バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

全き信仰(No.7)

                   人の笑いに優る神の言葉
 



神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。私は彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。私は彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、密かに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」・・・・彼ら(三人の使い)の一人が言った。「私は来年の今頃、必ずここにまた来ますが、その頃には、あなたの妻サラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。・・・・サラは密かに笑った。自分は年を取り、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。主はアブラハムに言われた。「何故サラは笑ったのか。・・・・」サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「私は笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」
                                                                                【創世記17章15~17節,18章10~15節】
 
 「祈り」
 真実の礼拝を求める聖徒たちに、父なる神の豊かな至聖所が開かれ、奥深いイエス・キリストとの「親しい交わり」に入る、唯一の門が開かれていることを感謝します。絶えず慕い求める私たちに、父なる神が必ず応えて下さるという、この大いなる恵みを覚える時、果して罪人の私たちが、何を捧げることが出来るのか?と思い悩む毎日ですが、神の約束を信じ続ける私たちに、不可能な状況と思えるような中にあっても、聖霊様が必ず約束の「命の言葉」を届けて下さり、その「命の言葉」をもって、真実ならしめる方であることを感謝します。また今は目に見えなくとも、必ず「神の事実」を実現ならしめて下さる、その大いなる父なる神が、私たちに聖霊様を遣わして下さり、私たちを絶えず励まして下さることをも感謝します。
 
 私たちは愚かにも、あなた様の「命の言葉」に対して、否定的に笑ってしまう罪人です。しかし父なる神の「恵み」は、かつてアブラムとサライと呼ばれていた二人の夫婦を、信仰のモデルとして選び聖別して下さり、私たちもその信仰の継承者として、聖霊様が仕立てて下さることを感謝します。私たちも、かつてはアブラムやサライの如き者でした。しかし今は、主イエス・キリストによる、豊かな「復活」の恵みを通して、サライではなく「サラ!」と、またアブラムではなく「アブラハム!」と呼んで下さる、即ち約束の成就である、「天」からの恵みを受け継ぐ者としての、聖なる「保証(資格)」が与えられていることを感謝します。
 
 私たちは大胆にこの「保証」を戴いて、あなた様の御前に立ちたく存じます!主よ、「時」はもう近付いております。神の時が、いよいよ閉じられようとしている時に、聖霊様による大収穫の時も、用意されていることを信じます!主よ、どうぞ今の時を、私たちが感謝することが出来ますように。たとえ目の前の状況が、悪しきものの如くに見えたとしても、私たちは常に、感謝と祈りを捧げることが出来ますように。神の約束は、昨日も今日も、いつまでも変わることなく、私たち信じる民の前に、豊かに用意されていることを、主イエス・キリストの御名によって感謝し祈ります。アーメン!
 
人の「笑い」
  笑う門に福来たる」という諺(ことわざ)にある如く、「笑い」が素晴らしい効果をもって、豊かに働き始めることを、私たちは知っています。しかし「笑い」にも、様々なものがあります。例えば「嘲笑」、「皮肉的な笑い」、「蔑視的な笑い」などの悪しき笑いがそれです。
 
 世の人々が求める「笑い」は、幸福を願う笑いです。それは、目に見える次元から現れる「笑い」です。またそれは、有限的なものに対して望みを置いている訳ですから、必ず「もっと良いもの!」などと、際限なく倍化して行くことになります。その結果求める次元も、目に見えて来る事柄(もの)が、今よりも大きくならないと、満足した「笑い」に至りません。
 
 かつて、「アブラム」と呼ばれたアブラハムも、肉の次元の選択を通して、奴隷の女性(ハガル)との間に、イシュマエルを授かり、確かに一時的には「笑い」を得ました。しかしそれは、「対立」を産む結果となりました。私たちもアブラハムの如くに、たとえ神の「命の言葉」を得たとしても、「肉」の次元で完成しようとする、霊的「対立(人間的弱さ)」の中にあります。
 
 そのアブラハムに対して、父なる神が次に命じた言葉が、三人の使いが語った今回の記事です。彼らの言葉を要約するならば「先回は失敗したかもしれないが、今度は改めて命じる。あなたの妻はサライではなく、サラと呼ぶように!」という内容のものです。この言葉は、ある面で彼らに対する、皮肉的取扱いの如きものと写るものです。ところが父なる神は、続いて「あなたの妻(ハガルではなくサラ)との間には、一年後に必ず男子が授かる!」という、その実現の具体的な時期と、祝福の継承者となる「男子」の存在を、明確に約束して下さったのです。
 
 ・・・・しかしサラは、この神の「約束の言葉」に対して、物陰からじっと聞きながら、思わず笑ってしまいました。「え!この老いぼれた(枯れた)私に、子を授かるですって?とんでもない、そんなことが起こるはずが無いわ!」などと思いながら。
 
 すると、三人の使いは彼女を呼び出して、「何故サラは笑ったのか。」と、彼女の肉の笑いを夫ブラハムに問い質しました。それに対してサラは、「事」の重大さに気付き、恐ろしさの余りに「私は笑いませんでした。」と答えました。「その時」に初めて、聖霊様の「油注ぎ」が、彼女の上に一方的に注がれたのです。そしてサラは、瞬時に「主よ、愚かな私を赦して下さい!私はサライではなく、あなたのしもべサラです!」と、悔い改めの告白に導かれました。
 
 アブラハムとサラは確かに、最初は「人の笑い」に満ちている夫婦でした。ところが父なる神は、彼らのこのような「肉の次元」から生まれた、「人の笑い」をご存知の上で、彼らの人間的な信仰を遥かに優った次元の中で、神の「命の言葉」を成就するべく、人の姿となられて直々に命じたのです。そしてこの時は、明確にサライの不信仰の笑いを咎める形ではなく、「神の言葉は、必ずその通りになる!人が不可能と思えることも、必ず実現ならしめて下さる、それが真の創造主の働きである!」ことを、聖霊様を通して知らしめて下さったのです。
 
神の「笑い」
 覚えて戴きたいことは、彼らの不信仰の「笑い」を完成すべく、結実の賜物として与えて下さったもの、それが「イサク(神の笑い)」であっことです。つまり「イサク」とは、父なる神が完成して下さった、「真の笑い」とも言えます。私たちに与えられる、イエス・キリストの信仰の次元は、「この世」の人々が求めるような、「人の笑い」を遥かに優った、「上(天)」の次元を求める「笑い」のことです。
 
信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢の盛りを過ぎていたのに子を設ける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
                                                                                                    【ヘブル書11章11~12節】

 
 11節の文章は、一見サラの「信仰」について、記述されているかのように、私たちは読み取りますが、実はこの御言葉の主語に関して言えば、「サラ(she)」ではなく、「アブラハム(he)」と記述されているのです。詳しく直訳しますならば、「信仰がアブラハムを父親にならしめた。たとえ彼が、あまりに年老いた身であり、サラ自身も子を設ける力が無かったとしても・・・・。そして彼は、神ご自身が約束されたことを、必ず実現して下さる、その神を信頼していたからである。」となります。
 
 ここから読み取れる「奥義」、それは神の取扱いには、必ず「順番(秩序)」があることです。つまり主なる神は、先ず「夫(アブラハム)」の信仰を聖め(霊的に取扱い)、続いて「妻(サラ)」の信仰を霊的に修正することで、彼らの「信仰」を、「神の笑い」の次元にまで導いたことです。そうです!私たちも「人の笑い」ではなく、「神の笑い」で満たして下さる真の神が、「上(天)」より永遠に注がれる、「真実のもの」をもって、必ず祝福して下さることを、信仰の目標(道しるべ)としましょう!
 
 そして、「無」から「有」を創造された真の主なる神が、約束されたことを必ず実現ならしめて下さること、この「真理」を是非信じ続けましょう!私たちが更に、主なる神の「御顔」を求めて行く時に、私たちは「この世」の次元を、遥かに優った次元の中で生き続ける、「神の民」として祝福されるのです。
 
 あなたが、「この世」の次元を遥かに優った、神の「約束」の領域の中で大いに祝福されながら、「神の笑い」を多くの人々に流すことの出来る、豊かな神の働き人として更に用いられることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する