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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.7)

                           真理の道に従う



主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私の示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族は全て、あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
                                                                                                            【創世記12章1〜4節】


 この御言葉は、如何なる素晴らしい霊的奥義を、私たちに教え示しているのでしょうか?そして、更にこの御言葉そのものが、私たちに対する聖霊様の常なる導き、つまり霊的な信仰の「道しるべ」であることをも、私たちは正しく知る必要があります。私たちはアブラハム同様に、様々な信仰上の「艱難」や「試練」、そして「苦しみ」などを乗り越えながら、目標(ゴール)となるものが、何処にあるのか分からないまま、先の長い「道のり(プロセス)」を歩んでいます。


 勿論、私たちは信仰の「ゴール」が、愛する父なる神の「ふところ」であることを、知識として知っています。ところが私たちは、自分が御国から「この地」に遣わされている、全能の神の「使徒(代理人)」であり、「キリストの家族」の一員として、アブラハムが享受したものより、もっと優った祝福にあずかる中で、約束された御国の財産を相続することの出来る、素晴らしい特権が与えられていることに関しては、霊的に正しく理解していません。そして、未だ約束のものを享受していません。


 しかし覚えて戴きたいことは、実はこの御言葉の中には、私たちの信仰の「道のり」に関して、「先(行くべき)方向性」がどうなるか、分からない状況にあっても、私たちがどのように歩んで(前進して)行くべきか?を、聖霊様の常なる取扱い(導き)を通して、教え示しているのです!また「キリストの家族」として、この御言葉は私たちに対する、キリスト者(キリスト家)の霊的「家訓(家の掟)」でもあります!


神の偉大な「家訓」
 私たちに与えられているこの「家訓」は、この世にある「ルール(法律)」、例えば「〜しなければ、・・・・の罰に処す。」の文言の如き、霊的に従いにくい(遵守し難い)ものでは決してありません。それは、非常にシンプル(単純)な命令です!この御言葉のキーワードは、「今いるポジションから、スタート(出立)しなさい!」という命令です。つまり父なる神が、常に私たちに命じられていることは、「日々前進し続け、その場に留まる(安座する)ことがないように!」ということです。


 彼の父(テラ)は一族の「長」であり、ウルの名士(大富豪)の一人でした。ですから、アブラハムが父の元を離れ、「財産」を処分してウルを出ることは、非常に決断力の要ることでした。恐らく知人からは、「何と愚かなことをするのか!この地を離れてしまったら、今はおろか将来においても、約束された繁栄を失うではないか!」などと、その決断を諦めるよう促されたことでしょう。しかし、彼の「霊」には真理の道に至る、「真の神(創造主)」を求めて止まない、激しい飢え渇きがあったが故に、ついに神の「ご命令」を受けた時、彼は躊躇することなく従順したのです。


 神の「ご命令」に対して、アブラハムは素直に聞き従いました。仮に、私たちにもアブラハム同様の、例えば「あなたは聖霊の導きを通して、必ず神の祝福にあずかります。それ故、あなたは今のポジションを離れて、私が示す真理の道に従って来なさい!そうすれば、あなたは他者を潤すことの出来る、祝福の源となります。」と預言された場合、私たちは非常に嬉しく思い、霊的に興奮を覚えますが、その後すぐに「しかし現実は・・・・」などと、様々に考えを巡らし躊躇します。何故なら、私たちは今の「ポジション」を離れたり、或いは今持っている「大事なもの」を捨てることに、霊的に困難を覚えるからです。


 実は、私たちキりスト者もアブラハム同様、一人一人に神が御言葉を通して命じている、霊的な「召し」の方向性があることを、あなたはご存知でしょうか?つまりあなたの人生において、豊かなる方向性を定義付ける、「命の言葉(ご命令)」があるのです!そしてその「ご命令」は、必ず「完成の時」を目指して、今も尚父なる神が責任をもって導き、あなたの人生に対する貴い「御業(ご計画)」として、更に聖霊様が直々に監督し(働き)続けているのです!アブラハムはその後、父なる神の「ご命令」通りに前進しますが、様々な「失敗」を繰り返しました。


 私たちキリスト者の、「信仰のモデル」であるアブラハムも、父なる神の素晴らしい「ご命令」を得たにも関わらず、自己中心的に愚かな「選択」をも為しているのです。しかし最終的に彼は、自分の「命」以上に大切にしていた、「初子(約束の子)」のイサクを、神に対する「全焼の生贄」として捧げることによって、「祝福の源」にあずかることが出来ました。覚えて戴きたいことは、アブラハムに与えられた神の「ご命令」は、私たち「キリストの家族」にとっても、父なる神の大いなる「家訓」であることです!それ故この「ご命令」通りに、私たちが聞き従う時に初めて、今日のイスラエル民族が享受しているものよりも、更に優った神の「恵み(祝福)」が、私たちにも用意されるのです。


離れなさい!とは・・・・
 「離れなさい!」というキーワードは、実際の(具体的な)行動としては、アブラハムが為した行動、つまり自分の「父の家」「故郷」「親族」などを、完全に捨て去ることです。しかし私たちキリスト者にとって、この「ご命令」の意味する霊的な行動は、自分が今まで培ってきた「経験」や「プライド」など、或いは私たちが自意識として常に持っている、「プロフィール」や「経歴」、そして現在就いている「ポジション」など、私たちはこのような、様々な捨て難いものを「全て」放棄し、父なる神の「導き(真理の道)」に従って行くことです。しかし現実的には、殆どのキリスト者が躊躇します。何故なら、それらが「大事なもの」であり、本人にとって安心して座ることの出来る場(もの)、暖かな気持ちの良いポジションだからです。


 「聞き従う」ことは、非常に単純な「命令」でありますが、肉なる心の思いとしては、それは守り行いにくいものです。しかし、イエス・キリストは弟子たちに対しても、単純な「ご命令」しか発しておられません。その代表的な言葉が、「私に付いて来なさい!そうすれば分かる(大丈夫)でしょう。」という内容のものですが、イエス・キリスト(真の羊飼い)に付き従って行けば、私たち「キリストの家族」は、安心して「真理の道」を歩むことが出来る訳です。「羊飼い」の仕事は、羊の群れを様々な「命令」をもって、がんじがらめにコントロールすることではなく、羊に必要な「糧」と「休息」を提供すべく、正しい道(方向性)を指し示す(導く)ことなのです!


 アブラハムに与えられた神の「ご命令」も、真の羊飼い(イエス・キリスト)の為される、働きのイメージと同じものです。アブラハム(一匹の羊)に対して、「ご命令」を発せられた以上、父なる神は責任を持って彼と同伴し、彼に「正しい道」を常に指し示しながら、「祝福の地」まで導き通しました。私たちが時折、不信仰に陥るその最大要因は、真の羊飼い(イエス・キリスト)に、付き従って行くという行為から、いとも簡単に逸脱することから生じるものです。「自分で歩きます!」、「自分の計画で進みます!」、「私が困ったら、あなたの助けが要ります!」などの思い、これらは全て不信仰に至る「悪しき道」です!


わたしは道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父の元に行くことができない。
                                                                                                       【ヨハネ福音書14章6節】


 私たちが、「悪しき道」に歩いてい行くような、愚かな羊にならない為にも、私たちは「イエス・キリスト」を、自分の歩むべき「道のり」の、前(先頭)に置いて下さい!そうすればイエス・キリストは、必ず「あなた(一匹の羊)」を、アブラハムに命じられた祝福の御言葉通りに、責任を持って「祝福の源」として下さり、父なる神が約束されている、「カナン」の地へと導いて下さいます!父なる神の豊かなる「交わり」と、聖霊様の確かな「取扱い(導き)」が、必要に応じて「助け」を伴いながら、私たちが日々「真理の道」を歩むことの出来る羊、つまり真の羊飼いの「恵み」として完成されるよう、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!


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