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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.10)

                キリストに結び合わされる



 私たちが「キリストの家族」として、父なる神が用意して下さる、御国の「相続分」を受け継ぐためには、私たちは「真理の道」を歩み続けなければなりません。つまり、私たちの「生涯」がいつ終わるのか、私たちは「その時」を知り得ることは、到底不可能なことですが、私たちは自分の「生涯」を懸けて、イエス・キリスト(真の花婿)を慕い求めて、花婿と共に生き続けることが重要です。


エサウは四十歳の時ヘト人ベエリの娘ユディトとヘト人ヘロンの娘バセマトを妻として迎えた。彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった。
                                                                                                        【創世記26章34〜35節】


 このストーリーにおけるキーワードは、「結ぶ(一体化となる)」という、34節にある「妻として迎えた」の動詞です。私たち「キリストの家族」にとって、幸せな生涯(生活)とは如何なる生き方でしょうか?それに対して、イサクとリベカにとって「悩みの種」となった、エサウの生き方は如何なるものであったのか?この二点について、私たちは霊的に正しく「知る」必要があります。イサクとリベカは当然の如く、自分たちの「結婚」の経緯について、二人の息子に正しく教えました。第一に、神の御国の「祝福」を受け継ぐべく、父アブラハムから続く、約束の「繁栄」を拡大して行くためには、神の定めた結婚生活が何よりも重要であること、そのためには第二に神の定めた伴侶は、ヘブル民族(同族)の中から捜し求めていくこと、この二点を常に教え諭しました。


 ところが現実は、エサウが伴侶として選んだ花嫁は、異邦の民族(ヘト人)の娘、しかも二人だったのです。覚えて戴きたいことは、エサウとヤコブは両親から常々、神が選んで下さる唯一の花嫁と結び合わされることによって、神の豊かな祝福の「実(子孫の繁栄)」にあずかることが、成人した「男子」にとって、何にもまして最優先の行いであることを、祖父アブラハムの失敗(教訓)から学んでいたことです。つまり「私たちは決して、外国の女をめとってはならない!」と。


「悩みの種」の始まり

・・・・キリストによって私たち両者の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなた方はもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。その要石はキリスト・イエスご自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
                                                                                                      【エペソ書2章18〜21節】


 パウロは、「あなた方はもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられて」(19節)いると、私たちキリスト者の「アイデンティティ(身分証)」を、霊的に説明しています。つまり彼は、私たちがイエス・キリストを、「救い主」として信じた時から、実は私たちキリスト者がイエス・キリストと、霊的に結び合わされる(結婚する)ことをも、私たちに教え示しているのです。


 エペソ書は全体的に、「聖なる一体」をテーマとして書かれています。ご存知のように、イサクは霊的に「イエス・キリスト」の雛形であり、リベカは「キリストの花嫁」としての雛形、つまりイエス・キリストの「み体」なる、「教会(エクレシア)」を表しています。パウロはそれを前提として、更に「一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができる」(18節)ことをも強調しています。つまり私たちキリスト者は、一つの霊である「聖霊様」を通して、イエス・キリスト(花婿)の御元において結び合わされ、そして更にイエス・キリストは、私たちキリストの花嫁を、御父の「御心」を知ることのできる、奥深い霊的領域へと召し出し、最終的には「私たち」を通して現される、豊かなる「ご計画」にあずからせるべく、「聖なる民」として認定して下さいます!


 エペソ書は、「この世」に妥協した古い生き方についても、更に言及しています。「この世」の法則にあっても、「夫」と「妻」が正しい関係にあるならば、「子供」は情緒的に安定した成長を遂げ、一人一人が創造的な家族になることを、私たちは常識として知っています。つまり、「夫婦」が正しいポジションに立ち、いつも正しく結び合わされているのであれば、彼らから産まれ出た子供たちも、共に堅く両親と組み合わされるのです。ところが「人」は、アダムとエバの犯した「罪」の結果、神の定めた本来のポジションから離れました。最終的に「人」は、益々罪(種)が「霊」の中に蒔かれることになり、そのことが父なる神の「悩みの種」になった訳です。


 同様にイサクとリベカにとって、エサウの「嫁(外国の娘)」が、「悩みの種」になりました。何故ならイサクは、エサウが「外国の娘」を嫁として迎えた時から、エサウの「生涯」が如何なる方向で悪化して行くのかを、父(アブラハム)の失敗から、実体験として苦しんできたからです。ご存知のように、父なる神は本来「エバ(アダムの妻)」を、「罪」ある悪しき存在としては創造していません。アダムの骨の一部をとり、聖なる「貴い器」として創造しました。ところがエバは、父なる神の「命の言葉」よりも、サタンの悪しき「言葉(種)」を優先して、自分の「霊」の中に取り込んだ結果、アダム(夫)にもその「種(罪)」を注ぐという、愚かな行為に至りました。これ以降、「夫」は神の「命の言葉」よりも、「妻」の言葉(意見)を優先して聞くなど、肉的に弱い存在になりました。ですからアブラハムも、妻サラの意見を尊重した結果、ハガル(外国の女)との間にイシュマエルを設け、この「イシュマエル」の存在が、後々「イサク」を苦しめるようになったのです。


 「悩みの種」という文言は、日本語の表現(訳)としては、とても霊的な意味合いを持つ記述です。「悩む」という行為そのものは、英訳では「miserable」と表現していますが、まるで「種」の存在の如くに、心(或いは霊)の中に蒔かれますと、いずれ次第に成長し始め、「実(結果)」が現実のものとして出て来るものです。その「実」は当然の如くに、「不幸(misery)」しか生み出しません。それ故にイサクとリベカは、エサウの結婚生活について苦しむ訳です。自分たちが、手塩に掛けて育てた「エサウ」が、「この世」と妥協して「世」に奪われていくこと、これはイサク(イエス・キリスト)とリベカ(キリストの花嫁)にとって、極まる所を知らない不幸に心が傷ついている(miserable)状態です!


 ヘトの娘と結び合わされることは、霊的にはサタンが用意する、悪しき「世」の方向性(道)に歩むことを意味します。私たちが例えば、「世」と結び合わされる場合、つまり「この世」の方向に歩んだり、人間的な肉の判断で事を進めたり、本来はイエス・キリストという「真理の道」から逸脱し、自己(自分)の力で何事をも確立するなど、このような「世」的な生き方を求めた場合、私たちは「御国」の祝福を受け継ぐという、霊的資格(特権)を失うことになります!勿論私たちも、アブラハムやエサウ同様に、様々な信仰上の「失敗」を犯します。それ故イエス・キリストは、私たちの信仰の歩みを、確かなものとすべく、助け主なる聖霊様を遣わして下さり、私たちが転落し遭難することが無きよう、私たちの一歩一歩を常に導いて下さいます。


 しかし私たちが、聖霊様の「導き」と「助け」を無視して、その聖なる「働き」が分かっているにも関わらず、「世」の方向に安易にバイパスしますと、その時に私たちはエサウ同様、霊的に不幸な状態に陥り、二度と「祝福の道」に戻れなくなるのです。これは私たちキリスト者にとって、非常に厳しい信仰基準ですが、父なる神は私たちが、たとえエサウよりも愚かな「器」であっても、聖霊に対して「まだチャンスはある!彼(彼女)が再び資格を得られるよう、イエス・キリストを中心とする、正しい生き方に切り替えられるよう、更なる取扱いに当たるように!」と指示していらっしゃいます。


聖なる「結びつき」
 パウロは、以前自分が「サウロ」と名乗っていた頃と比較して、「世」の人々から馬鹿にされ、不当な仕打ちに遭い投獄されるなど、現在は「ミゼラブル」であることを知りながらも、「イエス・キリストが私の内におられる限り、何にも換えることの出来ない平安を得ている。何故なら、私の霊の只中に、イエス・キリストという要石が礎として築かれている。私は小さな建材の一部として、神の宮に組み合わされている。あなた方も私同様に、イエス・キリストを信じる同胞として、何と豊かなイエス・キリストとの、聖なる結びつきに組み入れられていることか!この聖なる結びつきから、決して離れてはならない。あなた方の中に確立され、建て上げられる神の宮は、この世にあるエルサレム神殿よりも、更に優った神の偉大な栄光を、イエス・キリストが必ず現して下さる。それ故にあなた方は、神の御国の聖なる国民であり、神の家族です!」と、私たち「キリストの家族」に、励ましのメッセージを投げかけています。


 もし、あなたが「聖なる国民」、「キリストの家族」の大いなる一員として、神の国の「祝福」にあずかる、霊的資格(特権)を有したいのであれば、永遠に花婿なるイエス・キリストを、あなたの信仰の「要石(土台)」として下さい!それはあたかも、あなた(花嫁)の永遠に変わることの無い、生涯のパートナー(花婿)として、イエス・キリストと共に歩み(侵食を共にし)、イエス・キリストの言われる「お言葉」に、信頼しつつ聞き従っていくことです。これがイエス・キリストと結び合わされる、永遠に聖なる幸せな生涯の秘訣です。あなたの「顔」の中に、聖なる国民の「輝き(イエス・キリストの栄光)」が現れ出ることを、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!


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