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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

信仰の完成(No.22)

                           仮庵祭の回復




・・・・民は出て行き、枝を持って来て、各自の家の屋上、庭、・・・・に仮庵を作った。こうして・・・・皆で仮庵を作り、そこで過ごした。ヌンの子ヨシュアの時代からこの日まで、イスラエルの人々がこのような祝いを行ったことはなかった。それは、まことに大きな喜びの祝いであった。最初の日から最後の日まで、・・・・彼らは七日間に渡って祭りを行い、八日目には定めに従って終りの集会を行った。
                                                                                               【ネヘミヤ記8章13節~18節】


「仮庵祭」の意義
 ご存知のように、「祭り(フェスティバル)」というイベントは、開始当初は勢い(盛り上がり)があり、多くの人々が参加し集合します。ところが数年経ってゆきますと、参加人数も減少し始め、その「勢い」は過去のものとなる傾向にあります。


 さて、私たちの捧げる真実の「祭り(礼拝)」、これに関しては人間的な「勢い」を求めたり、イベント化した「行事」であってはなりません。まもなく私たちの花婿なる、主イエス・キリストが来臨されるに当たり、必ずイエス・キリストの預言通りに、全ての事が進んで行きます。


 国々は敵対し合い、「我こそは・・・・!」等と、自己中心的な生き方で衝突し合う、そんな人間的な「勢い」を、愚かにも造り上げる時代にあって、私たちは如何なる「祭り(礼拝)」を、彼らに教え示して行くべきでしょうか?好むと好まざるとに関わらず、各自が敵対し合う中にあって、「我こそは真の救い主である!」と、高らかに登場する者が出て来るからです。


 実は、私たちが為すべき礼拝、その「全て」の鍵となるものが、今回の記事に見られる「仮庵祭」です。何とヌンの子ヨシュアの時代から、今回のネヘミヤの時代に至るまで、この「仮庵祭」は行われませんでした。「過越祭」を始めとする、他の「祭り」は行われてきたのですが、何故かしら「仮庵祭」だけは、見過ごしにされて来た訳です。


 仮庵とは、文字通り「仮の小屋」のことです。しかしそれは、私たちが描くような「小屋(プレハブ)」ではなく、多くの葉が茂った枝を、テント(覆い)の如くに積み重ねたものです。時期としては、陰暦の七月(秋分の日の頃)に、つまり秋の収穫が終わった頃に、一週間ずっと仮庵の中で、「祈り」を捧げる生活をすること、これが「仮庵祭」というイベントです。


 「祈り」の中身としては、「願い」を乞う類のものではなく、ひたすら神に対して、「感謝」を見出しては捧げるものです。ですから「感謝」の祈りだけを、七日間捧げ続けることは、とても簡単なことではありません。他の民族からして見れば、不思議かつ狂気じみた儀式に映ったことでしょう。


「仮庵祭」が回復される時・・・・
 そしてこの時は、八日目に全ての各家族が一か所に集合して、各自の「感謝」や「恵み」の数々を、共に分かち(証し)合いました。すると大いなる聖霊の油注ぎを、全ての者が豊かに受け始め、次のような霊的「励まし(慰め)」を共有しました。「敵の如何なる迫害下にあっても、主なる神は我らを守り導いて下さる。目の前の現実がどうであれ、主なる神の御業だけは、更に拡大している!」と。


 そうです!私たちの住む「日本」においても、「皆、聖霊様の導きのもと集まり、共に賛美し感謝を捧げましょう。神が呼び集めて下さった以上、主なる神に日本のリバイバルを託しましょう。今は仮小屋を建てて礼拝しましょう。」などと、信仰の表明を大胆に叫ぶ時が来ています。私たちが導かれる、如何なる「場所」と「時」において、祈りの祭壇を築き、感謝の生贄を捧げることが、まさに今!求められているからです。


 ネヘミヤの信仰行動に、共に促され聞き従ったイスラエルの全家は、七日間の祈りを終え、八日目に集まった時、全てが聖別されました。何故なら、彼らが「祈りの香」を捧げ始めると、天の窓が大きく開かれ、全ての仮小屋に神の臨在が満ち溢れたからです。確かに「現実」は、ただのボロ小屋に過ぎません。しかし、見えざる霊の次元においては、天上の窓から神の麗しい、聖なる「臨在」の事実が、仮庵全体に渡って、豊かに満ち溢れている様を、彼らは明確に感じ取ることが出来たのです。


 さて、「仮庵祭」が回復することによって、何が起きるのでしょうか?先ず各家庭において、家の祭壇(至聖所)が築き上げられ、真実の「礼拝」が必ず回復し始めます。


・・・・見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数え切れない程の大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と子羊の前に立って、大声で叫んだ。「救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、子羊のものである。」・・・・長老の一人が私に問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、誰か。又、どこから来たのか。」そこで、私が「私の主よ、それはあなたの方がご存知です。」と答えると、長老はまた、私に言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を子羊の血で洗って白くしたのである。それ故、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる子羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙を、ことごとくぬぐわれるからである。」
                                                                                                         【黙示録7章9~18節】


 そうです!黙示録の預言通りに、この真実の「礼拝(本物の祭り)」が、日本ばかりではなく、世界各地で回復(復興)すること、これがキリスト者たちの栄光の姿です。彼らは意図して(計画的に)、群衆を集めた訳ではありません。何処から来たのか分からない、霊の次元の中で聖霊によって集められ、祭壇上に純粋に「感謝」と「喜び」と「賛美」の生贄を、子羊(イエス・キリスト)の栄光のみを讃えながら捧げた結果、神が回復の時を与えるのです。


 今に生きる私たちは、ネヘミヤが主導した、今回の「仮庵祭」の祝福を、常に信仰のイメ-ジ(霊的目標)として憶えておきましょう。人間的な方法によらず、ただ私たちの捧げる純粋な、「仮庵祭」の霊的回復を通して、主なる神は日本のリバイバルを前進して下さいます。ですから私たちは、いよいよ各家庭において、この「仮庵祭」の祭壇を、霊的に建て上げて参りましょう!そして「朝」に「夕」に、「祈り」と「賛美」を捧げて参りましょう!


 この「仮庵祭」の回復の恵みを、霊的に享受されている者だけが、「苦難の中を通って、絶えず命の水を慕い求めて来た者よ、私は惜しみなく、無代価で命の水を飲ませよう。これからは、喜びの収穫の束を携える者として、天から豊かに祝福しよう!」と、「最後の戦い」において、聖霊様から直々「命の言葉(勅令)」を賜る、神の兵士(将軍)に任じられるのです。


 主イエス・キリストの豊かな「恵み」と、聖霊様によって為される、この麗しい「仮庵祭」が、あなたの信仰生活の日々の「歩み」において、更に回復し築き上げられ、多くの収穫を束ねる霊的「イベント」となりますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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