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正しい生き方(No.7)

               アブラハムの求めた安住の地




アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレ樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。
                                                                                       【創世記13章18節】


ロトとの分離
 ご存知のように、アブラムの人生には必ず、甥のロトがコバンザメの如くに付いて参ります。神との最初の出会いの場「シケム」、続いて神の家となる「ベテル」、いずれもロトは叔父アブラムに従ってきました。しかしマムレの時には、ロトの一族は別のフィ-ルドに住み着きました。


 今回の記事から、私たちが学ぶべき第一のポイントは、この「ロト(彼の一族も含む)」という存在です。アブラハム一族とロト一族は、主導権を巡って常に「争い」がありました。親族(血族)というものは、敵を前にしては「団結力」があるのですが、利益を巡る主導権に関しては、必ずエゴをむき出す程に主張して争います。


 そのような「争い」の中で、遂に族長であるアブラハムは、ロトに対して提案します。「もう、ここらで別の道を行こうではないか!(行きたいところがあれば)お前が先に決めなさい!」と。するとロトは、一瞬寂しそうな顔をしましたが、内心「しめた!」と思いました。何故なら、ロトが求めていた繁栄の地、即ちソドムとゴモラが、目前に迫る程の距離に彼らが居たからです。


 仮にあなたが、そろそろ老齢期を迎え、老後の「暮らし(住まい)」を求めるとしたら、如何なる理想を描きますか?また如何なる環境を望みますか?この世の人々は、大抵次のように言うことでしょう。「年金も保険金も十分に頂戴し、孫たちに囲まれるなど、何から何まで心配することが無い生活と、安心して暮らせる環境があれば・・・・」と。しかし、アブラハムの場合は驚くべきことに、「安心」と「快適」とはつゆ懸け離れた、「不毛の地(荒涼とした砂漠)」を選択しました。


 さてロトとの分離は、私たちに何を教え示しているのでしょうか?ご存知のようにロトは、アブラハムにとって血縁です。しかし主なる神は、あえてこの「肉(血縁)の関係」を断つべく、霊的にアブラハムを分離(聖別)したのです。これが第一の奥義です。


 第二に、ロト一族との度重なる「肉の争い」を断つべく、アブラハムが選んだ戦術は、肉に「負ける」ふりを装って、霊的には「勝利」の道を選択したことです。第三にロトとの分離から分かることですが、アブラハムが求めていた次元が、見えざる神の「安住の地」である故、あえてロト(見える次元を求める者)と分離することで、彼と逆の地に行けば、必ず自分が求めるものを見出すという、信仰の行動を為したことです。


安住の地マムレ
 ロトとは違った「不毛の地」を選び、神の「言葉」に従って、行き巡り探し続けた結果、彼は「ある時」樫の巨木が生える地(マムレ)に辿り着き、そこを「安住の地」として聖別しました。彼は当初、そこを「安住の地」とは思いませんでした。


 しかし長旅の疲れを癒し、荒地をさらに不毛化にする程の、太陽の熱波を避けるべく入った木陰、それがマムレの樫の木だったのです。彼は一時の休息を、マムレの地で得た結果、まさしく神が自分たちを安住の地へと導き、力ある御業を現したい!と望んでいる、そのことを確信したのです。


 何故彼は、マムレの地を「安住の地」として聖別し、そこに祭壇を築いたのでしょうか?マムレとは、「力強い」という意味です。この力強さを意味する地において、主なる神の「御力」を感じ取り、そこにおいて神の「安息の場」を見い出した結果、彼はシケムからベテルに続く、第三の聖地として祭壇を築きました。


 私たちが求める「安心」や「保障」、そして「豊かさ(繁栄)」などは、所詮目に見えるものであり、一時(限定)的なものです。しかし主なる神の為される次元は、全てが時に適って麗しいものであるが故に、私たちが望んでいるものは、目に見える次元を更に優ったもの、即ち天的な神から来る祝福です。


 更に優ったものがある!と信じた者は、必ず目に見える事実には留まりません。更なる渇きにより本当(真)の「安息」、そして本物の神ご自身を求めて、一歩先を前進するよう導いて下さる、助け主なる方聖霊様が、私たちの踏み行くフィ-ルドを、着実に地固めして下さるからです。


 そういう意味で、私たちはアブラハムの如くに、見えざる次元の中にある(用意されている)、神のフィ-ルドを前進しましょう!ロトの選択した、安易なフィ-ルド(世的な次元)に、決して足を踏み入れてはなりません。


 神ご自身がマムレにおいても、豊かに住んでいて下さると、信仰で感じ取ったアブラハムは、マムレに祭壇を築くことで、如何に主なる神が自分のことを、決して忘れてはいなく、命の言葉をもって約束(契約)を、忠実に果たして下さることを、感謝の生贄をもって表明したのです。


 この後主なる神は、未熟なアブラムを通して、このマムレの地から霊的な「神の宮」の建築家、即ち信仰者(アブラハム)を育成することになります。途中アブラハムは、再び「世(エジプト)」を頼ることもありましたが、三人の神の使いを通して、妻(サラ)と共に霊的に修復(研鑽)され、サラが亡き後、アブラハムは妻の亡骸をマムレの地に埋葬します。


ところが実際は、彼ら(アブラハムとサラ)は更に優った故郷、即ち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥じとなさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
                                                                              【ヘブル書11章16節】


 アブラハムが求めていたものは、神が安住される豊かな「神の宮(御住まい)」、つまり神の都市です。ですから彼は、マムレの地を神の都、即ち自分の故郷として共に住んだのです。本来ならば、自分の安住の地を求めて、産まれ故郷(ウル)や、他の良きフィ-ルドに住めばよいところを、彼らは天にある、見えざる豊かな麗しい故郷、神の都を切望しながら、遂にマムレの地に辿り着いたのです。


 私たちが今生きている(暮らしている)、この時代(或いは環境、フィ-ルド)には何の意味があるのでしょうか?私たちは未熟者アブラムの如くに、未々世的な安住の地を求めて、ふらっとぐらつく時もあるでしょう。しかし私たちが本来求めるべきものは、見えざる神の豊かな事実です!


 「約束された方は真実な方ですから、必ず果たして(実現して)下さる!」という、「神の事実」を私たちは受け取り、マムレの地に祭壇を築きましょう!真の「安心」、真の「保障」、真の「平安」は、天(上)より来たる「神の真実」です!


 この「神の真実」を、惜しみなく豊かに与えて下さる、私たちの花婿イエス・キリストの御名が、高らかに褒め讃えられ、あなた(花嫁)の礼拝を通して、「神の宮」が益々拡大して行くことを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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