バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.9)

                神の時に迅速に従った人々




大祭司エルヤシブは、仲間の祭司と共に子羊の門の建築に取りかかり、それを奉献し、扉を付けた。・・・・その傍らにはエリコの住民が・・・・テコアの人々が補強に当たった。しかし、その貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとしなかった。・・・・城壁の突端の階上から羊の門までの間は、鋳物師と商人が補強した。
                                                                                                 【ネヘミヤ記3章1節~30節】


神の命じる「今!」とは?
 いよいよ、「神の時」が始まる「その時」に当たり、私たちが例えば「ちよっと待って下さい!今から準備しますから・・・・」などと応じるのであれば、それは神の「御心」に従う者の姿勢とは言えません。


 神が「今!」と命じられたら、迅速に(直ちに)行動すること、これが重要です。「迅速に」とは、文字通り行動等の俊敏さを意味します。とかく私たちは、「1分は60秒」、「1時間は60分」などと、「人の時」を測って「未だ(残りが)十分にある!」と、すぐには行動しません。


 しかし神にとって「時」とは、アルファでありオメガなる霊的概念、つまり私たちが考える「区切り」が無い次元の中にあります。ですから「今!」と言われたら、それが「完成」へと至る、神の業が進行している訳ですから、その「神の時」に乗り遅れること自体が、神に対する不従順の姿勢を意味します。


 そういう意味で、神が「今、Go!」と命じられたら、私たちは直ちにスタートして前進あるのみ!という、迅速な信仰行動が要求されるのです。神の道に入らなければ、祝福に至る門は閉じられたままです。主なる神が、ソドムとゴモラの滅亡を預言された時、アブラハムは暫く祈って執り成す等、最後まで神の「救いの時」を待ちましたが、神が「もはや如何せん!時は今・・・・」と命じられた際、彼は迅速にロト及び彼の家族を、滅びの時より脱出させました。


神の工事に携わった人の「名」
 今回のストーリーには、大祭司エリヤシブが真っ先に登場していますが、彼が「神の時」に従ったから、イスラエルの民も動き始めた訳ではありません。実はネヘミヤは、今回の行動に移る前(数か月間)、聖霊様との綿密な会議(祈りの交わり)を通じて、次のように指示されていました。「あなたが(あれこれと)悩む必要は無い!主なる神が事を始められた以上、それは必ず完成に至る!とにかく私が、Go!と命じる時までに、あなたは各リーダーを選出して、私にその名簿を提示しなさい。」と。


 そこでネヘミヤは、自分が「この者こそは!」と思う(期待する)人物を挙げる訳ですが、聖霊様は「いや!この者ではなく、○○を水の門に△△を糞の門に・・・・」と修正します。その修正協議の後に、エリヤシブが登場したに過ぎません。


 イスラエルの民の全てが、「神の時」に迅速に従った結果、遂に神の「ご計画」の全てが始まりました。何と今回の記録には、城壁の補強に携わった者全ての名前(名簿)が、明確(正確)に記されています。と言うことは、ネヘミヤが聖霊様の指示通りに、必要な人材を事前に選出し、指名された各自が命じられた工事現場で、迅速に補強工事を開始したことが伺えます。


 ところで私たちの「名前」は、神の救いを受けた時から、天に記されている訳ですが、それと同様に全ての神の「働き手」の名が、その働きの大小を問わず、正確にネヘミヤ記に記されている、これは驚くべき神の「ご計画」の恵みです。しかし5節から分かることは、何の「手伝い(働き)」もしない貴族たちは、名前すら記述されていません。


 何故彼ら(工事に携わる人々)が、貴族たちと違って黙々と作業を続けることが出来たのか?それは神の都(エルサレムの城壁)を再建しなければ、いつ敵が夜陰に紛れて襲来し、再び破壊の限りを尽くすか等、工事に命を懸けて携わる、そんな名も無き勇者たちが集まったのです。そして昼夜を交代しながら、補強工事を迅速に進めた結果、何と今の工期からは、とても考えられない程の短期間、つまり「52日間」で城壁が完成されるのです。


イエス・キリストの「御体」の一部として
 今回の記事を、今の私たちキリスト者が携わる、神の「働き」に当てはめて考えますと、パウロが明言するように、私たちは自分を見る限り、何となく役に立たない「欠けた器(壊れた建材)」の如き者です。しかし、その欠けたパ-ツが組み合わされて、イエス・キリストの名のもとに一つとなることで、部分的なものが補強され、互いに強められて、麗しい神の「御体(エクレシア)」が、全体として完成されるのです。


 そうです!だからこそ、私たちは互いに仕え合い、互いをキリストの名により高め合うこと、霊的に互いの「和(関係)」を尊ぶことが重要です。城壁の「修復(補強)」という作業は、今の私たちの霊的務めとして例えるなら、イエス・キリストにあって、互いの「徳」を建て上げることです。それは弟子ヨハネの、黙々と陰で支える「働き」の如くに、霊的な破れを繕う地味な(目立たない)作業です。


 「リバイバル」という言葉には、華々しい(目立つ)神の偉大な働きをイメ-ジしがちですが、実際にリバイバルが起きた時には、人から「目立つ」とか「尊敬される」働き等、そんな余裕は無くなります。誰かが補強し合って、交代で任に当たらなければ、24時間のリバイバルには対応できないからです。


 これから起きる、使徒行伝時代に起きたリバイバル以上の、素晴らしい聖霊の大傾注が為される時には、まさしく「私たちが救われるためには、どうしたら宜しいのですか?」と、数え切れない大勢の人々が集まって来ます。「その時」あなた(私たち)は、どう(意図的に)行動すべきか?否!私たちの意図を無視する形で、聖霊様が自然に促される時、私たちは互いに補強し(仕え)合うよう、自然に聖められながら任を全うできるのです。


 ですから、主なる神が「今!」と命じられたら、私たちは「はい!しもべは直ちに為す(事に移る)、その備えが出来ております。何なりとお命じ下さい!」と、何も考えずに即答しましょう!覚えて戴きたいことは、イエス・キリストの名のみが、全てに優って高め(崇め)られるために、私たちは今の時代に生かされているのです!


 私たちの住む、この日本の「リバイバル記」が、いずれ天国で披露される時、「あれ?あの有名な先生の名前(ご高名)ではなく、無名な人々の名が数多く、正確に発表されている!」ことになります。すると全ての聖徒たちが、一斉に立ち上がり大喝采が起きます。何故なら「あ-、主なる神は(影で働く)私のことを、ちゃんと覚えて下さっていた!イエス・キリストの偉大なる、その尊い御名こそが崇むべき名である!」と、真実の「御国(天上)の礼拝」につながるからです。


 あなたが「神の時」を、ネヘミヤの如くに常に待ち望み、そして「その時」に、瞬時(迅速)に行動することの出来る、キリストの「兵士(精鋭部隊)」、そして「職人(匠)」でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する