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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.13)

                    金銀は我にない信仰

 
民とその妻たちから、同胞のユダの人々に対して大きな訴えの叫びが上がった。・・・・この嘆きと訴えを聞いて、私は大いに憤りを覚え、・・・・貴族と役人をこう非難した。「あなたたちは同胞に重荷を負わせているではないか。」・・・・彼らは黙りこみ、何も言えなかった。私は言った。「・・・・私も、私の兄弟も部下も金や穀物を貸している。私はその負債を帳消しにする。あなたたちも今日、あなたたちに負債のある者に返しなさい。」・・・・私はまた・・・・「この約束を守らない者は誰でも、このように神によってその家と財産から離され、・・・・無一文となるように。」会衆は皆で、「ア-メン」と答え、神を賛美した。民はその言葉通りに行った。
                                                                                                 【ネヘミヤ記5章1節~13節】


民の「窮状」の訴え
 今回の題目にある「金銀は我にない」とは、「お金を持っていない」という意味ではなく、「金銀は自分には必要ない(頼みとしない)」ということです。さて「金銀(お金)は何のためにあるのでしょうか?」


 ネヘミヤは、一人の重要な行政官(指導者)でした。この指導者に対して、当然のことながら民の中から、様々な「苦情」の訴えが出ました。苦情を訴え出たのは、以前よりこの地に住んでいた貧しい農民たちでした。彼らはトビヤたちから様々に搾取され、言わば奴隷の如き境遇にありましたから、ネヘミヤの一行が帰還した際には、いよいよ自分たちが不遇な状態から、直ちに解放される!と期待しました。


 ところが如何せん、現状は依然として変わらず、悪しき者(同胞の一部貴族)が不正を企み、彼らを搾取し続けたのです。貴族と役人たちは巧みに法律を語り、重税を不当に課した訳です。仮に支払えない場合には、その家族から子供を奪い、人身売買することで容赦するなど、あってはならない方法で、同胞の民を苦しめたのです。


 主なる神は、実に不思議な方法をもって、ご自身の計画を果たされます。その際、神の宮の再建にしても、国家の復興においても、必ず「産みの苦しみ」という、一つのプロセスを用意します。その際覚えて戴きたいことは、日本の置かれている「現実」と日本民族の立ち位置を、私たち日本人キリスト者は、霊の眼で正しく見る必要があるという点です。何故ならば、毎年税金ばかりが増える中にあっても、日本人が依然として、「金銀」を頼みとする状況にあるからです。


 そうです!「現実」は国家的搾取が進む中、「金銀」をめぐって競い合う、それが日本人の置かれた立ち位置です。しかし私たち日本人キリスト者は、マモン(金権主義)という名の偶像神に仕えているのではなく、真の神に仕える、忠実なキリストの下僕です!確かに私たちも、高い税を支払って悲鳴を上げる時があります。にも関わらず、私たちには希望があります!それは「金銀が無くとも、我は主のみに仕える!」という、崇高な信仰で生きているからです。


 つまり「金銀」にではなく、真の主に祝福の源(拠り所)を置く、これが私たち日本人キリスト者の、毅然とした立ち位置です。「お金」は使えば、当然減ります(いずれ無くなります)。しかし「キリスト」という永遠の代価は、使えば使うほど、惜しみなく上(天)より注がれる、命の水に等しいものです。即ち「イエス・キリスト」の御名こそが、全てに優る「祝福の源」です!


 ですから、あなたが所持している霊的財布は、「この世」には決して存在することの無い、凄く価値あるものです。覚えて戴きたいことは、ネヘミヤ同様に、私たち日本人キリスト者は、国家の霊的再建のために、この国に遣わされているのです。それ故、この国に住む同胞たちの「苦しみ(窮状)」の訴えに、耳を研ぎ澄ませて聞く必要があります。


 私たちは確かに、彼らを援助する程の財力を持ち併せていません。しかし私たちには、明確にあるものを持っている!と、窮状を訴える彼らに対して断言できます。それは永遠に尽きることの無い、「イエス・キリスト」という名の「贖いの代価」です!私たちは、この「贖いの代価」をもって、彼らに「救い」を提供するのです。


全ての負債を帳消しにする特赦
 ネヘミヤは、窮状にあえぐ同胞の訴えを聞いて、事の成り立ちを理解し、激しく憤りました。そして、早急に搾取側の貴族と役人を招集し、自らが行政官(公務に携わる者)として、知恵ある行政措置命令を発しました。「私の一族もあなた方同様、ある者を助けるべくお金を貸してきた。しかし私は、その貸した金の全額を帳消し(返債免除)にする。その者から一切利子も取らないし、彼らに対する経済的負債を免除し、今後彼らを経済的に自由にする!」と。


 それを聞いた貴族と役人は、当然慌てふためきましたが、行政の長(トップ)自らが模範を示す訳ですから、次々とネヘミヤ同様の行動を為します。さて、あなたは「借金」に関して、如何なるイメージを持っていますか?「借金」は、確かに人を縛るものです。しかし神の「恵み」によって生きる者は、たとえ「借金」があっても、それを神の「御心」に委ね、「私には金銀の計画(返済、貯金等)が必要ありません。イエス・キリストという、永遠の代価さえあれば大丈夫です!」と告白することで、自由に生きるのです。


 仮にあなたの心の中に、例えば「主日(安息日)」を守ることが、自分の仕事の足枷になる、つまり日曜日に仕事をせざるを得ない場合、「神様!仕方ないでしょ。もし私が(日曜日に出勤することを)拒否したら、クビになりますから。」と言いながら、日曜日に稼いだ給与分を懐に入れること、これは貴族たちの「搾取」と、霊的には何ら変わりありません。


 その場合あなたは、素直に神の御前で次のように祈り、日曜日に稼いだ給与分を、祭壇上に捧げる必要があります(自分のものとしない)。「主よ、私の弱さを、主イエス・キリストの血潮で赦して下さい!私が主日に礼拝を捧げることが出来るよう、今の状態を作り変えて下さることを信じます。これは私の罪の負債として、あなたにお返しします。」そうすることで、あなたは「金銀」の奴隷ではなく、イエス・キリストの自由人として解放されます。


 主なる神の「贖いの代価」は、私たちの「罪」の全てを、完全に帳消しにします。ネヘミヤの行った、知恵ある行政手腕により、如何なる人身売買も、また様々な経済的搾取が、その後一切無くなりました。ご存知のようにネヘミヤは、ペルシャ帝国の「一総督」として、高額な帝国給与を得る身分でした。しかし彼は、この後一切の給与を受け取らず、黙々とイスラエルの民と同様の生活を共にします。


 何故彼は、この大胆な(無謀とも言える)信仰行動に、躊躇なく踏み切ることが出来たのでしょうか?彼は「金銀は我に必要無し!」という信念のもと、神の御業に全てを委ねる!という覚悟で、自分の仕事に専念したからです。「私が必要とするものは、主なる神が必ず満たして下さる!」、これが私たちの、日々の祈りと為すべき信仰表明です。


 何度も繰り返しますが、「金銀」に望みを置く者は、必ず「マモン」に縛られます。しかし、私たちの信仰の望みは唯一つ、尽きることの無い「贖いの代価」、イエス・キリストです!今後あなたが、イエス・キリストの御名により、主なる神の豊かな「保証」を受け取り、「贖いの代価」を無尽蔵に引き出して下さる、聖霊様に依り頼みながら、この世で窮状にあえぐ人々を、イエス・キリストの御名で、次々と解放することの出来る、霊的手腕が与えられることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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