今」は、そのような有限的なものではなく、常に「命(新しいもの)」から「命(更に新しいもの)」に至る、神の永遠性の中に継続しているものです。ですから「全て」が、神によって始まり、神によって「その通りになる(アーメンの次元にある)」のです!

 

神の計画する「完成の時」

 「旧約」の始まりにおいて、主なる神は六日間に渡って、ご自身の「手の業」をもって、天地万物を創造されました。そして七日目に「完成の時」として、ご自身の「手の業」を休めることで、一旦「事(神の救いの事業)」を終了されました。これが神の「安息日」の始まりです。しかし主なる神は、罪を犯した私たち「人」を、更に(再び)神の「救い」にあずからせるべく、聖霊様の働きを通して、地上に小羊(イエス・キリスト)を遣わされました。これが「新約」の始まりです。

 

 そして父なる神は、何とこの小羊を十字架上で、私たちの全ての罪咎の、「贖い」の身代わりと屠られました。しかし主イエス・キリストは、「死」で終わりではなく、三日後に偉大なる復活を成し遂げられ、それが故に神の「安息日」が、復活という神の勝利の「幕開け」、即ち神の「事(神の救いの事業)」が、第七の日(週の開始日)から始まることになります。然り!イエス・キリストの十字架の御業を通して、完成された「復活の時」から、神による新しい天地創造が始まり、それは遂に「終わりの時」へと、即ち御国の完成式典として進められているのです!

 

 それ故に私たち日本人キリスト者は、「第一の月」の「最初の日」、即ち元旦に何を最優先とすべきか、答えはイエス・キリストとの「親しい交わり」、つまり霊と真による礼拝です!新しい一年の「始まりの時」に、私たちは「霊」の只中に、イエス・キリストの「至聖所」を、何にも増して「貴い礎石」として、堅く据える必要があります。「しかし、真の礼拝する者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。・・・・神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ福音書4章23~24節)

 

 この有名かつ重要な御言葉は、更に詳訳すると「しかし(神の)時が、まさに近付いている。そしてその時は、まさにこの場に用意されている。即ち父なる神の御霊によって、神がまさに現実的に共に居て下さる方であることを、人々が礼拝する時が来ている。神は聖霊なる方でもある。この神の聖霊なる方の御力によってのみ、人は父なる神が、まさに生きて働かれる方であることを信じて、真実をもって礼拝することが出来る。」となります。第七の日は神との「親しい交わり」の時、即ち神が与えた「安息の時」です!それと同時に私たちは、この「安息日」を復活の時、つまり私たちの救い主イエス・キリストを、霊と真をもって礼拝する、週の第一(始まり)の日として、優先的に尊ぶ(第一とする)ことで、素晴らしい神の「祝福の時」が始まるのです。

 

 私たちは現実という、人の描く(望む)「今」を恐れるのではなく、創造主なる神が与えて下さる、神の定めた「今の時」を、贖い主イエス・キリストを通して、既に始まっていることを、純粋に信じて前進して参りましょう!あなた(私)の中に「良き御業」を始められた方、天地万物を創造された主なる神は、必ず天上にある「永遠の祝福」をもって、あなた(私)に必要なもの全てを既に用意し、それらを与えるべく、事(神の今)を進めておられるからです。

 

結論になりますが、「神の今」の完成の時は、新約聖書の末尾(ヨハネ黙示録)に、次の言葉として打ち出されています。最後の章である22章には、イエス・キリストが提示する「神の今」が、繰り返し三回の預言として記されています。①「私はすぐに(soon)来る。」(7節)、②「私はすぐに来る。」(12節)、③「私はすぐに来る。」(20節)覚えて下さい!もう既に、神の定めた「今」は満ちています。花婿なるイエス・キリストと、真の花嫁なるエクレシアとの、素晴らしい婚礼の儀が、新しい天地(御国)において、盛大かつ永遠に開催される、完成式典の時(完成した安息)は目前に来ています。

 

だからこそ聖霊様も、私たちの信仰の叫びと共に、「主イエス・キリストよ、今にも来て下さい!」と、激しく執り成し続けるのです。どうぞあなたが、花婿なるイエス・キリストと共に、神の定めた「今の時」を、日々期待して待ち望み、怠りなく備え待つことの出来る、賢い乙女として前進できますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(202614日のメッセ-ジ)

 

次回は・・・・Terminal Sound(3/17掲載予定)

 

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Terminal Sound(No.24)

K・バルナバ

「ホンモノ」のサウンドが鳴り響く時

 

 

 

その時、人の子(イエス・キリスト)のしるしが天に現れる。そして、その時・・・・人の子が大いなる力と栄光を帯びて、天の雲に乗って来るのを見る。人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。

          【マタイ福音書24章30~31節

 

目覚めよ、我が民よ!

 ご存知のように私たちの日本は、イスラエルから見て「日出(いづ)る国」です。いよいよ「終わりの時」である、「今」この時に、聖霊様は日本人キリスト者に対して、次のように号令を発しています。「目覚めよ、日本のキリスト者たちよ!主イエス・キリストが遂に来たる、その時が近いから。」

 

 大天使ミカエルが、いよいよ最終的なトランペットを吹き鳴らす、「その時」が来つつあります。そのサウンドのサインは只一つ、「集まり来たれ!遂にその時が来た。」です。しかし、その素晴らしいサウンドを、聞くことが出来ない人々が、実は大勢いることを覚えて下さい。何故なら、彼らは「偽りのサウンド」を、熱心に聞いているからです。

 

 だからこそ私たちは、世が発する「偽りのサウンド」に、決して耳を傾けてはなりません!私たちキリスト者は、決して「この世」と妥協せずに、聖書の御言葉から「ホンモノ」を探り求め、そして大胆に語るのです。「偽りの(異なる)サウンド」は、必ず唯一の救い主、イエス・キリストを否定します。あなたが聞いている、そのサウンドは、果たして「ホンモノ」ですか、それとも「ニセモノ」ですか?これが問われる「終わりの時代」に、私たちは生きていること、これを忘れてはなりません。

 

御国のサウンドが鳴り響くと・・・・

 今回の御言葉から示される第一の重要ポイントは、①主なる神が発せられる、その偉大なる御国のサウンドのゴール(終着点)は、如何なる方向に鳴り響いているのか、それを正しく知る(聞く)必要があるという点です。答えから申し上げれば、それは花婿なるイエス・キリストの「来臨の時」です。大天使ミカエルが、最初の号令(トランペット)を発せられる時、それはある面で「最終指令(軍令)」となります。これを受け取った、地上に配置している天使軍団は、共鳴しながら大音響のサウンドを発します。「いざ集まらん!遂に、神の時が満ちたから。」と。

 

 私たちのゴールは、生物学的な「死」ではなく、復活した後に与えられる「新しい体」として、キリストの花嫁という、最高の栄誉ある御国の身分(地位)に、永遠にあずかる(受け継ぐ)ことです。然り!私たちは唯一の花婿、主イエス・キリストとの「親しい交わり」の時に向けて、いよいよ御国に向けて旅立つ時です。

 

 続いて第二の重要ポイントですが、それは②ミカエルが発した「最終指令(軍令)」に、全く耳を傾けない(聞こえない、聞き逃す)人々が大勢存在する!という点です。つまり逆説的に言えば、神のサウンドを聞くことが出来る人は、たとえ少人数であっても、何故それを「ホンモノ」である!と認識できるのか?これが重要な鍵となります。

 

そして、私(ヨハネ)は天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」及び「真実」と呼ばれて・・・・血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれ・・・・この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで撃ち倒すのである。・・・・この方の衣と腿(もも)の辺りには、「王の王」「主の主」という名が記されていた。私はまた、一人の天使が、太陽の中に立っているのを見た。この天使は、大声で叫び、空高く飛んでいる全ての鳥にこう言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。【ヨハネ黙示録19章11~17節

 

 この記事に描写されている、「白い馬」に乗っておられる方が、主イエス・キリストを指すこと、また太陽の中に、堂々と立ち続ける天使が、大天使ミカエルであることを、私たちは瞬時に理解できます。そして恐らく「空高く飛んでいる全ての鳥」が、全世界に配置している天使たちであると想像できます。しかしこの記事の中で、一番に注目すべき点は、「誠実(faithfull)及び「真実(truth)という、イエス・キリストの「称号」です。

 

 ところで「真実(truth)」は、ギリシャ語で「ピスティス」と言いますが、文字通りイエス・キリストの持つ、麗しい聖い「属性(ご性質)」を指しています。当然の如くに、反意語は「偽り(ニセモノ)」を指します。では「誠実(faithfull)」とは、何を意味しているのでしょうか?簡単に言えば「決してぶれることがなく、真実一路の生き方を全うすること」です。

 

 それに対して、十二人の弟子たち(私たち含む)は、現実的な「王の王」を夢見て、イエス・キリストを「この世」に打ち立てようと、様々に肉の努力(業)を重ねましたが、途中で挫折した場合に、すぐに「ぶれる」のです。最終的に彼らは師の元を去り、一目散に逃亡しました。自分の中にある信念が、「ニセモノ」であると分かったからです。

 

 続いてイエス・キリストが乗る、「白い馬」は何を指すのでしょうか?それは汚れが全く無く、常に聖なる麗しい品性を、花婿に注いでおられる、「聖霊様」の働きを指しています。この聖霊様は、今の「終わりの時」に、イエス・キリストに対して、常に傍ら近くにて働かれたのと同様に、真実の花嫁(賢い乙女)を探し求めて、見出した後に「誠実(faithfull)」と、「真実(truth)」をもって、エクレシアを聖く麗しい、真実の花嫁へと整えて下さいます。

 

 今日の如き「汚れた時代」に、私たちが生きている理由は何でしょうか?それは私たちが、聖霊様の絶えざる熱情の働きによって、①(世に)ぶれること無く、②イエス・キリストに対して一途に従い通す、聖い花嫁に仕立てられる為です。その為には、イエス・キリストの「血潮」を常に仰ぎ求め、「しみ」及び「傷」が、一切無き小羊(捧げ物)として、私たちは「聖なる衣」を着続けましょう!

 

 大天使ミカエルの大号令(御国のサウンド)は、一度限りのトランペット・サウンドとなります。どうぞあなたが、この唯一かつ偉大なるサウンドを、決して聞き逃すことがありませんように!そして、真実の花婿なるイエス・キリストの、「来臨(花嫁の出迎え)」の時に向けて、いつ共に出立してもよいように備えて下さい!あなたにも聖霊様が、重要な御国のサウンドをもって臨み、益々聖く麗しい花嫁へと、日々仕立てられて参りますよう、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2025713日のメッセ-ジ)

 

次回は・・・・神の定めた今(3/7掲載)です。

  

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