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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

キリストの家族(No.3)

                   産みの苦しみにあずかる



 私たちキリスト者は、イエス・キリストを「長子」とする、「神の家族」である!、この霊的イメージを常に意識する(心に描く)必要があります。それ故私たちキリスト者は、「この世」に生きる人々の描く、ほのぼのとした「家族観」よりも、更に優った次元にある「神の家族」の一員として、「誇り」と「自信」に満ちた、イエス・キリストを中心とする、大きな共同体(Body)の構成員であることを覚えて下さい。しかもそれは、イエス・キリストによる「親しい交わり」が、永遠に存在する御国の家族なのです。


彼女は身ごもってカインを産み、「私は主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。
                                                                                                             創世記4章1〜2節】


アダムとエバの「苦しみ」
 「エデンの園」を追放されるという、非常に厳しい(苦しい)処分を受けたアダムは、父なる神が預言を下された通りに、「エデンの園」に居た頃は全く経験しなかったこと、つまりアダム(男性)は、「地」を耕すことから生じる困難さ、エバ(女性)は「夫」の帰りをひたすら待つという、心の「苦しみ(心配)」を経験するに至りました。アダムは「エデンの園」と違って、「この世」の呪われた地(フィールド)を耕すことにおいて、非常に苦しみましたが、エバ(妻)は夫の肉体的「苦しみ(苦労)」を、「家」の中で分かち合う(あずかる)役を担いました。しかしエバの場合、未だ自分に課せられた、父なる神が定めた「苦しみ」の報いを得ていませんでした。その「苦しみ」とは、「産む」ことから来る(生じる)ものです。


 男性の立場として、「産む」ことにおける「苦しみ」は、経験不可能な領域ですので、とても理解しにくいのですが、私たちキリスト者の立場としては、霊的に「何」を産むべきでしょうか?私たちはイエス・キリストとの、「親しい交わり」を中心とする「神の家族」であり、イエス・キリストは私たちの「花婿」です。ならば私たちキリスト者が、キリストの「花嫁」として、霊的に「何」を産むべきか?そして「産む」ことにおいて、霊的な「苦しみ」にあずかることが、如何に重要な務めであるか?このことを私たちが聖霊様から教えて戴き、実際に経験する必要があります。


 エバはアダムとの間に、神の大いなる「ご命令」通りに、遂に「子」を宿す(身ごもる)ことになりました。暫くするとエバは、様々な身体的「苦しみ」を夫に訴えるようになります。それは「つわり」に始まり、女性ホルモンの分泌が不順になるなど、彼女にとって未経験の「苦しみ」でした。その度に夫は、「エバよ、もしかしたら、これが神様の仰せられた、苦しみではないかな?」と言いながら、妻の「体調」をいたわります。時が経つに連れ、妻の「お腹」が段々大きく膨らんできますので、夫としては「予定日」がいつか分からないまま、「不安」と「期待」の中で、昼は「地」にて汗を流し、夜は妻の「苦しみ」をいたわる、そんな毎日を過ごしていた訳です。


 そして遂に「その時」、妻の下腹部に最大の「産み」の苦しみ、つまり「陣痛」が起こりました。陣痛の周期(バイオリズム)など、当然この時代に知られていないことですので、次々と苦しみにのた打ち回る妻を見て、アダムは気が動転して神に祈ったことでしょう。「おー神様、どうぞ妻のこの苦しみから、助け出して下さい!私には、どうして良いのやら、分かりませんから・・・・」と。そして数時間が経過した後に、人類史上初めての「命」の出産に至りました。そしてこの時、アダムが人類で最初の「助産師」の働きを担うことになりました。


 「初子(カイン)」が無事にこの世に産み出された瞬間、彼らは「あー、今までの苦しみは、この素晴らしい命の誕生のために、必要なことだったのか。何と驚くべき、神様の創造の御業か!」と、父なる神の「新しい命」の創造に、大いなる「感謝」の意を表したのです。そうです!「苦しみ」の後には、必ず「救い」の喜び(報い)がもたらされる!ことを、彼らは「初子」の出産を通して、正しく「知る」ことが出来ました。エバは「その時」の感激の思いを、「私は主の御助け(恵み)によって、新しい命を得ましたー!」(1節)と告白しています。


「産み」の苦しみにあずかる


私の子供たち、キリストがあなた方の内に形づくられるまで、私は、もう一度あなた方を産もうと苦しんでいます。
                                                                                                     【ガラテヤ書4章19節】


 この御言葉を詳訳しますと、「私の愛する子供たちよ、もう一度あなた方に言います。母親が赤子を産む時と同じように、キリストの満ち満ちた麗しさとご性質が、あなた方の中に形造られるプロセスにおいて、私は産みの苦しみを体験しています(喜んで産みの苦しみにあずかっています)。」となります。パウロは男性であるにも関わらず、母親(女性)が胎の中に、「赤子」を身ごもった時から始まる、「産み」の苦しみを熟知しています。勿論「男性」は、命を宿すことの出来ない存在ですが、彼は「私(パウロ)は、あなた方の間にイエス・キリストが豊かに形造られ、無事に出産して来る(現れ出る)ことを願って、今も尚喜んで苦しんでいます!」と、ガラテヤのキリスト者に訴えているのです。実はこの御言葉の中に、イエス・キリストが私たちに対して望んでおられる、重要な奥義が明確に記されています。


 私たちは「何」を産み出すべきでしょうか?殆どの人々は、霊的な「賜物(タラント)」をもって、イエス・キリストに「栄光」を帰したり、又ある人々は「救霊」に命を懸けるなど、様々な「務め」を産み出そうと必死に働いています。しかし私たちキリスト者が、一番に忘れてならない聖霊の「願い」としては、父なる神が乙女マリヤの胎の中に、聖霊によって「イエス・キリスト(救いの君)」を、宿して下さったのと同じ有様(プロセス)で、私たちの「霊」の中にイエス・キリストを、豊かに現す(形造る)ことなのです!そのプロセスには、必ず「産み」の苦しみが伴う訳ですが、それは決して「あなた」を霊的にのた打ち回らせ、「苦しみ」の中で絶望させる為にあるのではなく、全てが「あなた」を通して、また「あなた」にしか現せない、父なる神の豊かな「救い」のご計画が、イエス・キリストによって完成されること、その為に「あなた」は苦しみにあずかっているのです!私たちはこの重要な奥義を、決して忘れるべきではありません!


 仮に私たちが、「自分(エゴ)」を産み出そうとするのであれば、それは世的な「苦しみ」によって、死産を引き起こすことでしょう。「産み出す(bear)」という言葉は、「我慢する(耐え忍ぶ)」という意味も含んでいます。妊婦になられた方はご存知のように、「産む(出産する)」過程において、その間(約290日)様々な「苦しみ」に、文字通り「耐え忍ぶ」ことになります。今まで健康で丈夫であった体調に、様々なバランス障害が生じたり、物理的にも「胎児」が大きくなるなど、その「重み」に耐えることは「至難(苦しみ)」の連続です。


 ローマ書8章26節には、「同様に、霊(聖霊)も弱い私たちを助けて下さいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。」と記されています。そうです!聖霊様は今も尚、私たちの為に喜んで「産み」の苦しみを為されています。私たちが被る様々な「苦しみ」、それは肉体的な「苦しみ」ばかりでなく、全ての霊的な「苦しみ」に至るまで、聖霊ご自身が「助産師」として、私たちと共に苦しんで下さるのです!


 そうです!「イエス・キリスト」を産み出す為に、あなたが「苦しみ」の中にある時、それは確実に「あなた」の中にイエス・キリストが形造られ、父なる神の定めた「その時(予定日)」に、明確に「イエス・キリスト」を現す、あなたの「救い」が完成されるのです!どうぞ聖霊様の「産み」の苦しみを、豊かに感じ取る(共感する)ことが出来る程、聖霊様との「親しい交わり」が、あなたの信仰生活全般にありますように。そして「イエス・キリスト」が、今も尚「あなた」の中に豊かに形造られていることを、信仰をもって感じ取ることが出来るよう、父なる神の偉大なる御名によってお祈りします。アーメン!


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