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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.43)

            あなたとキリストは一つである!




私の父が私に下さったものは、全てのものより偉大であり、誰も父の手から奪うことはできない。私と父とは一つである。
                                                                                             【ヨハネ福音書10章29~30節】


二つの「問いかけ」
 聖霊様は、今回イエス・キリストが語られる御言葉を通して、「あなたもイエス・キリストと、常に一つである!」と宣言されていることを、是非受け取って下さい。


 何故、私たちがイエス・キリストと、一つとされるのか?その「目的」を正しく知り、私たちがキリストと結び合わされることにより、如何に麗しいものが現れ出るのか?この点について私たちは、聖霊様から教え示される必要があるのです。


 聖霊様は今回の御言葉から、二つの重要かつシンプルな「問いかけ」を、私たちに投げかけています。先ず第一の「問いかけ」は、「父なる神が、あなたに与えているもの、それはこの世にあるもの以上に、偉大なものですか?」私たちは聖霊様の、この第一の「問いかけ」に対して、「聖霊様!そんなこと、私は分かっていますよ。イエス・キリストという、偉大な賜物(救い主)が無ければ、今の私はありえませんから。」などと、簡単に答えるでしょう。しかし私たちは、現に「この世」に生きている以上、「この世」から得る、様々な産物をベース(拠り所)にして、生きていることも事実です。


 イエス・キリストは、ご自分の「アイデンティティ」を証明する際に、自分は「この世」に所属する者ではなく、「上(天)」に属する身、即ち天の父なる神の「御心」のみに従う、「神の子(父のもの)」として生きている!と宣言しています。私たちの場合は、果たしてどうでしょうか?確かに三次元的「事実」としては、両親の愛の結晶として生まれた「人の子」です。


 しかし、私たちの「霊」は知っています。「もし父なる神が、罪深く卑しい身分の、この私に対して、ご自身の愛を示すべく、御子イエス・キリストを十字架上で、贖いの子羊として屠ることが無ければ、今の自分は新しく生まれていない!」ことを。そうです!イエス・キリストは、無価値な私たちのために、ご自分の「命」をもって、「この世」から買い取って下さった!こと、これ以上に「偉大な賜物(買い物)」は無いのです!


 また、私たちが信仰の土台とすべきもの、それは唯一つ。堅固なる岩「イエス・キリスト」だけです!それ故に、この信仰の大岩に、私たちが霊的に、しっかりと奥深くまで据えられることで、イエス・キリストと「一つである!」という意識を、聖霊様は私たちの「霊」に対して、強く訴えかけるのです。「イエス・キリスト以上に、偉大なものはありません。このことを、常に覚えておくように!」と。


 第二の「問いかけ」は、「あなたは、父なる神のケア(親身になって、様々な世話をする働きのこと)を、知っていますか?そして父なる神の守りの中に、いつもありますか?」具体的に、父なる神の「ケア」とは、何を意味しているのでしょうか?イエス・キリストと、霊的に「一つ」として結び合わされていく者は、御子(永遠のギフト)を賜って下さった方、即ち父なる神の、推し量ることの出来ない奥深い「恵み」、「聖さ」、「永遠性」、そして神との親しい交わりを通して、もたらされる父の「安息」が、私たちの「全て」の中に流され、注ぎ込まれていることを必ず体験します。


 そしてイエス・キリストの「救い」が、前もって様々に用意されていることにも、更に気付かされるのです。それを私たちが霊的に知り、更に追い求め、神の「働き」を祝福し宣言して行く時に、「この世」という霊的砂漠においても、大いなる神の「救い」を、霊的に勝ち取って行くことが出来るのです!


あなたが共に居て下さる


主は御名にふさわしく、私を正しい道へに導かれる。死の影の谷を行く時も、私は災いを恐れない。あなたが私と共にいて下さる。
                                                                                                               【詩篇23篇3~4節】


 私たちの人生の「歩み」、それは「この世」という、大きな「死の谷」の中を歩むかの如きものです。しかし覚えて下さい!ダビデは詩篇23篇において、明確に宣言しています。「死の影の谷を行く時も、私は災いを恐れない。あなたが私と共にいて下さる。」と。何故、彼は「死の谷」を恐れなかったのでしょうか?それは、神の「慰め」と「命の灯火」が、自分の人生全般に渡り、「一体」となって働いていることを、常に体験し、また追い求めていたからです。


 そうです!私たちもダビデの「証言」の如くに、父なる神の「安息」と聖なる「守り」という、偉大なる「ケア」の中に生きていることを、常に意識しながら、イエス・キリストとの「一体化」の中で、霊的に強められていくことが求められているのです。「安息」の中にある羊の群れは、必ず真の羊飼いの、力強い「御声」に聞き従うことを求めます。何故なら、如何なる状況下にあっても、真の羊飼いが自分たちのことを、「命」を懸けて守り導くことを、常に見て知っているからです。つまり、羊飼いの「贖い」の御業と、その「助け」の中で、彼らは安心して生きているのです。これが、インマヌエルなる働きの神、主イエス・キリストを通して現される、父の「ケア」の真髄です。


 あなたは聖霊様からの、二つの「問いかけ」に対して、素直に「はい、そうです!」と即答できますか?インマヌエルの神、主イエス・キリストは、あなたのことを、いつも「聖なる囲い」の中へと、導いて下さる真の羊飼いです。父なる神の、聖なる「守り」の中にある者は、必ず「イエス・キリストと自分は、いつも一つである!」という、何にも代え難い励ましのメッセージを、聖霊様を通して常に受け取る、「恵み」の中に生きています。それ故あなたが、この「一つである!」という、神の聖なる「ケア(働き)」の中に、全てを委ねる時に初めて、あなたは安心して前進することが出来るのです。


 父なる神の聖なる「安息」と、イエス・キリストという、一つの「み体」の中に、あなたが組み合わされている意識(信仰)が、聖霊様を通して十分に注がれることを、主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン!


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