バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

全き信仰(No.29)

         神の力は何処に秘められているのか?
 
 
 
その後、彼はソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになった。・・・・デリラはサムソンに言った。「あなたの怪力が何処に秘められているのか、教えて下さい。・・・・」・・・・来る日も来る日も彼女がしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐え切れず死にそうになり、遂に心の中を一切打ち明けた。「・・・・もし髪の毛をそられたら、私の力は抜けて、私は弱くなり、並みの人間のようになってしまう。」・・・・彼女は・・・・サムソンを眠らせ、人を呼んで、彼の髪の毛七房をそらせた。・・・・ペリシテ人は彼を捕らえ目をえぐり出してガザに連れて帰り、青銅の足かせをはめ、牢屋で粉をひかせた。
                                                                                                          【士師記16章4~21節】
 
「この世」に魅了される弱さ
 たとえ、私たちが取るに足らない、失敗だらけの者であったり、またサムソンの如くに、「この世」の誘惑に負ける者であったとしても、主なる神は再び「恵みの時」を用意し、私たちを必ず贖い出して下さいます。
 
 ご存知のようにサムソンは、女性の「美しさ」に魅了され易い、これが彼の最大の「弱さ」でした。話は逸れますが、世界的に有名なカリスマ・リーダーたちでさえ、この世のスキャンダル話が絶えません。またクリスチャン人口が多いと言われる韓国でも、4組に1組の割合で「離婚率」が増加しています。
 
 時に人は慢心したり、思い上がった(高ぶった)時に、例えば「私は大丈夫!」とか、「私たちの団体は、いつも健全です!」などと自信過剰に陥りますと、その時こそが最大の「油断」であり、世的な方向に堕落していくのです。つまり晩年のダビデ王の失政の如くに、いつしか神の次元から逸れますと、ついつい「この世」の次元に、目が奪われることになります。
 
 今回の出来事は、決して他人事ではありません。つまりサムソンの如き、英雄(リーダー、トップの者)のみに起きることでは無いこと、これを先ず覚えて下さい!例えば私たちの目の前に、見め麗しいものが提示された場合、私たちの「霊の眼」は、たちどころに眩(くら)まされるという、誘惑(弱さ)が誰にも生じるのです。
 
 そうです!私たちの「霊の眼」は、聖霊様による「覆い」が無ければ、すぐにも「肉の次元」に襲われる程の「弱さ」があります。それ故聖霊様は、私たちに常に問いかけます。「神の秘められた御力は、何処にある(現される)のか?また、あなたは神の御力を求めて、常にへり下って生きていますか?」と。そういう意味でサムソンは、私たちの霊的「雛形」です。
 
サムソンの「強さ」の秘密
 では逆に今回の記事から、私たちが学ぶべきサムソンの第一の「強み」、それは神の「御心(権威)」に対して、徹底的に従順するという、ナジル人の特質を備えていたことです。そして第二の「強み」は、自分の「頭」に如何なるものも当てずに生きる、即ち目に見えざる神の御手が、常に自分の「頭」に触れていることを、「霊の眼」で明確に捉えていたことです。
 
 この二つの「強み」により、サムソンは絶対に神の「秘密」を、他者に漏らしませんでした。つまり神の麗しい「霊的権威」が、常に自分の全てを支配していることを、明確に捉えていた結果、他人に対して三次元的解釈、即ち「・・・・だから~である!」などの説明(秘密)を、彼は一切語りませんでした。
 
 私たちは他者に「証し」する際、例えば「私は・・・・という素晴らしい信仰によって、いつも神から祝福されています!」、また「私には・・・・の賜物が与えられている故、多くの人の救い、癒しに用いられていることを感謝します!」などと、安易に語る(自分を高くする)ことがあります。
 
 このように私たちの「思い」の中に、自分のことを「誇りたい!」と思う誘惑(弱さ)があります。神に癒された10人の中で、神に感謝す(栄光を帰す)べく戻って来た者は、たったの一人であった!、この霊的教訓を忘れないで下さい。サムソンの秘められた「強み」は、神の見えざる「権威」に対して、ことごとく「頭(こうべ)」を垂れるなど、へり下る姿勢を貫いた生き方の中に現れました。
 
完全なる「聖別」
 ところがサタンは、彼の肉の次元に関する「弱み」は知っている訳です。そしてその「弱点」目掛けて、様々に「罠」を用い攻撃しました。その結果彼は、世的な「美」を求めて、次々と美しい「女性」の虜になります。しかしそれでも、彼は敵の手にかかる事はありませんでした。遂にサタンは、最強の「デリラ」を彼の前に持って来ました。
 
 このデリラという女性は、クレオパトラの如き、絶世の美女であった訳ではありません。しかし彼女は、サタンによって騙されたエバと同じ、巧みな「話術」を持ち併せていたのです。ご存知のように私たち「人」は、神の「命の言葉」によって創造されました。ところがサタンは、神と「人」との関係を妬み、神の「命の言葉」に代わる、見せ掛け(まやかし)の「肉の言葉」をもって、エバを誘惑し「世」の虜にしました。
 
 このエバを騙したサタンの「戦術」は、今も尚同じ方法をもって、私たちキリスト者を、様々に誘惑し攻撃しています。たとえ霊的にしっかりしていても、私たちは「人の言葉」に弱いところがあります。この時のサムソンも、デリラの度重なる「甘い言葉」に、霊的には「罠」だと分かっていたのですが、しつこく迫るデリラの言葉に、遂に降参し「秘密」を語る事になります。
 
 パウロは明言します。私たちは「霊の次元」を求めていても、ついつい「肉の次元」を欲する弱さがある!と。しかし覚えて下さい。主なる神は、このようなサムソンの弱点を、完全に聖別することが目的(御心)でした。つまり神は、サムソンの弱さの全てをご存知の上で、「デリラ」の誘惑を通して、彼を霊的に砕き聖別しました。具体的には、彼の「両目」は敵の手によりえぐり出され、彼の「両足」は重い青銅の足かせが付けられ、文字通り完全な虜(霊的に神のもの)となりました。
 
神の秘められた「御力」
 何故この時、敵はサムソンを処刑しなかったのか、ここに神の不思議(秘密)が現されています。サムソンの弱点の窓口、それは彼の女性を見る「両目」でした。主なる神は、彼の「肉の眼」を奪うことで、再び彼の「霊の眼」を回復したのです。牢獄にて重労働を科せられ、敵の辱めを受けた彼は、当初物凄く罪責感に陥り、自暴自棄から死ぬことも考えたかも知れません。
 
 悶々とする中で彼は祈り始めました。「主なる神よ、私を打ち滅ぼして下さい!生きていても、何の役にも立たない今の身ですから。」などと。しかし聖霊様は、この時から再び彼に臨み、霊的取扱いを開始されました。すると主なる神の、聖なる霊的「覆い」が、再び自分の「頭」に臨んでいる様が、彼の「霊の眼」で明確に見え出したのです。その度に、主なる神の「御力」が、自分の内側から溢れ出る訳です。
 
 そして、自分の足を縛る重い青銅の「足かせ」を、試しに力を込めて引っ張ってみますと、以前はびくともしなかったものが、確実にきしみ始めることが分かります。彼は思わず「主なる神よ、つい不信仰な言葉を語り、申し訳ありませんでした。私は、あなたの栄光の時のために、今このように聖別されていることを感謝します!肉の次元が絶たれたことを感謝します!目に見えざる神の領域が、再び見えるようになったことを感謝します!霊の眼をもってあなたを、豊かに見ることが出来る訳ですから・・・・」
 
 サタンは今、吠え猛る獅子の如くに、私たちの周りをうろついています。牙をむいて、私たちの「霊の眼」を食らい突こうとしています。しかし私たちは心配する必要がありません!聖霊様が常に、私たちの「頭」に聖なる油を注いで下さり、私たちが神の権威に服している限り・・・・。しかし聖霊様は、次のようにも叱咤します。私たちの「霊」の中に、①サムソンの如くに驕り高ぶっているものが無いか、また②三次元的なものを頼みとしているものが無いかなど、常に確認し見張るように!と。
 
 「主よ、あなたの御力は、何処に秘められているのですか?私は、それを確認したいのです。」という聖霊様の促しに、私たちは素直に聞き従って参りましょう。私たちは、神による「勝利」の凱旋を、神の大路の中で進み行く、そのような豊かな「神の時」が、いよいよ間近に迫る時代の中に生きています。あなたが、神の豊かなる聖別の取扱いの中で、益々神の「御力」を蓄えられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する