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キリストの家族(No.45)

             家族の中における聖霊様の役割




あなた方は、私を愛しているならば、私の掟を守る。私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒に居るようにして下さる。この方は真理の霊である。・・・・あなた方はこの霊を知っている。この霊があなた方と共におり、これからも、あなた方の内に居るからである。・・・・弁護者、即ち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊(聖い霊)が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせて下さる。私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。・・・・さあ、立て。ここから出かけよう。
                                                                                             【ヨハネ福音書14章15~31節】


聖霊様の三つの「働き(役割)」
 私たち「キリストの家族」においても、当然「父」として、或いは「母」として、また「子」の立場としての、それぞれの「役割」があります。その中において、イエス・キリストが明確に示されている、父なる神との「新しい関係」、そして「新しい創造」の御業を現していくために、私たちは霊的長子なる、イエス・キリストに見習う必要があります。そこで、今回イエス・キリストが語られている、御言葉の中に数多く記述されている、「聖霊様」の働き(役割)に絞って学んで参りましょう。


 ヨハネは聖霊様の「役割」について、分かり易い三つの言葉で紹介しています。先ず①別の弁護者(Helper)、つまり「助け手」としての働きを為される方です。そして②真理の霊(17節)、即ち聖霊様が、私たちの元に遣わされる時には、私たちが今まで知らなかった、「真理の法則」にあずかり、悪しき「世」にあっても、必ず最終的には「真理」に至る道へと、私たちを常に導いて下さる、そのような働きを為される方が、聖霊様です。そして第三に、③聖なる霊(26節)として働かれる方であること。言い換えれば聖霊様は、私たちを常に①助け、そして必ず②真理に至らせ、最終的には私たちを、「キリストの花嫁」として仕立てるべく、③聖い器へと完成(新しく創造すること)させて下さる、これが聖霊様の、主要な三つの「働き(役割)」です。


「助け手」として臨む
 実は「キリストの家族」の中において、この聖霊様の三つの「役割」を、私たちが明確にイメージして、信仰の「歩み」の中に、聖霊様の働きに対する飢え渇きを求めなければ、私たちは「全て」の物事の中における中心軸を失う、つまり「道」そのものをロストします。聖霊なる神は、イエス・キリストに対して豊かに臨み、また十分に油注ぎを与え、十字架上の「死」という、最後の大きな試練の時にも、片時も離れることなく、常に「助け手」として支えられたのと同様に、私たち「キリストの家族」に対しても、様々な「助け」をもって臨んで下さいます。


 この「助け手(Helper)」という言葉は、私たちの場合はそのイメージを、単なる福祉的用語の「介護(介助)者」の如くに、把握(勘違い)しがちですが、聖書が示す、あなたに対する「Helper」とは、イエス・キリストを助けた時と同じ「方法」、「臨在」と「油注ぎ」、また「関わり方」をもって、あなたに必ず約束される「働き」である!ことです。私たちは、聖霊様の「働き」に対するイメージを、時々次のように勘違いする傾向にあります。それは例えば、「イェス様の代行(ビンチヒッター)」というイメージです。それ故私たちはこの時、「ピンチ(危機や試練)」の時というより、自分に都合の良い時、例えば「大いなる力を求める時」、「奇跡を求めて祈る時」などに、積極的に「聖霊様、来て下さい!」と呼ぶのではないでしょうか!


 しかし覚えて下さい!イエス・キリストの、33年半という公生涯の全般は、この世の「栄光」とは、遥かに懸け離れた次元にありましたが、如何なる時にも彼の人生「全て」の中に、「助け手(Helper)」の麗しい臨在があった!という事実に、私たちは常に注目すべきです。はっきり申し上げて、イエス・キリストの「人生(使命)」は、いつも「死(贖いの時)」が付きまとうものでした。


 ところで神の「三位一体」という、麗しい「関わり方」の中において、その中心的な役割を担った聖霊様の働きは、ある面で戦前の日本の家庭において、ごく普通に見受けられていたもの、つまり大家族型の「働き」のようなものです。大家族の中において、中心軸となる存在は、勿論「家長(父)」ですが、実質的に家族全般を暖かく見守り、ある時は腰をじっくりと据えて、子(若き次世代)を養育するのは、まさしく「祖父母」ではないでしょうか!この「祖父母」の役割(働き)の如くに、聖霊様は私たちに対しても、いつも豊かに関わって下さり、様々な「歩み」の中において、大いなる「知恵」と「助け」を与えて下さいます。


 殆どの祖父母の「願い」は、「自分の家族が平和に過ごし、祝福が途切れること無く、代々受け継ぐことが出来るように!」というものです。同様に、父なる神の私たちに対する「思い(強い願い)」は、「キリストにあって、全ての群れ(キリストの家族)が、一つになっているか否か?」という一点です。仮に私たちが、キリストにあって「一つ」ではない状態、つまりバラバラになっているとしたら・・・・。その原因は全て、「罪」がもたらすところの、「言葉」の混乱(勘違い)から生じているのではないでしょうか!


 しかし聖霊様は、私たちのことをねんごろに取扱うべく、「永遠にあなた方と一緒に居るようにして下さる」(16節)、「あなた方と共におり、これからも、あなた方の内に居る」(17節)、「あなた方を孤児にはしておかない」(18節)。そのことによって、私たちは「あなた方は私を見る。私が生きているので、あなた方も生きることになる。」(19節)、つまり私たちが、主なる神を真心から愛するべく、確実に神の「言葉」を理解する天の知恵を、聖霊様は必ず与えて下さるのです。


聖霊様に依り頼む時
 私たちの「言葉」にしても、「行動」に関しても、その中に聖霊様が「助け手」、或いは「真理の御霊」として様々に関わって下さり、最終的には私たちのことを「孤児」ではなく、永遠に共に居て下さるという、聖なる関係にあずからさせる、即ち聖霊様の大いなる働きが臨む時、私たちは聖霊様に頼り、そして共に歩むことが可能になるのです。そして「その時」に初めて私たちは、イエス・キリストが喜んで下さる、「大いなる業」を為す聖なる器に仕立てられるのです。


 そうです!「キリストの家族」の中において、私たちは「聖霊様」の存在を無視してはなりません!聖霊様は、私たちを神の御前に受け入れられる、「聖なる器」として完成したいのです。それ故に私たちは、全面的に「聖霊様」に依り頼みながら、共に歩んで行くことが、何にも優る重要な「掟」であること、これを常に覚えて下さい!


 「全て」の栄光が、イエス・キリストが遣わして下さった、助け主「聖霊様」を通して、私たちの「人生」から、大小の「生活」隅々に渡って豊かに現されることを、主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン!


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