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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.10)

                        座して戦うべし!



サンバラトは、・・・・ユダの人々を嘲笑い・・・・言った。「この哀れなユダの者どもに、何ができるのか。・・・・一日で仕上げようとでもいうのか。灰の山から焼け石を拾い出し、生かして使おうとでもいうのか。」アンモン人のトビヤは側から言った。「できたとしても、そんな石垣など、狐が登るだけで崩れてしまうだろう。」私たちの神よ、お聞き下さい。このように辱めを受けているのです。・・・・その悪を赦さず、その罪を御前から消し去らないで下さい。彼らは再建に励む者を嘲笑っています。私たちは城壁の再建を始め、その全長に渡って高さの半分まで築いた。民には働く意欲があった。
                                                                                               【ネヘミヤ記3章33節~38節】


「嘲笑(あざけり)」という武器
 ご存知のように、人類の歴史は今日に至るまで、アダム(エバ)の犯した「罪」が故に、一日と言えども「平和」な日が無い、つまり毎日が「争い」の連続です。「争い」の時には必ず、私たちは手(或いは口)に、何らかの「武器(屁理屈)」を持ち、相対する者(敵)に「負けたくない!」などの、「肉の行動(戦い)」に駆られます。


 今回の記事には、神の「招集」を受けたネヘミヤたちが、遂に城壁の再建に立ち上がり、事は一気に進んだ矢崎に、「敵」が怒りの矛先を向けて、様々に妨害活動を始める、そんな出来事が描かれています。そこで私たちは、今回登場する「敵」の武器、つまり「嘲笑(あざけり)」の内容を正しく知り、正しい行動を採る必要があります。


 「敵」の主要なメンバ-は、サンバラト、トビヤ、ゲシェムの三派でした。彼らの中でサンバラトが一番の最大勢力で、彼はヨルダン川西岸のサマリヤ総督として、幅を利かせていました。次にトビヤは、当時ヨルダン川東岸を支配していた、アンモン人の名門の貴族(豪族)の出でした。最後にゲシェムは、北アラビヤ地方(シナイ半島を含むエルサレム以南地域)という、広大な領域を支配していた王でした。


 上記から分かることですが、神の都「エルサレム」が、三つの「敵」に囲まれながら、物理的にも精神的にも食いつかれている、まさしく蹂躙されてきた!と言えます。無法地帯と言える、この「エルサレム」に赴任し、神の再建プロジエクトに立ち上がったのが、ネヘミヤ及び随行員(派遣軍も含む)でした。


 この動きに対して、すぐに怒りを露わにしたのがサンバラトで、彼はサマリヤ軍を招集して、エルサレムを包囲しました。そして彼は、高らかに「嘲笑」と「挑発」の言葉をもって、工事に携わる人々を脅したのです。「お前たちは誰の許可を得て、こんなことをしているのか!お前たちに一体、何ができると言うのか?謀反でも企てようとでも言うのか!」などと。


 ご存知のように、「敵(サタン)」の策略と脅しは、いつもパタ-ンが同じです。つまり「嘲笑」の言葉をもって、私たちを怒らせるように仕向けます。それは必ず、「肉」の戦いに、私たちを誘うためです。さて私たちも、このような「嘲笑」を、例えばイエス・キリストを信じたが故に、今まで多く受けてきました。


座して戦うべし!
 「その時」に、私たちは如何なる行動を採るべきでしょうか?先ず信仰者は、今回のネヘミヤたちの如くに、「敵」の言葉を無視することに徹します。「彼らは、いずれ自分の蒔いた種を刈り取る(掘った穴に落ちる)。それ故に、事を全て神に委ねよう!私たち自らが、決して動いてはならぬ!いつも通りに手を休めること無く、このプロジェクトを完成させよう!私は更に神に祈り続けて、あなた方を後方から支えるから・・・・」と。


 私たちは、理由なき霊的攻撃(そしり、中傷、迫害等)を受けた場合、大抵が神に対して「復讐(報復)して下さい!」と訴えがちですが、今回のネヘミヤの取った行動は、私たちに励まし(正しい指針)を与えます。つまりその時には、「座して戦う(祈る)!」ことです。だからと言って、その「祈り」の内容が、例えば「主よ、あなたの御心のままに!」というような、綺麗言葉で祈るのではなく、本音を吐き捨てる程の言葉、例えば「主よ、私はあなたの息子(娘)です!あなたの子が、嘲られたままでよいのですか?あなたの早急な解決を望みます!」と叫んでも構いません。


 ネヘミヤはこの時、聖霊様より励ましを戴きました。「ネヘミヤよ、心配してはならない。あなた方に、上よりの力を注いだのは、この私ではないか!あなたの熱心な演説や、指導的能力などによって、今まで事が進んだのではないはずだ。あなたは唯、私が示す言葉のみを、正しく語りなさい。神ご自身が全てである。神に対してのみ栄光を帰すために、あなた方は召されているのです。彼らは、ただの虫けらに過ぎない!」と。


 敵の「嘲笑」を無視した結果、工事に携わる人々の「意欲(熱心)」が故に、再建の作業が一時足りと言えども、中断することがありませんでした。そして何とネヘミヤは、この緊縛した状態が続く中にあっても、堂々と座して祈り続けました。そんな最中、ペルシャ派遣軍の長(将軍)が、ネヘミヤに上申しました。「総督閣下、これは余りにも愚弄され過ぎです。何なら私どもが、腕試しに少し暴れても宜しいですか?兵たちの士気を上げるため、実戦と行きたいところです。」と。するとネヘミヤは、「将軍の皆様方よ、心配には及びません。私たちの信じる神は、言われたことを必ず成就される方です。皆様方はどうか、いつも通りに交代で、各持ち場にて(敵の侵入を)監視(警備)して下さい。」と、丁寧に答えました。


 三次元的事実として実際の戦闘(衝突)は、全く起こりませんでしたが、見えない霊の次元においては、サタンと悪霊たちに率いられる三派連合と、座して祈るネヘミヤと祭司たちとの間に、火花が散っていたことが想像できます。


リバイバルの原点
 さて私たちは、今まで「リバイバル」の概念を、ひたすら進軍(成長)!或いは敵の領土を奪還するなどの、戦いのイメージで捉えていました。しかしリバイバルの原点は、「艱難」や「迫害」などの、もはや耐えられない状況に至った時に、聖徒たちが主なる神の「御心」を求めて、一致して祈り始めるところから生まれます。そうです!霊的戦いの基本は、あくまで「座して祈る!」ことです。


 それ故私たちは、「敵」に悟られぬ(見えざる)霊的武器、即ち「霊の言葉」をもって、危機迫る時代だからこそ、神に訴え出ようではありませんか!「主よ、私たちの日本は、このままでよいのでしょうか?私たちは敵から辱めを受けております!もうそろそろ、万軍の主、至高者として、あなた様が登場しても良い頃です。どうぞ今、あなたの御体(エクレシア)を再建して下さい!」と。


 あなたの霊的戦いの上に、益々主なる神が上よりの力をもって臨み、聖霊様が共に進軍して下さいますように。そしてあなたが、主イエス・キリストの先兵として、神の栄光を次々と勝ち取るべく、常に座して祈る者でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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