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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.46)

                           霊的な強制収監




私たちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取り付かれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロや私たちの後ろに付いて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。ところが、この女の主人たちは、金儲けの望みが無くなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、・・・・二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」群集も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服を剥ぎ取り、・・・・何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人を一番奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
                                                                                                    【使徒行伝16章16~24節】


霊的な「強制収監」を受ける理由
私たちキリスト者も時々、この世の人々と同様に、「先(将来)」のことを、ふと考えて希望が失せる、つまりこの時のパウロとシラス同様に、まるで「刑務所(牢獄)」の中に入った、感覚に陥ることがあります。しかし覚えて下さい!私たちの「肉眼」や、「耳」に入ってくる「現象(情報も含む)」は、「全て」が三次元に属するものであり、主イエス・キリストの「恵み」により、私たちは霊の初穂として、「この世」から召し出されている者である!ことを、聖霊様は私たちの意識に訴えかけています。「召し出された者たちよ、あなたは何をうろたえているのか?全ての希望は、イエス・キリストにあるのです!それ故イエス・キリストの御名により、全ての霊的足枷や霊的縄目(束縛)から、直ちに解放されなさい!」と。


 今回の出来事と同様、ヤコブの息子ヨセフしかり、ダニエルしかり、そしてイエス・キリストもそうであったように、私たちキリスト者と言えども、「この世」からの理由無き「憎悪」と「妬み」、そして「そしり(中傷)」を受けることで、霊的に強制収監されることを、是非覚えておいて下さい。とにかく、イエス・キリストを信じるということは、「この世」を支配するサタン勢力にとって、耐え難き(許されない)事実だからです。


 サタンは、全ての「人」を自分の奴隷として、束縛することに全力を傾けます。それに対してイエス・キリストを信じる者、つまり私たちキリスト者の働きは、イエス・キリストの御名を使う(宣言する)ことによって、サタンに束縛された人々を、その束縛(虜)の状態(足枷と縄目)を、自由にする(解放する)務めを担っているのです。しかも私たちキリスト者の場合は、サタンの奴隷として生きるのではなく、イエス・キリストに捕われている自由人(キリストの僕)として生きる!このことをパウロとシラスは、名も無き女奴隷(霊媒師)に行ったのです。


 すると、たちどころに彼女の「霊」全体を覆っていた、悪しき邪霊が一掃されました。その結果、彼女の霊媒行為で多額の利益を得ていた、彼女の「主人たち(奴隷所有者)」は、商売が成り立たなくなったものですから、ローマ帝国の法院に直訴しました。普通でしたら、直訴後に様々な取調べを行い、法的な手続き(裁判)を受けて初めて、「訴え」の是非(有罪か無罪か)が下されます。例えば「有罪」であれば、様々な「懲罰刑」を収容所(刑務所)で受刑するという、「ローマ法」に乗っ取ったプロセスを経る訳ですが、この時のパウロとシラスは、一方的に強制収監されたのです。


 実はこの時の出来事は、私たちの霊的な信仰生活においても、いつでも起こり得ることである!このことを覚えて下さい。本来私たちの「霊」が、イエス・キリストが居ます、「至聖所」の只中に据えられていれば、悪しき「思い」や、「否定的な概念」をもたらす、悪霊の攻撃を受けても、イエス・キリストが闘って下さるので、当然「霊」は守られ大丈夫です。ところが「ある時」、指導者(牧師、リーダーなど)から、「過ち(ミス)」を指摘される等して、心が傷ついた場合、たちどころに悪霊が、その「霊」に襲いかかり、例えば「あー、私は間違っていないのに、どうして先生は私を叱ったのだろう?・・・・。もしかしたら、私を疎んで、霊的に迫害しているのでは?!」などの、常軌を逸した「誤解(疑い)」に至らせる可能性もあります。


 そうです!私たちは、いとも簡単に「神の宮」を離れて、自分の「我城」にこもるという、サタンの策略に陥るのです。そして私たちは、自分の「血肉の力」で戦い抜こうと、必死にもがき始める訳ですが、この時既に自分が、サタンに全てを束縛された状態、つまりサタンの奴隷という身分に、再び陥っていることに気付いていません。


「私(あなた)」という一人の器
 「家族」という、私たちの人間関係の基本的な小グループにおいて、イエス・キリストの「救い」がもたらされる為、その大いなる「鍵」となるものは、実は「私」或いは「あなた」という、一人の器であることを、改めて覚えて下さい。この「私(あなた)」という一人の器が、この時の女奴隷の如くに、サタンに完全に縛られた状態にあるのか、それともパウロとシラスの如くに、たとえ強制的に収監されたとしても、イエス・キリストの御名を堅く信じ、あらゆる霊的縄目にも抵抗し、聖霊様を通してキリストの僕たることを、常に欲する器になるのか?それが問われているのです。


 女奴隷は、パウロとシラスの信仰宣言により、たちどころに霊的縄目から解放され、そして「真理」が見えるようになりました。確かに「奴隷」という身分は、何ら変わることは無かったのですが、「希望の光(イエス・キリスト)」が、彼女の「霊」の只中に、真っ直ぐに差し込んで来ました。そして、今度は「キリストの僕(花嫁)」として、霊的な自由を勝ち取ることが出来たのです。


 パウロとシラスの如くに、実際に今、霊的な強制収監を体験している方、或いは霊的な「縄目」と「足枷」が、現実の生活に見える程の、非常な「苦難」の中にある方が、いらっしゃることでしょう。「その時」に、あなたがどう行動するのかが問題ではなく、「あー、あの時自分は、強制的に収監されて良かった!」と言える程の、父なる神の「救いの時」が、用意されていることを信じて、今自分は、神に従ってどうあるべきか?が問われているのです。


 私たちに対して、サタンは常に「我城(エゴイズム)」をもって、霊的に束縛することでしょう。その時に私たちは、主イエス・キリストの聖なる「御名」の中に、「私(あなた)」を置くべきです。そうすれば、イエス・キリストの臨在される「至聖所」が、私たちの「我(牙)城」を、完全に打ち滅ぼす(消す)程の、麗しい「神の宮」として、聖霊様を通して確立されるのです。あなたがイエス・キリストをお迎えし、イエス・キリストの御声に、完全に聞き従うことによって、巧妙に働くサタンの働きを、ことごとく封じ込める!その鍵を担うのは、まさしくあなたの「信仰の唇」です。「主イエス・キリストの御名によって、私の中に働く悪霊よ、今お前たちに命じる。即座に出て行け!」と。


 聖霊様の豊かなる「油注ぎ」と、イエス・キリストの「御名」の権威が、常にあなたの「霊」を覆い、折に適った父なる神の「恵み」が、あなたの「信仰の歩み」を導きますよう、主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン!


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