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平和の祈り・メッセージ

   「戦い」の備えを怠るべからず!




襲いかかる敵がお前に向かって上ってくる。砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ。
                                               【ナホム書2章2節】


差し迫る「平和国家」の崩壊
 今日のテーマである「戦い」とは、現実に起きている様々な「戦争(紛争)」のことではなく、パウロがエペソ書6章において述べる、霊的な「戦い」のことであり、今回は「最終決戦」とも言うべき、終末における最後の「戦い」を指しています。


 長きに渡って聖霊様が、この日本を「平和」国家として、霊的に守り導いて下さっています。日本国の平和の「礎」となるもの、それが日本国憲法ですが、その基本的な三大原則の一つが「平和主義」です。そうです!この日本国憲法があったからこそ、第二次世界大戦後の日本国家は、如何なる戦争にも巻き込まれず、また加担すること無く、今日まで平和を享受できました。


 ところが戦後七十七年を経て、その「平和国家」の基礎が崩れつつあります。恐らく今年から「憲法改正」の流れが一気に加速し、防衛費予算が拡充されることもあり、日本国民の「国防意識」が、例えば日本の更なる軍事(国防)化によって、ようやく平和が達成できる!という、今までとは違った解釈(気運)で推し進められることでしょう。何故なら、隣国に立ちはだかる「巨大な竜」、「白き大熊」、狂ったように舌を吐き出し続ける、「赤い蛇」との戦いを、嫌が応でも日本人は意識せざるを得ないからです。


「敵」は何処に潜むのか?
 実は霊的な「戦い」の領域においても、私たちは常に警戒しておくべきことがあります。それは「真の敵は何処に潜んでいるのか?」という点です。真の「敵」とは、収穫期を迎えた「葡萄園」に、隙を見ては侵入して来る、ずる賢い狐の如きものです。この場合の狐とは、賢い動物の象徴です。侵入する方法を様々に考えて、「盗み」を働くからです。ところで、私たちの「葡萄園」は、霊的に何処にあるのでしょうか?私たちの「霊」の只中にあります。


 この「霊」の只中に、まるで神の「福音」の如き、私たちにとって「益」となる、素晴らしい「考え」、「教え」、「メッセージ」などをもって優しく近付き、「敵」が突然に侵入して来たとしたら、私たちはいとも簡単に騙されます。「北イスラエル」と「南ユダ」の、代々の王たちの歴史(列王記)を見て分かるように、彼らの内の数少ない王たちは、偶像崇拝の流れに組せず、宗教改革を断固として推し進め、初代の王ダビデの遺言通りに、「神の宮」から様々な悪しき習慣、外国の偶像文化を排除するなど、徹底的に聖別しました。


 しかし「神の宮」の高台には、一部だけが必ず残りました。その結果、如何なることが起きたのでしょうか?南北共に敵国に連れ去られ、最終的には霊的な「敗北」を被りました。本来の「神の宮」の高台は、霊的にはイエス・キリストが住まわれる、私たちの「霊」の至聖所です。そうです!私たちの「霊」のフィールドは、イエス・キリストの血潮によって、既に聖くされていますが、世の「汚れ」がすぐにも侵入して来る為、日々聖められなければなりません!


 「平和だ、平和だ!」と人々が言っている時に、御国に引き上げられる者と、そのまま地上に取り残される者、二つの霊的淘汰(選別)が起きますが、その「違い」は何でしょうか?「見るべきもの」を正しく見定め、敵が如何なるフィールドに侵入して来るのかを、常に「寝ずの番」をしながら、最後の「戦い」に備えているか否か?という点です。今は、そのような「終りの時」です。


暴れ始めたサタンとの「戦い」
 今回の御言葉の重要な奥義は、神の「安息(平和)」を巡る「戦い」が、実は聖書の歴史である!ということです。神の「安息(平和)」は、聖なる状態が完全に満ち溢れ、如何なる「恐れ」も「不安」も無きフィールドです。サタンは、この「聖なる状態」を極端に忌み嫌い、そこにおいて被造物が、神の「恵み」を受けながら生きることを、様々に妨害して来ます。イスラエル民族の「歴史」は、私たちキリスト者が生きていく上での、良きにも悪しきにも「雛型」です。


 実はサタンによる、最大の「攻撃の時」が、「今の時」と言っても良いでしょう。サタンは出来る限り、キリストの「聖徒」の数を減らしたいからです。今までの歴史において、サタンの存在と働きは、小さな毒蛇の如きものでした。しかし「今の時」に至って、サタンは激しく唸り声を上げながら、「暴れ竜」の如くに、盛んに「戦い」を繰り広げています。


 「神の子」である聖徒たちが、「小羊の証印」を押された者として、「神の国」の福音を、至る所において宣べ伝え始めたことを、サタンは気付いています。いよいよ大天使ミカエルの、最終「号令」が発せられるや否や、「王の王」であり、大祭司なるイエス・キリストが、最終的な「戦い」の勝利者(救い主)として、サタンの鎌首を打ち叩き、その頭部を粉々に踏み砕く為に、地上に再臨されます!


 さて「敵」は①誰を攻撃し、②どのように敗北させるべく、③様々に戦術を立てて、④戦いを仕掛けて来るのか?を、私たちは常に意識する必要があります。サタンが攻撃する者とは、先ず「あなた(私)」です。何故なら「あなた(私)」が、イエス・キリストに忠実だからです。イエス・キリストを捨てることも無い程に、イエス・キリストの真実の「愛」に、完全に捕われているからです。そうです!サタンは聖徒たちを、完全な敗北者に仕立てたいのです。


 彼が目論む「敗北」とは、「あなた(私)」のイエス・キリストに対する信仰を、粉々に打ち砕くことです。つまり「あなた(私)」自身の中にある、霊的な至聖所(高台)を完全に破壊することで、バビロンの偶像(反キリスト)を再び据えること、これがサタンの戦術です。ですから「戦い」は、いよいよ最終段階に至っています。サタンは「ホンモノ」、即ち賢い乙女(キリストの花嫁)に対して、牙を剝いて攻撃してきます。


 その一例が文科省によって、いずれ始まる「宗教」の一元(管理)化です。国家に届け出の無い宗教団体は、如何なる宗教活動も認可されず、むしろ反社会的団体として、様々な制限を強いられ、警察組織から常時監視される立場になります。まさしく今の隣国(C国)と同様に、キリスト教も国家の管理下に貶められる可能性があります。それによって「ホンモノ」をあぶり出すこと、これがサタンの戦略です。


三つの「備え」を怠るな! 
 私たちが備えるべきことは、第一に①各「砦」を守る(強固に築く)ことです。「砦」の役目は、勿論「敵」の動きを、高い位置から監視したり、「敵」の侵入に対して防御すべく、武器をもって攻撃することです。しかし、一番に忘れてならない「砦」の役目は、「砦」どうしが情報(敵の動き)確認のため、「狼煙」をもって素早く伝達することです。そうすることで、各地に駐屯する「戦力部隊」に、素早く情報が伝わり、迅速な出撃体制が整う訳です。


 「砦」を守るとは霊的に、聖霊様の「警告」の発信を、自分の「霊」の只中に、迅速に受け留めるべく、常に聖い状態を保つことです。しかしある時は、「自分は大丈夫!」などと、霊的に油断したり、別の面で驕り高ぶっていると、瞬く間にサタンが「偶像」を持ち込み、私たちの「霊」の至聖所が、汚されることになります。


 第二の備えは、②「道」を見張ることです。ご存じのように「道」の役割は、多くの物資を運搬したり、人や車等が行き交う交通手段の一つです。霊的には「唯一の道」である、イエス・キリストのことです。この「唯一の道」を、私たちキリスト者は、いつも歩み続けるべきところを、サタンは「別の道」を提示してきます。サタンは霊的戦いにおいて、常に「肉」の思いに働きかけながら、私たちが最終的に「肉の砦」を完成させるべく、様々に「別の道」を用意します。


 仮に私たちが「別の道」を、仕方無く歩んだとします。何も起こりませんが、そのまま歩み続けますと、最終的に行き着く先(ゴール)が違ってきます。聖霊様が望むゴールは、私たちの「霊」の至聖所に、イエス・キリスト以外のものを、一切入れて(据えて)はならないことです。イエス・キリスト以外のものは、全て「汚れ」です。神は聖なる方であられるが故に、私たちも「聖なる乙女」を目指すべきであり、神は一切の「汚れ」を容認しません。


 最後の備えである、第三の備えは③腰の帯を締め、力を尽くすことです。これは直訳するならば「戦いに臨むべく、神の武具(エペソ書6章)を取り、臨戦体制に入る」ことです。日本民族の「救い」の為に、聖霊様の「油注ぎ」を激しく受けながら、霊的に覚醒した「ホンモノ」のキリスト者が、いよいよ最後の「戦い」に出陣する時が、まさに「今の時」です!イエス・キリスト同様に、自分の「命」を懸けて、「死」を恐れずに戦う神の「兵士」が、日本から世界中に出て行くのです。


 「敵」の首領サタンが、いよいよ総攻撃をもって、多くのキリスト者の「信仰」を粉砕する、そんな緊迫した時代に突入しています。しかし、今回の聖書の「預言」が示すように、私たちが怠りなく、三つの「備え」を為すことで、私たちは必ず「勝利」します。そうです!最後の「戦い」のゴールは、イエス・キリストの「勝利」で終わるからです。私たちは、聖霊様が与えて下さる、霊的な武具を身に着け、聖霊様の「聖なる油」をもって祈り続けましょう!


 私たちの「霊」の高台に、もし「別のもの(道)」を据えているのであれば、それをことごとく破壊して葬り去り、すぐに聖めて戴きましょう。イエス・キリストの十字架の「血潮」のみが、全ての「汚れ」を聖めて下さいます。イエス・キリストが、私たちの「信仰」の歩みの、前(先)を行かれる限り、勝利の「御旗」のみを掲げながら、力強く行軍できる聖徒として、あなたが更に召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年8月14日のメッセ-ジ)


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