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信仰の完成(No.14)

                     神に対するクレジット




 アルタクセルクセス王の第20年に、私はユダの地の長官に任命されたが、その任から第32年までの12年間、私も兄弟たちも長官の給与を一度も受け取らなかった。私の前任者は民に重荷を負わせ、・・・・彼らの配下の者も民を圧迫した。しかし、私は神を畏れ、そのようなことを決して行わなかった。私はこの城壁の工事に力を注ぎ、・・・・配下の者も皆、工事のためにここに集まっていた。ユダの人々と役人を含めて百五十人、それに周りの国々から来た人々も、私の食卓に着いた。・・・・だが、このためにも長官の手当を要求しなかった。再建作業がこの民にとって重荷となっていたからである。神よ、私がこの民に尽くした全ての事を快く心に留めて下さい。
                                                                                               【ネヘミヤ記5章14節~19節】


12年間の「高給」職
 ネヘミヤ記5章14節で、ネヘミヤがペルシャ帝国の「総督(長官)」として、12年の長きに渡って任に当たっていることを、明記しています。実際にエルサレム城壁の再建に関しては、一年余りで完成する訳ですが、その後に町の防備を図るべく、様々に指導者(責任者)として、事に当たりました。


 その「12年間」という在位期間は、見方によっては非常に短くもありますが、高給職が12年間付与される特権でもあります。しかし彼は、その「12年間」に渡って、ペルシャ総督の「給与(手当)」を、一切受け取らなかった、つまり任地の州の税収からの総督手当(給与分)を、全面的に拒否しているのです。


 では、その総督手当(給与)分は、一体何に使われていたのでしょうか?仮に一年間の総督手当を、約二千万円として計算しますと、12年間の総計は約1.2億円となります。しかし彼は、この億単位の所得を、全く一族の生活費に充てていません。


 ネヘミヤは、自分が赴任する前の総督たちのことを、如実に記録しています。彼ら(前任者たち)は確かに、悪しき事(ペルシャ帝国法に違反すること)をしていません。ただ問題なのは、彼らの全てが民の現状を知りながら、好き勝手(手続き通り)に重い徴税を、民に科していることです。


 不思議なことですが、人という生き物は、多く所有している(富める)から、他人を助けることが出来る訳ではない!という点です。むしろ貧しい暮らしにある人々の方が、共に助け合う生き方をします。


神に対する「クレジット」
 そういう意味で、ネヘミヤの場合は「金銭」に対して、非常に無欲であった、つまり別の次元から神に対する、確固とした信頼(クレジット)があったものと推測できます。ところで「クレジット」とは、①称賛に値すること(行為)、②信用(信頼)すること、③信用を基にした貸し借りのことです。


 ではネヘミヤ自身は、主なる神に対して、如何なる「クレジット」を要求したのでしょうか?実際には、彼は多くの「権力」や「財力」を持つ身分です。にも関わらず彼は、何故それを行使しなかったのでしょうか?それは「現実」が、物凄い大変な状況下にあり、民が苦しみに喘いでいることを、赴任する前から祈りの中で、十分に知らさせていたからです。ですから彼は、自分の受けるべき当然の総督手当を、全て工事に携わる人々の食糧に当てた訳です。


 具体的には、全ての作業員が栄養を付けられるよう、毎日牛一頭分の肉、そして特上の羊肉、野菜及び穀物類を用意しました。また月に三回、特上のワインを振る舞いました。そのため全ての工事従事員、並びに警備要員が、安心して自分の作業に全力を注ぐなど、ネヘミヤの為した今回の、無謀とも思える措置は、良い意味で逆効果を発揮したのです。


 19節には、ネヘミヤが為した「祈り」が記されています。「我が神よ、私が民のために為してきた全てのクレジットを思い起こして下さい!(直訳)」と。ネヘミヤが祈りの中で言う「クレジット」とは、まさしく家計簿の言葉です。即ち自分が民のために支出した、総計約1.2億円もの出費のことです。だからと言ってこの「クレジット」は、それに相当する神からの「見返り(祝福)」を、要求している表現ではありません。


 彼は単に、その「クレジット」を、絶対に忘れないで下さい!と願い出ているだけです。むしろ彼は、自分の民に対して為したことが、実は神に対する「信仰」表明であることを、祈りの中で訴えていると言えます。ネヘミヤ記に見られる、ネヘミヤの一連の行動(行政手腕)を見ますと、一つの大きな信仰の流れが確認できます。それは、彼にとって「何」が大事であったか?という点です。


 私たちの大事なものリストを挙げるとしたら、恐らく沢山あるでしょう。そのリストを基にして、様々に貯金するなどして、支出を抑えようとします。しかしネヘミヤの場合は、神に対して信仰的な「投資」をしています。ネヘミヤは主なる神が、「無」から万物を創造したのであれば、たとえ現実が敵に囲まれていても、いずれは神の聖別された土地として、神が拡大して下さる!それ故に自分は財を投げ打ってでも、今の時に投資することが最良の策である!と信じていたのです。


信仰の投資をしましょう!
 覚えて戴きたいことは、目に見えるものに頼る者は、必ずその目に見えるものに心が奪われ、いずれは支配されることになります。しかし、目に見えざる神の霊の次元の中に、私たちが信仰を働かせて、神に「信仰」を投資していく時、それは私たちを全ての面で自由にし、神の偉大なる「ご計画」に対して、瞬時に従うことの出来る直ぐなる器へと、私たちは変えられてゆくのです。


 もしかしたら私たちは、今「天国銀行」に投資しているのかも知れません。いずれ来るであろう「大艱難」の時に、一番必要となるクレジット、それが「天国銀行」ではないでしょうか!そういう意味で、私たちの霊的飢え渇きの次元が、より聖められて参りますように。神の御座から豊かに流れ出る、「命の水」を求めて止まない心、かすかに聞こえる神の「御声」が、もっと豊かに聞くことの出来る霊の耳、神の御心に更に近づき、触れることの出来る霊の手など、それらのものが神の「命の言葉」によって、更に聖霊様を通して整えられて参りますように。


 ネヘミヤの数々の行政手腕は、霊的には聖霊様の人知を超えた、働き(取扱い)を表しています。聖霊様は無代価で、私たちのために食事を整えて下さる方です。ですから私たちは、更にイエス・キリストの御元に行き、「命の水」と「命のパン」を、存分に食して参りましょう!大艱難の時には、多くの民たちが霊的食糧を求めて、神の宮(エクレシア)に群がって来ることになります。


 「その時」に、あなたは彼らに断言するのです。「私たちには金銀は無いが、命の水と命のパンを与えて下さる、イエス・キリストにある信仰を、豊かに差し上げましょう。」と。あなたが、イエス・キリストの豊かな配膳係として、益々練り聖められますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!
 

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