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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神の時(No.27)

                共に進み、共に勝ち得る信仰
 



ヨシュアは民の役人たちに命じた。「宿営内を巡って民に命じ、こう言いなさい。おのおの食糧を用意せよ。あなたたちは、あと三日の内に、このヨルダン川を渡る。あなたたちの神、主が得させようとしておられる土地に入り、それを得る。」ヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセの半部族に告げた。「主のしもべモーセが命じた言葉を思い起こしなさい。彼はこう言った。『この土地はあなたたちの安住の地、あなたたちの神、主が与えて下さったものである』と。・・・・あなたたち、勇士は皆、隊伍を整え、同胞たちに先立って川を渡り、彼らを助けなさい。・・・・あなたたちはその後、主のしもべモーセがあなたたちの領土としたヨルダン川の東、すなわち太陽の昇る側の土地に帰り、それを得なさい。」彼らはヨシュアに答えた。「我々は、ご命令を行います。遣わされる所にはどこでも参ります。我々はモーセに従ったように、あなたに従います。どうか、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。如何なる命令であっても、あなたの口から出る言葉に背いて、従わない者は死に定められねばなりません。どうぞ、強く、雄々しくあって下さい。」 
                                                                                                   【ヨシュア記1章10~18節】
 
「神の時」が示される時
  父なる神が、新しき指導者ヨシュアに対して、直々命じられた御言葉は、モーセの時と同様に、非常にシンプルな内容のものでした。それはイスラエルの民が進むべき、具体的な「方向性(direction)」を正しく示し、その正しき方向性をもって、次は「時間」を区切って、一つ一つ指示を与えるものでした。
 
 ところで、「神の時」が具体的に示される時、私たちの態度(信仰の応答)は、どうあるべきでしょうか?この時、イスラエルの民に命じられた、「神の時」は「あと三日の内に」、つまり「三日後」には、いよいよスタートの時(全員が前進する時)が開始されることでした。
 
 11節には、三日間の行程における、準備の内容が記されています。それは「食糧」だけの備えであり、ヨルダン川の対岸に辿り着いたら、もうそこは神の約束の地であるが故に、「何」も心配する必要が無い!と。
 
 とかく私たちは、「先(将来)」のことを、あれこれと心配する習性があります。しかし覚えて戴きたいことは、「神の時」は例えば、「今」とか「暫くしたら」等と示された場合、それは「完成(成就)の時」が、かなり近付いていることを約束した言葉であり、「必ずその通りになる!」のです。それ故、彼ら命じられた「三日の内に」とは、三日間をもって「食糧」を整え、そしてヨルダン川を渡り進軍する時に、それは「死」ではなく、新しい「生活(命)」の保証が、必ず対岸(東)の地に用意されていることを、物語っているのです。
 
「命の言葉」を整える
  今回のストーリーにおける第一の奥義は、具体的に聖霊様が用意される「食糧」が、神の「命の言葉」を意味することです。私たちの「霊」を、奥深くまで探り聖める聖霊様は、私たちの「過去」にまで遡り、その「全て」を、主イエス・キリストの流された、貴い血潮をもって聖めて下さいます。
 
 そして、その過程で神の「命の言葉」をもって、私たちの「過去」における、様々な心的ストレスやトラウマなどを、神の霊的取扱いの中で、元の良き(健全な)状態へと処置して下さるのです。この時聖霊様は、まるで熟練した外科医の如くに、「過去」における悪しき記憶の数々を、メスで除去して下さり、揺ぎ無き神の「命の言葉」をもって、完全に縫合して下さいます。
 
 この時イスラエルの民は、神の「ご命令」に対して、何一つ「不平」や「文句」を言わず、また疑うこと無く食糧を準備し、ヨルダン川を進軍することに従順しました。常識的に考えても、重い「食糧」を担いで、ヨルダン川の激流の中を進むことは、かえって負担がかさみ、次第に体力を消耗することで、より「死」の危険性が増すことになります。
 
 神の「ご命令(御言葉)」に対して、イスラエルの民の全員が忠実に守り行うこと、これが重要ポイントとなります。恐らくこの時、彼らの中の若者の一団が、信仰的に告白しました。「我々は、ご命令を行います。遣わされる所にはどこでも参ります。我々はモーセに従ったように、あなたに従います。どうか、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。如何なる命令であっても、あなたの口から出る言葉に背いて、従わない者は死に定められねばなりません。どうぞ、強く、雄々しくあって下さい。」(18節)と。即ち、イスラエルの民の一人でも、神の「ご命令」に従わない場合、その者は絶たれる(死ぬ)ことを意味した訳です。
 
 私たちに、「神の時」が具体的に示された時、私たちは決して躊躇することがありませんように!たとえ、躊躇する「弱さ」があっとしても、「三日間」という、神の緩やかな取扱いを受けることで、私たちの「霊」の旅路には、主なる神が聖霊様を通して、共に進軍して下さる恵みが、必ず用意されているのです!共に進んで下さるインマヌエルの神が、私たちと共に居て下さる限り、神の「命の言葉」通りに、「全て」は完成に至ります。
 
思い起こしなさい!
  第二の奥義、それは「準備の時」が具体的に示された時、私たちはあることを決断しなければならないことです。私たちは、ある所からある所に行く時、ある重要な決断をします。それが13節の御言葉の中にある、「思い起こしなさい」ということです。つまり神の「命の言葉」を、絶対にないがしろにしない!という決断です。
 
 私たちは時折、「過去」を振り返るなどして、例えば「主よ、昔(かつて)は良かったです。しかし今は、とんでもないですよ。主よ、かつてはかつてです。今は、かつてのものが、一つも役に立っていません。」などとぼやきます。
 
 このように、自分の「過去」の全てを、神の「命の言葉」の保証として捉える、決意をしていない私たちは、霊的に思い起こす務めを果たしていないことになります。しかし主なる神の「命の言葉」は、永遠に変わることの無いものであり、今も尚、私たちの為に有効なものとして働き続け、私たちは必ず神の約束を得る!これが神の「命の言葉」に対する、信仰的な「決断(決意表明)」です。
 
 覚えて戴きたいことは、神の命じられた通りに、各々が「食糧」を担いで、部隊(グループ)ごとに川の中を進軍する中で、実はこの重い「食糧」が、全員を安定的に前進する上での、一つの「おもし」の如き作用を成したことです。この「おもし」こそが、神の「命の言葉」を保証する、重要な役割を果たしたのではないでしょうか!
 
 これから来るであろう、霊的大洪水の時に、私たちに求められる信仰姿勢、それが神の「命の言葉」を、ことわる度に思い起こし宣言(告白)することです。そして、共に進み、共に勝ち得る信仰こそが、私たちの信仰の歩みにおける、霊的エンジン(起動力)です!それ故私たちは、「今」与えられている神の様々な取扱いを、決して無駄にするすることが無いよう、主なる神があなたを、ねんごろに愛し取扱っておられる証拠、それは共に居て下さる聖霊様の霊的ガイダンスに、必ず「神の時」を示されることです。
 
 如何なる時にも、如何なる場所においても、共におられるインマヌエルの神が、あなたを決して孤児とはせず、必ず抱きかかえて暖かく取扱い、共に進むことの出来る「力」を与え、あなたの「先」を行かれるのです。そして最終的には、ヨルダン川を渡り切った後に、完全なる勝利を与えて下さいます。この時と同様に、今に生きる私たちの信仰の歩みにおいても、「老人」や「若者」など、全ての世代が共に神の臨在の中で造り変えられる、神の大いなる「恵み」を体験して行きましょう。
 
 主なる神の大いなる取扱いの中で、あなたの「今」の信仰の歩みが、豊かに祝福されますように。主イエス・キリストの大いなる「恵み」と、聖霊様の「助け」により、あなたの歩み(人生)が日々、主なる神と共に進み、共に勝ち得るという、神による約束の旅路として、結実の時を迎えられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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