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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.3)

                   深いうめきを執り成す方



この時、私は献酌官として、王に仕えていた。アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、私がぶどう酒を取って、王に差し上げていた。私は王の前で暗い表情をすることは無かったが、王は私に尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるに違いない。」私は非常に恐縮して、王に答えた。「・・・・私がどうして暗い表情をせずにおられるでしょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」
                                                                                           【ネヘミヤ記1章11節~2章3節】


聖霊による「執り成し」の働き
 私たち、聖霊様の様々な「働き」を覚えながら、ネヘミヤに臨んだ聖霊様について、再度詳しく学ぶ必要があります。ところで、ネヘミヤ記に登場する「ペルシャ王」は、霊的には「父なる神」の雛形です。そういう意味で、アルタクセルクセス王は、ネヘミヤの「動き」から、心の状態の隅々に至るまで、その全てをご存知でした。


 私たちは時折、乗り越えることの出来ない「壁(問題)」が、目の前に立ち塞がった場合に、例えば「主なる神は、私のことを忘れているのでは?」などと錯覚します。しかし聖霊様が、私たちの全てをご存知の上で、深いうめきを伴って、実は執り成して下さっているのです。これが今回私たちが学ぶべき、第一の奥義です。


 ですから聖霊様は、私たちのことを等閑(なおざり)にしたり、無視している訳では決してありません。常に私たちより「先」に行かれる方です。そうです!私たちが悩む以前から、前もって心配し執り成して下さる方なのです。


 この時のネヘミヤは、王に仕える献酌官でした。「献酌官」とは、簡単にイメージするならば、旅客機の機内で働くフライト・アテンダンス、しかもそれはソムリエの資格を有する職人(公務員)です。何よりもこの仕事は、王に対して些(いささ)かの野心も抱かず、下役として忠実に「接待」に徹することが、常に要求されます。そういう意味で、「言葉」や「態度」の全てに渡って、最高にもてなすことの出来る「品性」を、ネヘミヤは兼ね備えていました。


 この「献酌官」は宰相(首相)よりも、常に王の一番近くにて仕えるという立場から、王の「御心」を知ることの出来る、誰もが羨ましく思う程の、非常に重要な役目でした。しかしネヘミヤは、自分の地位とか立場を、決してひけらかしたり威張ること無く、淡々と職務に務める人物でした。そして彼は、常に王の「心」を喜ばすことの出来る、「接待(もてなし)」の賜物を持っていました。


奥深い領域を見られる
 ところが、この時だけは王が逆に心配する程、彼は深い「悲しみ」の中にありました。本人は通常通りの業務を、坦々とこなしましたが、王だけは気付いたのです。何故なら「王」と「ネヘミヤ」は、常時「顔」と「顔」を付き合わせる、そんな親密な関係にあったからです。「王(主なる神)」は、彼(私たち)の全て(外側ばかりでなく内側まで)を、常に見られる(案じられる)方である!これが第二の奥義です。


 主なる神が、私の「全て」を常に見られる(案じられる)方である!これは何と素晴らしい親密な「関係」でしょうか。まるでそれは、産まれたばかりの「赤子」を、四六時中見守る母親の「愛(親しい交わり)」の関係に似通っています。ところが当の本人(私たち)は、それ(神の愛)に気付いていません。


 この時のネヘミヤは、見るからに打ちひしがれた、暗い顔つきであった訳ではありません。ところが、私たちも経験ありますように、「心ここにあらず」の場合、プロであっても平静の行動とは違う、何かが顔の表情に滲み出て来ます。つまり「不安」や「悩み」を抱えて行動に移った場合に、私たちは精神的に捉われた状態で、「顔つき」や「仕草」に、輝きと品性が少しずつ薄れるのです。


 王は常に、ネヘミヤの「もてなし」に満足し、彼の一つ一つの言動を愛していました。さて、あなたの「信仰」の言動は、父なる神にとって愛する対象なのでしょうか?答えは「然り!」、愛して止みません。それ故に王は、思わずネヘミヤに問いかけました。「ネヘミヤよ、一体どうしたのか。何故暗い表情をしているのか?」と。


 父なる神は私たちと違って、一人一人という「個人」を、公平に愛する方です。ネヘミヤはこれに気付きました。そしてひれ伏しながら「王様!実は・・・・」と、遂に切り出すことが出来たのです。彼は、今までの積もり詰った「悩み」と「不安」を、堰を切らすかの如くに語り出したのです。


 王様によるこの働き、即ち内面の奥深い領域にまで探り極めること、これは聖霊様の働きを現しています。「献酌官」は、様々な「酒」をもって、王の「全て」を喜ばせる働きです。聖霊様も同様に、私たちの弱い霊に対して、様々な働きをもって臨んで下さいます。私たちは如何せん、自分の心の奥深い領域にある、「苦しみ」や「悲しみ」など、それらを十分に知り対処することが出来ません。しかしその「全て」を、ご存知の方(聖霊様)は、私たちと共に深いうめきをもって働かれ、それらを父なる神の御心へと、必ず送り届けて下さいます。


最高の「献酌官」
 現在の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと私は思います。・・・・被造物は虚無に服していますが・・・・同時に希望も持っています。・・・・被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。・・・・霊の初穂を戴いている私たちも・・・・体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。・・・・同様に聖霊も弱い私たちを助けて下さいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、聖霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。人の心を見抜く方は、聖霊の思いが何であるかを知っておられます。聖霊は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成して下さるからです。


                                                                                                      【ローマ書8章18~27節】


 私たちは「この世」に、生を受けてから今日に至るまで、様々な「罪」を犯し積み上げてきました。本来ならば、アダム(エバ)の「罪」が無ければ、今被っている「苦しみ」や「悲しみ」とは、全く縁が無い生活を送れたはずです。しかし如何せん、三次元的な領域から霊の次元に至るまで、深いうめきを伴う程の、荒廃した状況に追い込まれています。


 ・・・・が(しかし)被造物は、次の真理を知っています。いつか神の恵みにより、今の私たちが「罪」の支配から完全に贖われ、(元の初穂の状態へと)造り変えられることを。そのための働きを為す方が聖霊様です!聖霊様が臨まれる時には、自ら計画しないのに、三次元的限界を超えた次元の中で、不思議な御業が次々と起こるのです。


 そうです!聖霊様という、最高の「献酌官」が共におられる限り、私たちは安心して主なる神の取扱いに、「全て」を委ねることが出来るのではないでしょうか!私たちが如何にして、神に相対して行くべきか、その執り成しの働きを担う方が聖霊様です。聖霊様ご自身が、私たちの代わりとなって、父なる神の御前に執り成して下さるからです。


 ですから、私たちには聖霊様による、確かな希望があります!私たちの「信仰」の歩みの先には、荒野の如き状態が待ち受ける、そんな事が時々あるかも知れません。しかし聖霊様は、私たちの「全て」をご存知です。その時に私たちが、どのように祈ったらよいのか、またどのように歩んでいったらよいのか、全く分からなかったとしても、前もってそれら「全て」に働きかけ、私たちが進み行くべき「手順」を、聖霊様は必ず指し示して下さいます。


 益々、この最高の「献酌官」を呼び求めましょう。そして聖霊様が与えて下さる、最高の「ワイン(御霊の満たし)」を戴いて下さい。私たちが霊的に御霊に酔う時に、それまで弱っていた私たちの「霊」は、必ず霊の次元にまで引き上げられます。


 あなたが最高の「献酌官」を通して、更に主イエス・キリストの、豊かな「恵み」の中で平安を戴き、父なる神との「親しき交わり」が、更に麗しいものとして完成されることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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